4月21日

鳴り響くロックンロール!ピート・タウンゼントのステップは止まらない

31
0
 
 この日何の日? 
ピート・タウンゼントのアルバム「エンプティ・グラス」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1980年のコラム 
究極の鋼鉄美学、ジューダス・プリーストはヘヴィメタルの教科書!

知る人ぞ知る “ニュー・ミュージック” 愛すべきトニー・マンスフィールドの世界

平尾昌晃だけじゃない!必殺シリーズが駆け抜けた80年代

音楽が聴こえてきた街:佐野元春「情けない週末」洒脱で自由な横浜の魔力

80年代で一番売れた曲「ダンシング・オールナイト」7秒のイントロでハートを鷲掴み!

カシオペアの輝き、鮮烈な眩しさを放つ「サンダー・ライブ」

もっとみる≫



photo:petetownshend.net  

ピート・タウンゼントは複雑な人なのだと思う。幼少期のトラウマを抱え、頭脳明晰で、物事を深く考えては悩み、解決の糸口を求めて心の底へと潜っていく。しかし、解決しようとすればするほど問題は巨大化し、ピートを苦しめる。彼は癇癪を起こし、怒りを爆発させる。すると、喜び、悲しみ、慈しみなど、様々な感情が波紋のように広がっていく。

悩みが深いほど爆発は大きく、問題が複雑なほど感情の振り幅は広くなる。そして、音楽はその魅力を増していく。

別に決めつけるつもりはない。ただ、ピート・タウンゼントの音楽を聴いていると、僕はよくこんな気持ちになるのだ。かつてピートは「ロックンロールは人を救ったりしない。悩んだまま踊らせるんだ」と語ったが、僕にとってはその当事者こそピート・タウンゼントその人だった。

1980年から1982年の3年間に、ピートはザ・フーで2枚、ソロで2枚のアルバムをリリースしている。そしてこの時期、ピートは難しい問題をいくつか抱えていた。結婚生活の破綻、アルコール依存症、ドラッグの乱用では命を危険にさらしたこともあった。こうした普通ではない状況が、より一層ピートを創作へと駆り立てたのかもしれない。

そんなピート・タウンゼントの80年代は、「ラフ・ボーイズ」という曲から始まる。ピート初の本格的なソロデビュー作『エンプティ・グラス』のオープニングを飾り、彼のソロキャリアの中でも名曲のひとつとして数えられるナンバーだ。

新しい時代の幕開けを告げる素晴らしいロックンロールで、聴くたびに胸を強く押されたような気持ちになる。背中ではなく胸をドンと押されるのだ。挑発されるみたいに。「ババ・オライリィ」や「リアル・ミー」や「フー・アー・ユー」がそうであるように。

ピートは、覆いかぶさってくるすべての憂さを、唾を飛ばすようなヴォーカルと、他の誰にも鳴らすことのできないパワーコードをもって、遠い彼方へと追い払って見せる。その強靭なまでのスピリッツは実に感動的だ。

歌詞は韻を踏みながら、短いフレーズを畳み掛けていく。ホモセクシャルについての歌だと言われ、ピートもそれを認めているが、言及されるほど露骨な表現があるわけではない。むしろ抽象的で、どうとでも捉えることができる。

ミュージックビデオは、ピートがテレキャスターを弾きながらビリヤードをする若者たちに終始からむというもので、その姿は喧嘩を売っているようにも見える。無精髭、着くずした服装、煙草をくわえる仕草、切れのある動き、すべてが攻撃的だ。

「ラフ・ボーイズ」を聴くと、僕の頭はショートする。おそらく曲が持つエネルギーにやられて、一時的にイカれるのだろう。なんだか自分の悩みがちっぽけに思えて、そんなものは乱暴に追い払ってしまえばいいという気持ちになる。ピート・タウンゼントがやってみせたように、僕もやっていいのだと。

結果として、「ラフ・ボーイズ」はヒットするには至らなかったが、セカンドシングルの「ハートの扉(Let My Love Open The Door)」は全米9位まで上昇。アルバム『エンプティ・グラス』も全米5位を記録するなど、ピートのソロキャリアは順調なスタートを切ったように見えた。しかし、現実生活における問題がすぐに解決されることはなく、しばらくの間ピートを苦しめることになる。

そして、1983年6月、ザ・フーは解散を表明。ロジャー・ダルトリーはその理由について、「ピートからプレッシャーを取り除いて、楽にしてやりたかった。そうすればあいつは自殺しないだろうと思った」と語っている。

ピートがそこまで追い詰められていたと知ったときは驚いた。というのも、ピートはいつだって現状を打破しようとし努力してきたし、あの火を吹くようなパワーコードを聴けば圧倒され、彼の勝利を確信してしまうからだ。

でも、現実はそれほど単純ではないのだろう。あのときもピート・タウンゼントは悩みながら踊っていたのだ。悩みが深いときほど、人の心の内は見えづらいものなのかもしれない。そう思うと、誰しも生きているのが当たり前ではないことに気づかされる。あのときピートのステップが止まらなくて本当によかった。そして今も踊りつづけていることに心からのリスペクトを。

生きているからこそ僕らは悩む。悩むからこそ僕らは踊る。そこでは今もロックンロールが鳴り響いている。

2018.05.11
31
  YouTube / Ryder276
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1970年生まれ
宮井章裕
コラムリスト≫
78
2
0
0
2
ジョー・ストラマーの命日は “月に手を伸ばせ、たとえ届かなくても”
カタリベ / 本田 隆
67
1
9
8
8
いつから僕は忌野清志郎をリスペクトするようになったのだろう?
カタリベ / 宮井 章裕
21
1
9
8
2
91年生まれの僕と「ザ・フー」80年代の評価などどうでもよかった!
カタリベ /  白石・しゅーげ
59
1
9
8
0
時代を駆け上った横浜銀蝿、日本中を席巻し昭和天皇とも対面!
カタリベ / 本田 隆
44
1
9
8
5
フジテレビが中継したライヴエイド、僕らの観たスーパースターは1時間遅れ
カタリベ / 宮木 宣嗣
34
2
0
1
8
THE MODS — 37年目の「TWO PUNKS」と雨の日比谷野外音楽堂
カタリベ / 本田 隆