衝撃的だったフリートウッド・マック『噂』のジャケット
1977年というと洋楽は “パンクの年” になることが多い。当時私は中学生。パンクに夢中になったが、同年に取り憑かれたように聴いたのがフリートウッド・マックの通算12枚目のアルバム『噂』だ。
当時新宿の帝都無線に母親と買い物ついでに立ち寄り、店に飾られていた彼らの『噂』のアルバムジャケットに衝撃を受けた。
それまで知らなかったバンドだが、ジャケットの長身の男の股下にカチカチ玉(アメリカンクラッカー?)みたいな2つの玉がぶら下がってる。その2つの玉に視線を落とす魔女のような女性も気になる。
食い入るようにずっとアルバムジャケットを見つめていたら、母親に「これ欲しいの?」と聞かれ思わず頷き『噂』は私の物になった。
それからアルバムを聴きながら、当時の私は何故この長身の男はカチカチ玉をぶら下げた意味深なジャケットにしたのか? 絶対に何か意図があるに違いない―― これを解明することに取り憑かれたのだ。今思うと “呪い” に掛けられた… のかもしれない。
それから洋書を扱う銀座イエナ書店に通い、当時凄い高価だったビルボード誌やローリングストーン誌などを厳選して買い、英和辞書を引きながら彼等の記事を読み、フリートウッド・マックのアルバムを全部聴くことになった。
―― すべては、あのカチカチ玉の意図を知りたくて。
始まりはブルースロックバンドだったフリートウッド・マック
フリートウッド・マックは1967年結成のイギリスのバンドで元々はブルースロックバンドだった。
紆余曲折ありリーダーが何回か変わり、オリジナルメンバーは、ミック・フリートウッド(ドラム)、ジョン・マクヴィー(ベース)、この2人のリズム隊だけ。バンド名はこの2人の名前に由来する。
途中からジョンの妻のクリスティン・マクヴィー(キーボード、ボーカル、元チキン・シャック)が参加。そして中期にはボブ・ウェルチ(ギター)がリーダーとして参加。
ちなみに、ミック・フリートウッドはビートルズのジョージ・ハリスンの妻、後にレイラと唄われジョージと別れてエリック・クラプトンの妻になるモデルのパティ・ボイドの妹、ジェシー・ボイドと結婚していた。つまりミックとジョージはある時期親戚関係にあった。
当時バンドは農場を貸し切り共同生活をしていた。メンバーがツアーに出ている間たった1人で初めての出産をしたジェシーは産後鬱を発症し、よりによってリーダーのボブ・ウェルチと恋仲になってしまい、これを知ったミックは大激怒。ボブ・ウェルチはバンドを去った。
絶対絶命、やぶれかぶれ、どうにでもなれ!
ミックもジョンも、ほとんど曲も書けないし唄わないリズム隊。
このリーダー兼ギタリスト、ボブの脱退。この困窮した事態に導かれる解決策は、普通ならばバンド解散だ。しかし、こんな屈辱的な “寝盗られ” で解散なんて絶対したくないミック。
ギタリストで更に作詞作曲して唄える人物を探す中、ミキサーがアメリカのロックデュオを推薦。そのロックデュオが “バッキンガム・ニックス”。
リンジー・バッキンガム(ギター、ボーカル)とスティーヴィー・ニックス(ボーカル)、アメリカ人の男女のユニットだ。
高校の時から付き合っていた2人は念願のアルバムを出した2人だったが、売上不振でレコード会社に契約を打ち切られ、リンジーはスタジオミュージシャンのバイトを、スティーヴィーはダイナーのウェイトレスと掃除係や歯医者の受付をしながら彼を支えて再起の時を待つ。当時ベッドを買うお金もなく、床にラグを敷いて抱き合って寝ていた――。
そんな2人にミックは電話する。リンジーだけの加入…という話に対し、頑なに「彼女とユニット契約だ!」とリンジーが言い張り、バンド解散の危機でやぶれかぶれなミックとジョンは了承。こうしてリンジーとスティーヴィーが加入し『ファンタスティック・マック』という通算11枚目のアルバムをリリースした。
