4月21日

佐野元春の革新性、そして日和ることなきロックスピリット

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リ・リ・リリッスン・エイティーズ ~ 80年代を聴き返す ~ Vol.3
BACK TO THE STREET / 佐野元春

80年代で決して外せないアーティスト


佐野元春については、スージー鈴木さんをはじめ、このサイトでは既に語り尽くされたような感もありますが、「80年代を聴き返す」というテーマにした以上、まさに1980年に登場した彼のことを、やはり取り上げないわけにはいきません。

私は1985年からEPICソニーで音楽ディレクターを努めましたが、佐野くんのデビュー時は渡辺音楽出版という会社に所属し、彼とほぼ同時期にそのキャリアをスタートした山下久美子を担当していました。二人ともデビュー前から、当時新宿にあったライブハウス「ルイード」でマンスリーライブを始め、当初は数えるほどの観客しかいなかったことや、それが急に増えて100人を突破した時期(80年末)も、なぜか同じでした。佐野くんに山下の曲を書いてもらったり、それを伊藤銀次さんにアレンジしてもらったりもして、いろんな縁もありました。

売れる前からEPICソニーの期待の星だった佐野元春


会社としてEPICソニーがスタートしたのが1978年8月で、邦楽はゼロからの出発でしたし、「ロックレーベル」という打ち出しでしたから、佐野元春には大きな期待がかかっていました。ラジオ局などへプロモーションに行くと、「MOTOHARU SANO」と名前の入った揃いのジャンパーを着た人たちがゾロゾロと歩いている光景によく出くわしました。もちろんEPIC のスタッフです。

売れることがほぼ確実なビッグアーティストでもなければ、レコード会社の人が何人も連れ立ってプロモーションに廻るなんてことはまずありませんでしたから、異様でしたね。まぁ当時のEPICには他に押すべきアーティストもいなかったのでしょうが。

81年頃かな、私は “児島鉄兵”(※1)というボブ・ディラン好きの SSW と知り合って、彼と契約してくれるレコード会社を探しており、佐野くんを担当していたEPICのプロデューサー小坂洋二さんにもアプローチしました。そしたら「今、佐野に集中したいから」という理由で断られました。実は「小坂さんは佐野くんしか担当していないようだから、余裕があるだろう」なんて考えて打診したのです。レコード会社の A&R は何組ものアーティストを抱えているのがふつうですから。私も、山下久美子はだいじでしたが、そうして児島鉄兵や他のアーティストのことでも動いていましたし。

ところが、まだ売れてもない佐野元春だけに集中し、他のことはやらないと言い切る。そんな小坂さんに驚いたし、それをよしとするEPICというレコード会社もすごいなと思いました。いや、カッコよかったです。すばらしいと思った。そして佐野元春が羨ましかった。こういうこともあったから、後に私はEPICを転職先に選んだのですが。

本格的ロックで初めて成功したアーティスト


佐野元春という人は、日本の音楽マーケットで初めて、ロック一本で日和ることなく、成功を勝ち取ったアーティストの一人だと思います。同時期に “RCサクセション” もロック路線に切り替えて人気を博したり、まあ山下久美子も含め、80年代という新しい時代を迎えて、人々が気分的にも何か新しいものを求めていたのだと思いますが。

“なんちゃってロック” で成功する例は、彼以前からいくつもありました。ビートルズに影響されて、雨後のタケノコのように生まれたグループサウンズはその分かりやすい例でしょう。一応ロックの形はしていても歌も精神も歌謡曲そのものでした。日本では歌謡曲じゃないと、大きくは売れなかったのです。“ゴールデン・カップス” などやりたかったのはブルースロックなのに、シングルは歌謡曲でした。そして “ほんものロック” を目指した人たち、“はっぴいえんど”、“フラワー・トラベリン・バンド”、“クリエイション”、“シュガー・ベイブ” などは、いずれも少数のファンを獲得しただけでした。

佐野元春の時代も、“なんちゃってロック”、“なんちゃって**”、外見はどうでもその実歌謡曲というほうが売れやすいことに、根本的に変わりはなかったのですが、彼は先人たちよりずっと多くの人々を振り向かせることができました。それはなぜか。一つには前述した人々の気分の変化ということがあるでしょう。二つ目はロックレーベルを標榜したEPICの存在。プロデューサーが佐野元春だけに集中し、メジャーレコード会社が彼だけをプッシュした。三つ目に本人の才能と努力。その三位一体によるパワーが、重い扉を押し開けたと言えるのではないでしょうか。

