1977年

かまやつひろし「ニューミュージック・ベストテン」それってフォーク? 歌謡曲?

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シティポップ? シティポップス? ニューミュージック?


えーと、リマインダーでこういうことを言うのは少々気が引けるのだが、「シティポップ」という単語、あれどうにかならないんですかね? あの、ヤワっとした響き。ソフトロックという単語を初めて聞いたときも思ったが、気持ち悪いんだよ! …… あ、言っちゃった!

いや、シティポップが指す音楽自体は好きなんですよ。ただ、古いモノにそれっぽいレッテル貼って売り直す商売っ気とか、なんか引っかかる。少なくとも50代の人間なら “ニューミュージック” って言えよ!

そんな具合に、呑み屋のおっちゃんのグチのように始めてみた本コラムは、達郎もYMOも大貫妙子も、ニューミュージックと呼ばれていた時代のお話です。

ニューミュージックを教えてくれた、かまやつひろしのラジオ番組


ニューミュージックという言葉を初めて耳にしたのは、確か1978年。マナブ、小6の頃。当時ラジオのディスクジョッキーに興味を持ち始めていたのだが、ニッポン放送で土曜の夜にオンエアされていた『ニューミューシック・ベストテン』という番組がアンテナに引っかかった。確か、22:30から23時までの30分番組だったと思う。そのときどきに流行っていたニューミュージックを、レコード売り上げやリクエスト数によってランキングし、パーソナリティのかまやつひろしがカウントダウンしていく構成。それまで歌謡曲ばかり聴いていたけれど、「あー、こんなジャンルがあるのか…」と。

ニューミュージックとは、ざっくり言えば、フォークの発展形のようなものだった。シンガーソングライターの幅も広がったし、一方ではバンドも増えてきた。もはやフォークという呼び名は古いだろう…… 的な発想から生まれた…… のかどうか知らないが、とにかくいろいろと揃っていた。サザンからさだまさしまで、ユーミンから山崎ハコまで、ナウなヤングにバカウケの音楽が、そこには脈動していた。

まあ、今思うと、ニューミュージックというネーミング自体、相当にダサいのだが、英語もよくわからない小6のマナブには新鮮だったのです。

ニューミュージックと歌謡曲の境界とは?


じゃあ、ニューミュージックと歌謡曲の境界は何なのかと問われると、うまく説明できない。ツイストはインだったが、レイジーはアウトだった。松原みきはニューミュージックだったが、桑江知子はそうではなかった。

アーティスト自身が自分で曲を書いて歌えば、それはニューミュージック確定だが、そうでない人がニューミュージックに判定されることもしばし。筒美京平先生から曲を提供されていた大橋純子も、インだったから。ともかく『ニューミュージック・ベストテン』では、そういう分類がなされていた。

その頃のニューミュージックのスーパースターといえば、誰になるのか? ―― アリスや松山千春のようなフォーク勢は安定して強かった。一方のバンド勢ではツイストが人気で、サザンが猛追していた。甲斐バンドが「HERO」で同番組で1位になったときは嬉しかった。オフコースが同番組のチャートの上位に食い込んできたのもこの頃だったと思う。

ゴダイゴ怒涛の猛攻、ニューミュージック・ベストテンにランクイン


そんな中で、自分のアンテナに引っかかってきたのはゴダイゴだ。「ガンダーラ」「モンキー・マジック」でどっかーんと盛り上がった彼らは1979年の春~夏にかけて猛攻に入る。4月に「ビューティフル・ネーム」、5月にタケカワユキヒデのソロ曲「ハピネス」、6月に「遥かな旅へ」、7月に「銀河鉄道999」、8月にはトミー・スナイダーのソロ曲「マリン・エクスプレス」…… と、なんと5か月連続でシングルをリリースし続けた。

9月こそリリースはなかったが、10月には「ホーリー・アンド・ブライト」。もちろん、どれも『ニューミュージック・ベストテン』にはしっかりランクイン。「ビューティフル・ネーム」と「銀河鉄道999」はチャートのトップに立った…… と記憶している。

いずれもタイアップ曲だったので、テレビなどで頻繁に耳にはしたが、ホントにどれもイイ曲で、少ない小遣いでシングルを買い続けた。ときには、「英語の勉強をしたいから、買って」と親にねだったり。いや、実際「遥かな旅へ」の英詞は、中学生にもわかりやすかったし、勉強になった。

売れる・売れないにとらわれない、セレクトはムッシュこだわり?


『ニューミュージック・ベストテン』に話を戻すが、この番組ではチャートに上らなそうな、マイナーな新譜も紹介していた。佐藤隆や浜田金吾(省吾にあらず。そちらはチャートにしっかり入っていた)らのシンガーソングライターから、アナーキー、ルースターズなどのロック勢まで。おそらくは、売れる・売れないにとらわれない、かまやつ氏のこだわりのセレクトだったのだろう。

そんな音楽をどん欲にむさぼるうちに、自分の趣味はどんどんロックに感化されていき、中学を卒業するころには、「もうニューミュージックはどうでもいいかな……」と思えてきた。番組自体もその頃に終了したと記憶している。

ウィキペディアには当時からシティポップならぬシティポップスという言葉が使われていたという記述があるが、田舎者の筆者にはまったく記憶がない。当時その言葉を使っていたという方がいたら教えて欲しいのだが、いずれにしてもジャンルは曖昧なものだ。中古レコード屋の仕切り版として重宝している…… 程度の受けとめ方でよいのではないだろうか。

とりとめもなく思い出話を連ねてみたが、問いたいのは、「じゃあ今、ゴダイゴは “シティポップ” なのか?」ということだ。この言葉によって再評価されるのならば、シティポップにも意義があるんじゃないだろうか。個人的に、ゴダイゴに今あえてジャンル名を付けるなら、“インディー・ポップ” と呼ぶね。ガンダーラだけに…… と、呑み屋のおっちゃん的なギャグで締めます。



2021.05.03
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カタリベ
1966年生まれ
ソウママナブ
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