男臭いイギリスの骨太ブルースバンドから一転、バレエをやっていたスティーヴィーは歌えて踊れて曲も作れるし、小柄でヒラヒラしたベールを纏いハスキーボイスで唄う妖艶さに新たなファン獲得にも成功した。
しかしそれも束の間、バンドは長いツアー中に、
■ ミック・フリートウッドとジェシーの離婚問題泥沼化
■ ジョン&クリスティン・マクヴィーの離婚問題勃発
■ スティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムの不仲で喧嘩絶えず
… と言う大問題が勃発していた。
普通ならここも解散の危機があるだろう。音楽性の違いなどと言っていても、大概のバンド解散の理由は “金” か “色恋” だ。しかし、何とミックはこの同時多発の愛憎ゴタゴタからバンド崩壊を避けるのと現実逃避をするために『噂』のレコーディングに長期間入ることにする。
―― 演奏していれば嫌なことを忘れてしまえるから… という理由で。
修羅場? アルバム「噂」の制作環境
レコーディングスタジオの至近に、男女別々にコテージを借り、ミックとジョン以外の3人は曲作り。でもスタジオに入っても口も利かない、目も合わせないという異様な状態。自身も離婚裁判でボロボロのミックが皆をまとめたりなだめたりしながらレコーディング…。
こうして出来た曲はどれもこれも生々しい内容で、揉めに揉めて中断しつつ毎日が修羅場の中、彼らはやり遂げた。もう “プロ中のプロ” としか言いようがない。
アルバムタイトルである “噂” は、ジョンが付けた。
「悪夢の様なレコーディングで神経を削られて消耗する中、全部厳しい現実なんだが、噂であって欲しい」
… と言う願いが込められている。
『噂』からの大ヒットシングル、スティーヴィー・ニックス作による「ドリームス」は浮遊感たっぶりの中、諭す様な印象的なリフレインがある。
バンドの皆は
一緒に演奏している時の貴方が
好きなだけよ
女の子はやって来ては去るものよ
雨に打たれて少し綺麗になれば
貴方も分かるでしょ
どう聴いてもリンジーのことだ。床にラグ敷いて抱き合って寝て、彼女と一緒じゃないと契約しないと言ってくれたリンジー及びバンドのメンバーはどんな想いでこれを演奏したのか…。
しかし、この歌はまだスティーヴィーの彼に対しての愛憎、未練があるように思うが、これを受けて、リンジー作の「もう帰らない(Never Going Back Again)」では、リンジーが「2度と帰らない」と高らかに歌う。更には「オウン・ウェイ(Go Your Own Way)」で「君は自分の道を行けよ」と突き放す。やられたらやり返す… な相関図だ。
こんな “やけのやんぱち” 崩壊寸前愛憎バトルのレコーディング中に、よりによってミック・フリートウッドがスティーヴィー・ニックスと恋仲に… つまりリンジーとミックとスティービーの泥沼の三角関係になってしまった。
私はこれを知った時に、カチカチ玉の謎が解けた気がした。
ミックはかつてリーダーのギタリストに自分の妻を寝盗られ、離婚問題で憔悴中だが初めて自分が成り行き上リーダーとしてバンドを成功させ、「俺は凄いんだぞ!こんな妖精みたいな美女をギタリストから奪ったぜ! 彼女は俺のカチカチ玉に夢中さ」…的な意味に解釈した。
しかし、妻を寝盗られた男が、よりによって寝盗る側になるとは何という因果だろう…。かつてリーダーだったボブ・ウェルチがミックの妻ジェシーと恋仲になりバンドを脱退したことに起因する愛憎の念はメンバー全員に伝播したワケだ。
これはあくまでも私の解釈だが、ミックもスティーヴィーも10代の時から付き合っていた相手との別れ話のなか… 極限状態のレコーディング合宿で、同類我憐れむ… 的な心境だったのではないだろうか。
この件でリンジーとスティーヴィーの破局は決定的になる。それでも地獄のレコーディングは続く。 しかし、やはり脱退も解散という選択肢も彼等にはない。
一方、クリスティン・マクヴィーはジョンとの離婚がレコーディング中に成立する。未練たっぷりな夫に対して「ドント・ストップ」を彼女は作曲し、
