人生の中で “最も多感な時期” と言われる思春期。いたいけな幼少時代を卒業し、晴れて中学校に入学。これから俺もいっぱしの大人に向けて世の中に飛び出るぞー! という希望に満ちたタイミング。
そんな時、歌番組に彗星の如く現れたロックンロールバンド、横浜銀蝿。テレビに映った姿はリーゼントに革ジャン、パンツは見たこともないボンタン(幅の広いズボン)。第一印象はこんな感じ。
なんじゃぁ! こいつら?
当時はかなりのインパクトでメディアにもどんどん取り上げられ、81年1月に発売した「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」は、チャートを急上昇、ザ・ベストテンやオリコンで2位を獲得するほどの大ヒットになった。
ちなみに、正式バンド名は――
THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL
長がっ!
彼らの人気に拍車をかけたのは、空前のツッパリブーム。それに乗じて「なめ猫」グッズなる物も発売され、世の中は続々とヤンキースタイルが量産される異常事態になっていた(笑)。
なめ猫とは、80年代初頭の日本で短期間流行した、暴走族風の身なりをした猫のキャラクター。ポスターは600万枚、自動車免許証風のブロマイドは1,200万枚売れたらしい。若い人には信じられないかも知れないが、現代で言うと、ポケモンやクマモンに引けを取らない勢いで、クラスのほぼ全員「なめ猫免許証」を持っていた。かく言う私も、2枚所持。名刺代わりに使っていたのを覚えている。
もちろん、横浜銀蝿も飛ぶ鳥を落とす勢いで、81年10月に「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」、翌年には「お前サラサラサーファー・ガール おいらテカテカロックン・ローラー」をリリース。ツッパリロックンロール的な新しいジャンルが確立された。
そして、ドラマ『茜さんのお弁当』の主題歌にリードギターの Johnny が歌う「ジェームス・ディーンのように」が採用され、彼らの妹分として岩井小百合なるアイドルもデビュー。派生バンドの紅麗威甦(グリース)には、現在俳優として活躍する杉本哲太も在籍していた。今思えば EXILE のようなバルク商法(まとめ売り)の先駆けだったのかも知れない。そう考えると、以降の音楽業界にインパクトを与えているのかも...
かつて、私が過ごした田舎の中学校も、晴れて市内 No.1のヤンキー校に成り上がり、学校内には銀蝿を彷彿させるヤンキーがウヨウヨ歩いていた。
一番記憶にあるのは、文化祭のイベントで先輩が即席銀蝿バンドを組んだこと。「ツッパリHigh School Rock'n Roll」の演奏が始まった途端、諸先輩方全員立ち上がり、当時流行っていたローラー族よろしく “片足を上げて” 踊り出した(それにしても、今思えば変なダンスだった)。
こんな時代は、もう訪れないのか? 違う形で存在するのか? まぁー楽しい時代だった。
Song Data
■ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)/ 横浜銀蝿
■作詞・作曲・編曲:タミヤヨシユキ
■発売:1981年1月12日
※2015年12月31日に掲載された記事をアップデート
2019.01.12
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