その革新性は、日本語をロックビートに乗せたこと


何が “ほんものロック” なのかは、いろんな考え方もあるでしょうが、「歌とサウンドのビートがロック」であることが基本だと思っています。そこに立ちはだかるのが日本語という壁。日本のミュージシャンにとって大きな課題だったのが、「日本語をロックビートに乗せる」ことでした。70年代の初め頃は、内田裕也さんなど「ロックに日本語は合わない。英語で歌うべき」なんてマジメに言い切ってたくらいです。

佐野元春の革新性も「言葉のビートへの乗せ方」にあることは、スージーさんもご指摘の通りだと思いますが、同じ年&同じ星座生まれの桑田佳祐もがんばっていた。ただ桑田の場合はやはり歌謡曲とのチャンポンだと思います。これは悪口ではなくていい意味で。別の革新性と言っていい。ビートもロックというよりは、歌謡曲と相性のよいラテンビートでした。

佐野くんメソッドの先達としては、大瀧詠一さんが挙げられるんではないかな。大瀧さんの1stソロアルバム『大瀧詠一』(1972)は、はっぴいえんどからさらにステップアップした日本語ロックビートの傑作で溢れていますね。「あつさのせい」なんてその最たるものです。ただまあ、ビートから言葉を選んだようなもので、詩としての深みはない。歌謡曲とフォークの時代にこれは受け入れられず、大瀧さんの成功は、松本隆の詩ともっと説得力のあるメロディを持った『A LONG VACATION』(1981)まで待たねばなりませんでした。

デビュー作「BACK TO THE STREET」に見えるロックへの葛藤


さてこの『BACK TO THE STREET』、すでに佐野くんの中では迷いなくロックスピリットが確立していたと思うのですが、大村雅朗さんのアレンジがちょっとだけ違和感を放っていて、アルバム全体のまとまりを損ねている、と私には思えます。アルバム10曲中、大村さんが5曲、伊藤銀次が4曲、本人が1曲のアレンジをしていて、銀次さんのアレンジは曲としっくりハマっています。ただちょっと花が足りない。大村さんのは花があるんだけど、やはり彼が持っている歌謡曲感が顔を出す。たとえば「アンジェリーナ」で歌の間に合いの手のように割り込むハモったギターのフレーズとか。これも悪口ではなくて、私は大村雅朗ファンなのですが。

大村さんアレンジ曲のレコーディング現場は、佐野くんと大村さんやミュージシャンがぶつかってたいへんだったみたいですね。佐野くんのやりたい方向と違ったのでしょうが、大村さんも相手に合わせるタイプじゃないし。一方銀次さんは事前に佐野くんと綿密なアレンジ打合せを行った。「彼にはもう全部聞こえてるんですよ… サックスのフレーズはこう、とか」と銀次さんは語っています。それを音楽的に整え、足りないところは足すというやり方でいったから、こちらはスムーズに進んだ。そういう対照的な経緯が音にも出ていると思うんです。だからまとまりがない。ただもう今となっては、そんな弱点はかえって微笑ましいですけどね。

丸山茂雄の名言も佐野元春から生まれた?


さて、三位一体パワーをもってしても、扉は重し。佐野元春、すぐには売れず、このアルバムおよび2nd はチャートインもできませんでした。でも3rd アルバム『SOMEDAY』(1982)でオリコン4位と、やっと花開きます。

これを見てEPICのボス、丸山茂雄が嘯いたのが「アルバム2枚、いいもの創って、がんばってプロモーションすれば、3枚目にはちゃんと評価される」という名言。そんな悠長なこと今は誰も言ってくれませんが、それは当時のEPICの思想となり、それでちゃんと実績を上げていきました。そういう意味でも、EPICソニーは佐野元春から始まったと言えますね。


編集部注:本文にあります、児島鉄兵のエピソードについては『小さなスタジオで知ったジョン・レノンの訃報、そして形にできなかった音楽』でも紹介されています。こちらも是非ご覧ください

2020.05.23
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  YouTube / 佐野元春 - DaisyMusic


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カタリベ
1954年生まれ
福岡智彦
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