貴方の笑顔が見たいの
もう少し時間がかかりそうなら
きっと貴方は信じないだろうけど
傷つけたい訳じゃないの
昨日は終わったの
…と、余裕たっぷりで唄い、更には新しい彼氏に夢中の恋の歌「ユー・メイク・ラヴィング・ファン」を彼女は作る。
お願い この魔法を解かないで
きっと違う私になれるから
そして貴方ならできる
貴方が私に愛する喜びを教えてくれる
私の最愛の男
わざわざ言葉にしなくても
通じてしまうのね
ちなみにジョンは、この曲を新しい彼氏(当時のツアーの照明技師)の歌とは知らず、大好きな犬の歌だと思っていたらしい。
この2曲を別れても愛する妻が作って唄うのをどんな気分で演奏していたのかと思うとやるせなく、痛々しくもやはり究極のプロだとしか言えない。
この残酷な罰ゲームのような状況は、そりゃ “噂” であって欲しいと誰だって願うだろう。
アルバム内で唯一全員共作の「ザ・チェイン」という曲がある。各自が少しずつ散文を書いて持ち寄って作ったとされ、チェイン=鎖、更に縁や絆を象徴している。
愛してるとかいないとか
どうでもいい
何も見えない中で
切れない絆が俺たちを結びつける
… というこの曲は、ある種の決意表明、または呪縛(いや、呪い?)のような歌で、この状態でもやり続ける選択しかないバンドの “業” が凝縮されている。しかし、その結果『噂』は半年以上の間、全米1位に輝く。
作者が複数いるとはいえ、一見バラバラな曲調だ。しかしアルバムを通して聴くと不思議なストーリー性を感じる、癖になる一枚だ。
来日武道館公演は愛憎劇ツアー?
彼らはその後、グラミー賞も受賞した一方で「オウン・ウェイ(Go Your Own Way)」を唄うリンジーをスティービーが睨みつけた挙句、楽屋で殴り合いの喧嘩をするなど、愛憎劇ツアーが開始された。
1977年12月5日、日本武道館でフリートウッド・マックは来日公演を行った。ちなみにこの前座は柳ジョージ&レイニーウッド。
あいにく私の席は2階席後方で、オペラグラスでステージを観ていた。スティーヴィー・ニックスは黒のベールを被り、時にそれを手に取りヒラヒラとタンバリンを叩きながらくるくる回る。しかし「オウン・ウェイ」が始まると観客に背を向けてコーラスも取らずキーボードのクリスティンに寄り添う。ステージ中央はもぬけの空。その後ドラムソロでミック・フリートウッドが立ち上がり、コンガを抱えてステージ中央に。その時、私は彼の股下で揺れるカチカチ玉を確認した!
暫く揺れるカチカチ玉を凝視しながらミックの隣に立つスティーヴィーの腰まで露出した黒いドレスの白い肌を見てさながら動く、リアルな『噂』のジャケットのような2人を見ていた。
バンドにおいてはメンバーの仲が悪い… と、よく聞くが、悪い状態のほうが歴史的名作が生まれやすい。生々しい情念が取り憑いたようなアルバムは、今でも色褪せず聴く者をざわつかせ魅了する作品が多いと思う。
世界でも注目されていた? あの “カチカチ玉”
魅了といえば、海外にも私のように、あの股間にぶらさがるカチカチ玉について研究してる人達がおり、様々な解釈がされている。そんななか、ついにミック自身による説明があった。
あれはどうやら泥酔した時に、イギリスのパブで、トイレの上に置かれている貯水タンクの木製のレバーだという。
何故かそれを股間から2つぶら下げたら自分が男らしく思えて「ハロルド」と名付け、いわゆるお守りにして肌身離さずにいた。が、オリジナルはツアー中に失くしてしまい、わざわざ大工にオーダーし、何度も作り直しているらしい。
「私自身の玉は相当年老いてますが、木製のハロルドは永遠に歳を取らないよ」
… と発言しているので、やはりあのカチカチ玉は “彼自身” の象徴だったと解釈した。
10代の時にカチカチ玉の呪いにかかった私は、今も作品はもとより、彼らの絆から目が離せない。
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2022.07.13