2月25日

始末に負えない2人のルーツ、とんねるず「嵐のマッチョマン」

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とんねるず、10枚目のシングル「嵐のマッチョマン」(1987年)。ユーロビートに象徴される第2次や3次のディスコブームが隆盛していた時期に、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(日本公開1978年)がもたらした “1次前” のダンスフロアを敢えて復刻してみせたオマージュナンバーである。

尖ったシンセの音色こそ発売時期のトレンドだが、曲調のほうは歌詞に曲名や関連フレーズが多数引用されている通り、アラベスク「ハロー・ミスター・モンキー」(1977年)や、シック「おしゃれフリーク(Le Freak)」(1978年)といった70年代のディスコソウルから踏襲されたスタイル。

そして、曲調以上に時代性を匂わすのが、石橋貴明扮する DJ “マイケル石橋” である。チャート情報、フロア案内、グッズ案内、誰だか知らない誕生日祝い… 聴くにつれサーファーカットが脳裏に焼きつく軽妙かつ軽薄なトークを、イントロとアウトロで披露している。

 【イントロ・パート】
 ハーイ、7時から DJ を
 バトンタッチしたのは
 僕、マイケル石橋
 どこよりもゴキゲンな
 ファンキーミュージックかけちゃうよ
 リクエストカードよろしくね
 さて、当店ではフリードリンク、
 フリーフード、磯辺もあるよ
 さあ、流れてきたのは
 ファンキー小僧が涙モノ
 全米ヒットチャート急上昇
 前作「炎のエスカルゴ」に続いての
 強力シングル第2弾
 嵐の、「嵐のマッチョマン」

 【アウトロ・パート】
 さて、今僕が着ているのは
 当店特製のヨットパーカー
 欲しい人は従業員に云ってね
 まったく関係ないけど、
 今日はジュンペイが誕生日
 みんなでハッピーバースデイよろしく
 さあ、うちは12時過ぎてもやっちゃうよ

 ※以上、著者文字起こし

作編曲は、スラップベースの名手としても知られる後藤次利。作詞はとんねるずのブレイン・秋元康だが、上記のトークまで1字1句考えたとみるのは無理がある。当時の石橋貴明と秋元康は仕事が済んだ深夜に行きつけの店に集まっては明け方まで(仕事につながり得る)談笑をしていたというから、おそらく本作はコンセプトの段階から2人共同で練りあげ、そこに後藤次利の音楽性、何にでも対応できる木梨憲武の天才性が加わり完成したのだと思う。


■新宿ディスコ・フィーバー伝説

いわゆるワンフーであれば、昨春「嵐のマッチョマン」の制作背景が読みとれる特集があったのをご存知だろう。

好奇心のおもむく分野・体験について異常なほどの記憶力をもつ貴明が、様々なゲストとノスタルジーを共有する深夜番組、フジテレビ『石橋貴明のたいむとんねる』だ。第2回特集「勝手に語り継ぎたい 新宿ディスコ・フィーバー伝説」(2018年4月23日放送)は傑作回である。

レギュラー放送の40分間に――

【1】帝京高校時代の回想
【2】『サタデー・ナイト・フィーバー』の解説
【3】新宿有名店の解説(地図付き)
【4】治安にまつわる回想
【5】ファッションにまつわる回想
【6】チークタイムとナンパにまつわる回想
【7】スタジオでの DJ 生再現
【8】ディスコ同好会を加えてのダンス生再現
【9】「嵐のマッチョマン」の解説

―― という数多のトピックが過不足なく収まった見事な構成だった。

「ビバ、ギリシャは初心者にやさしい。ビバ、ギリシャじゃアレだよねっていったヤツが(上級者向けの)ニューヨークニューヨークに行くの」※【3】より

「シンナーは僕らの時代の暗語でアンパンだったんです。“あいつアンパン買いに来たぞ” って。最初 “なんでこのへんに? え? 木村屋があそこにあるから?”。そういうエリアだったんです」※【4】より

「ボコボコのローレルの SGX に板のっけて “俺サーファーだからよ” って、おまえ違うじゃねーかよって。急に暴走族からサーファーになっちゃう」※【5】より

「僕はリック・ジェームス大好きです。ブルーノ・マーズは絶対アレですよね、リック・ジェームス。ギビトゥミ(Give It To Me)セイホワ~(Say What)ってね」※【7】より

