ピート・タウンゼントは複雑な人なのだと思う。幼少期のトラウマを抱え、頭脳明晰で、物事を深く考えては悩み、解決の糸口を求めて心の底へと潜っていく。しかし、解決しようとすればするほど問題は巨大化し、ピートを苦しめる。彼は癇癪を起こし、怒りを爆発させる。すると、喜び、悲しみ、慈しみなど、様々な感情が波紋のように広がっていく。 悩みが深いほど爆発は大きく、問題が複雑なほど感情の振り幅は広くなる。そして、音楽はその魅力を増していく。 別に決めつけるつもりはない。ただ、ピート・タウンゼントの音楽を聴いていると、僕はよくこんな気持ちになるのだ。かつてピートは「ロックンロールは人を救ったりしない。悩んだまま踊らせるんだ」と語ったが、僕にとってはその当事者こそピート・タウンゼントその人だった。 1980年から1982年の3年間に、ピートはザ・フーで2枚、ソロで2枚のアルバムをリリースしている。そしてこの時期、ピートは難しい問題をいくつか抱えていた。結婚生活の破綻、アルコール依存症、ドラッグの乱用では命を危険にさらしたこともあった。こうした普通ではない状況が、より一層ピートを創作へと駆り立てたのかもしれない。 そんなピート・タウンゼントの80年代は、「ラフ・ボーイズ」という曲から始まる。ピート初の本格的なソロデビュー作『エンプティ・グラス』のオープニングを飾り、彼のソロキャリアの中でも名曲のひとつとして数えられるナンバーだ。 新しい時代の幕開けを告げる素晴らしいロックンロールで、聴くたびに胸を強く押されたような気持ちになる。背中ではなく胸をドンと押されるのだ。挑発されるみたいに。「ババ・オライリィ」や「リアル・ミー」や「フー・アー・ユー」がそうであるように。 ピートは、覆いかぶさってくるすべての憂さを、唾を飛ばすようなヴォーカルと、他の誰にも鳴らすことのできないパワーコードをもって、遠い彼方へと追い払って見せる。その強靭なまでのスピリッツは実に感動的だ。 歌詞は韻を踏みながら、短いフレーズを畳み掛けていく。ホモセクシャルについての歌だと言われ、ピートもそれを認めているが、言及されるほど露骨な表現があるわけではない。むしろ抽象的で、どうとでも捉えることができる。 ミュージックビデオは、ピートがテレキャスターを弾きながらビリヤードをする若者たちに終始からむというもので、その姿は喧嘩を売っているようにも見える。無精髭、着くずした服装、煙草をくわえる仕草、切れのある動き、すべてが攻撃的だ。 「ラフ・ボーイズ」を聴くと、僕の頭はショートする。おそらく曲が持つエネルギーにやられて、一時的にイカれるのだろう。なんだか自分の悩みがちっぽけに思えて、そんなものは乱暴に追い払ってしまえばいいという気持ちになる。ピート・タウンゼントがやってみせたように、僕もやっていいのだと。 結果として、「ラフ・ボーイズ」はヒットするには至らなかったが、セカンドシングルの「ハートの扉(Let My Love Open The Door)」は全米9位まで上昇。アルバム『エンプティ・グラス』も全米5位を記録するなど、ピートのソロキャリアは順調なスタートを切ったように見えた。しかし、現実生活における問題がすぐに解決されることはなく、しばらくの間ピートを苦しめることになる。 そして、1983年6月、ザ・フーは解散を表明。ロジャー・ダルトリーはその理由について、「ピートからプレッシャーを取り除いて、楽にしてやりたかった。そうすればあいつは自殺しないだろうと思った」と語っている。 ピートがそこまで追い詰められていたと知ったときは驚いた。というのも、ピートはいつだって現状を打破しようとし努力してきたし、あの火を吹くようなパワーコードを聴けば圧倒され、彼の勝利を確信してしまうからだ。 でも、現実はそれほど単純ではないのだろう。あのときもピート・タウンゼントは悩みながら踊っていたのだ。悩みが深いときほど、人の心の内は見えづらいものなのかもしれない。そう思うと、誰しも生きているのが当たり前ではないことに気づかされる。あのときピートのステップが止まらなくて本当によかった。そして今も踊りつづけていることに心からのリスペクトを。 生きているからこそ僕らは悩む。悩むからこそ僕らは踊る。そこでは今もロックンロールが鳴り響いている。
2018.05.11
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YouTube / Ryder276
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