1977年

マイケル・フランクス「アントニオの歌」がもたらした80年代ボサノバ歌謡

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photo:Warner Music Japan  

今年2018年は、ボサノバ誕生60周年であるらしい。

ブラジルの3人の奇才、ジョアン・ジルベルト<ギタリスト・歌手>、アントニオ・カルロス・ジョビン<作曲家・ピアニスト>、ヴィニシウス・ジ・モライス<詩人・作家>によるアルバム「想いあふれて(Chega De Saudade)」(1958年)をその起源としているようだ。

「ボサノバ」という言葉の由来は、新しい傾向、新しい感覚という意味のポルトガル語であるという。サンバとジャズの融合によってもたらされた、軽やかで都会的なサウンドにふさわしい、実にセンスのあるネーミングだと今更ながら思ってしまう。

今回とり上げるのは、このボサノバを音楽ルーツのひとつとする AOR 界のレジェンド、マイケル・フランクスだ。代表曲である1977年の「アントニオの歌(Antonio's Song - The Rainbow)」は、先述の作曲家、アントニオ・カルロス・ジョビンへ捧げられた歌である。

マイケル・フランクスが、ジョビンの曲に触れたのは UCLA へ通う学生時代だったという。ボサノバ史上の不朽の名作『ゲッツ / ジルベルト』が発表され、シングル「イパネマの娘(The Girl from Ipanema)」(ジョビン作曲)が全米ポップチャートにくい込むほどのインパクトを与えた頃である。

「ジョビンの音楽は、しばらく住んでみたいと思うような、別の惑星のようだった。メロディやリズムの構造が全く別のものだったんだ」(マイケル・フランクス『Anthology - The Art Of Love / アルティメイト・ベスト』ライナーノーツより)

“しばらく住んでみたい別の惑星” とは、なんと詩的な表現だろう。感受性レベルが程遠いのは承知のうえで、実は私も似たような体験をしたのだった。子供の頃に通っていたヤマハエレクトーン教室で、課題曲として「イパネマの娘」に遭遇した時のこと――

それまでコードのFといえば、足鍵盤(ルート音)=ファ、左手=ラ+ド+ファだったのが、イパネマでは、足鍵盤=ファの上に、左手=ミ+ラ+レが乗る。そして、メロディーも「ソッミミーレ ソッミッミーミレ」と、ラ・ド・ファは出てこない。さらにバッキングのリズムは、2拍4拍の裏打ちではなく、シンコペーションを刻む。これには困惑し、驚いた。

―― と同時にものすごく気持ちが良かった。しばらくは、その浮遊感あるハーモニーとさざ波のようなリズムの虜となり、先生に「もっと他にもこういうのはないのか」とオネダリをしたのを覚えている…。

そんな別惑星からの使者、ジョビンへの敬愛から生まれた「アントニオの歌」。ジャズ・フュージョン界のトップアーティストを集めた洗練のサウンドと、マイケル・フランクスの囁くような甘い歌声。それだけでも十分に魅力的なのだが、この曲を印象づけたのは、なんといってもサビのメロディー3音だろう。


 But sing the Song
  ド ソ# シ
 (キーは Am)


伝わるだろうか、この妖艶な響き。そして、この「ドソ#シ」は、ストリングスによるカウンターメロディーの一部として、曲中で幾度も繰り返される。

ひねりのないコードでいくと E7 → Am で済むところを、このメロディー3音で Eaug7 → Am add9 を表現しているのだ。特に Am(ラ+ド+ミ)に乗るシの音、いわゆるナインス(9th)の響きが、翳りある雰囲気を醸しだし、切なげでクールなボサノバチューンとしての完成度を高めている。

こうしてボサノバ、AOR のフィーリングを絶妙にブレンドし、歌ものポップスとして耳なじみの良い仕上がりとなった「アントニオの歌」は、世界的なヒットとなり、その後多くのアーティストにカバーされた。そして、ジョビンの楽曲がマイケル・フランクスに大きな衝撃を与えたように、日本の作曲家にも大きな影響を及ぼしたと思われる。

マイナー(短調)のボサノバ調の曲に焦点を絞って、すぐに思い浮かぶのが「あの日にかえりたい」荒井由実(75年)。そして、「どうぞこのまま」丸山圭子(76年)である。なんとこの2曲は「アントニオの歌」以前のリリースだ。日本ボサノバ歌謡の先駆け、恐るべし。

振り返ると、60〜70年代のムード歌謡にも、所々に複雑なコードが見受けられる。だがそれらは、ラテンの中でもカリブ系のルンバやマンボ、チャチャチャから派生したものと思われ、ブラジル発祥のボサノバ流派とは別ものと想定される。何よりリズムがシンコペーションの「さざ波」ではない。そういった意味では、いち早くポップスにボサノバを取り入れたユーミン、丸山圭子は、実に偉大である。

そして、80年代に入ると、あの「ドソ#シ」が歌謡曲のメロディーに現れ、妖艶な響きを放ちはじめる。


テレサ・テン
「つぐない」(作曲:三木たかし / 1984)
♪ 窓に西陽が…
 ミドソ#シシーララー

桑田佳祐による『3大ドソ#シ』
「私はピアノ」(1980)
♪ くりかえすのはただ lonely play
 ラドレレレレミーレシー ドソ#シーラー

「匂艶THE NIGHT CLUB」(1982)
♪ 俺の Kiss は きっと痛いよ
 ミレドーレミソファー レミーミドソ#シーラー

「Long-haired Lady」(1985)
♪ 波音も濡れている Hello Darkness
 ドソ#シーラミー ミドソーファシー
 ファミーレードー



そもそも、音数の少ないシンプルなメロディーの裏で、複雑かつ繊細なハーモニーがうごめくボサノバの曲。それに、70年代後半からの AOR 人気が後押しをして、「アントニオの歌」につづくように、日本でもボサノバフレーバーの物憂げな歌謡曲が続々と登場していった。音楽に対して「都会的」という新たな評価基準が加わったのもこの頃だろう。

最後に、ボサノバ誕生から60年、地球の裏側に思いを馳せつつ、ボサノバ歌謡創成期の超私的ベストテンを発表(今回はマイナーキーのもの限定)。のちにユーミンの「あの日にかえりたい」をカバーしているマイケル・フランクスに、できることならこれらの曲も歌って欲しいものだ。


第10位 菊池桃子「もう逢えないかもしれない」(1985)
■作編曲:林哲司

第9位 鈴木雄大「レイニーサマー」(1983)
■作編曲:都倉俊一

第8位 早見優「哀愁情句」(1984)
■作曲:筒美京平 / 編曲:船山基紀

第7位 五十嵐浩晃「愛は風まかせ」(1980)
作曲:五十嵐浩晃 / 編曲:鈴木茂

第6位 研ナオコ「夏をあきらめて」(1982)
■作曲:桑田佳祐 / 編曲:若草恵

第5位 サーカス「Mr.サマータイム」(1978)
■作曲:Michel Fugain / 編曲:前田憲男

第4位 稲垣潤一「ドラマティック・レイン」(1982)
■作曲:筒美京平 / 編曲:船山基紀

第3位 中村雅俊「恋人も濡れる街角」(1982)
■作曲:桑田佳祐 / 編曲:桑田佳祐、八木正生

第2位 桐ヶ谷仁「さらば愛の日々」(1981)
■作曲:桐ヶ谷仁 / 編曲:松原正樹、松任谷正隆

第1位 杉山清貴&オメガトライブ「君のハートはマリンブルー」(1984)
■作編曲:林哲司

2018.09.18
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カタリベ
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