こんな具合に、特異な史観と話芸をもって独壇場でしゃべるしゃべる。新宿のディスコにゆかりがあるゲストの DJ KOO も感心しきりだった。この放送をみれば「嵐のマッチョマン」が貴明の(あるいは憲武も含めた)体験から生まれたものだったことは明らかであり、延いては、ロジックよりもグルーヴが優先されるとんねるずのユーモアセンス自体にディスコとの親和性が感じられる。


■ずっと踊ってきたお笑いコンビ

ふりかえれば、彼らはダンスミュージックをお茶の間に鳴らす有能なメディアでもあった。

古くは、映画『ブレイクダンス』(日本公開1984年)にターボ役で出演したブガルー・シュリンプを番組に引き込み、ダンスコーナーを主宰。後に EXILE 創始者の HIRO が「全国のダンサー20万人くらいが持ってましたよ、ビデオ」と語っており、はからずもシーンに多大な影響を与えていたようだ。またブガルーをモデルにしたコントキャラ “ストロベリー” は貴明の代表作。ぼくらアラフォー世代では、とんねるず先行で欧米のリズムセンスなるものを知った人も多いと思う。

フジテレビ『とんねるずの みなさんのおかげです』では、貴明がプリンスや M.C.ハマー、憲武がマイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソンなどの MV パロディに度々挑戦。人気絶頂のハマー本人を招く展開にもなった。

チェッカーズ「ONE NIGHT GIGOLO」(1988年)は発売からほどなく、憲武がイントロでひとしきり踊った直後に頭をはたかれるギャグと不可分になった。近年もリバイバルした荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」(1985年)は、90年代前半のうちにシリーズコント内に組み入れられ、とんねるず発案の振り付けがやがて荻野目のステージで正式採用に至った。同時期に渋谷哲平「Deep」(1978年)のプチリバイバルというのも起きていたが、そちらでの2人の着眼点もやはり珍妙なダンスである。

30歳以上の一般人を出場条件にしたワンコーナー「SOUL TUNNELS」も鮮烈な印象だ。70年代のダンスフロアの熱狂が生々しく伝わる企画だった。ああそうそう、観衆を相手にした企画だと他に日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』のほうで、貴明による男性ストリップバーでの即興ダンス、憲武による大滝愛子指導のもとでのバレエ公演、それぞれオリジナルチームを率いてのエアロビクス選手権挑戦なども各時期に反響を呼んだ。うまいヘタはともかく、なんでも堂々と踊るのである。

そして、平成の終盤戦にとんねるずが仕掛けた大型のメディアミックスといえば “野猿” と “矢島美容室”。日々閉塞化してゆくテレビ界で突破口を模索した結果、繰り返し選択したものがダンスミュージック主体のユニットだったことは実に合点がいく。それこそが彼らの最たる原動力だからだ。とりわけ矢島美容室のコンセプトはセルフオマージュの意味合いが強く、シングル群はいずれもディスコ路線。皆がソウルディーヴァ風のコスプレをする中、貴明のキャラには再び “ストロベリー” と名付けられていた。

踊るように暴れ、暴れるように踊り、時々歌う。

とんねるずの約40年史を一行で表すならそんなところだろう。「嵐のマッチョマン」はいわば、始末に負えない2人のルーツが明快に示された記念碑的1作なのである。


■近年のパフォーマンス

2014年のフジテレビ『FNS 歌謡祭』出演時、とんねるずは「嵐のマッチョマン」で E-girls と、「炎のエスカルゴ」(1988年)でももいろクローバーZと、「ガラガラヘビがやってくる」(1992年)で AKB48 とコラボレーション。本来なら競合となる人気ガールズグループ3組を繋ぎあわせるかたちで、ダンサブルな3曲のメドレーを披露し会場を沸かせた。

「炎のエスカルゴ」はもともと「嵐のマッチョマン」の DJ トーク中に出てくる架空の “第1弾シングル” だったが、翌年 “チャート再浮上” という設定で実際に制作された姉妹曲。すなわち、ただでさえ稀少価値が高くなった彼らのステージでこの2曲を立て続けに聴けたことは、ワンフーならばファンキー小僧でなくとも涙モノというわけなのである。

今後のとんねるず本格再始動について、大規模なコンサート構想もあることが憲武から明かされているが、さてどうなるのだろう。そうなったあかつきには是非、重苦しい時代の空気などそっちのけでゴキゲンに歌い踊る2人を見たい。

2019.02.11
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