14歳の時です。同じクラスで仲の良かったメガネをかけた真面目な女の子、ダニに誘われ私は演劇部に入りました。そこは、クラス以外の友だちと出会うきっかけになり、楽しい思い出が沢山あります。
演劇部のメンバーはみんな個性的で、まずは社会の先生、タバコを吸いながら教壇に立っていました(笑)。一番背の高い男の子、オンサは顔がシュワッツェネッガー似なのにジェームス・ディーンの生まれ代わりだと思い込んでいました。金髪で青目のパチは芸能人並みに美しかったのですが演技力が… ラテン系のドウグラスはイケメンでしたが背が小さく、家があまり豊かではないことをコンプレックスに思っていました。
そのドウグラスは以前通っていた学校の友だちとバンドを組んでいたようで、キーボードを弾ける人を探していました。学校では音楽祭が開催されるという噂が流れ、当時、ピアノを弾ける人があまりいなかったので、何がきっかけか忘れましたが、私はドウグラスのバンドでキーボードを弾くことになりました。気が付くと、ドウグラスの友だち3人が大荷物を自宅のガレージに運んでいたりして。それがドラムセットやスピーカーであることに後から気付き、それらが爆音を放つものだということも後から分かりました。
スタジオ化した我が家のガレージの爆音に左右のお隣さんからクレームが毎日のように来ていましたが、初めて見るエレキギター、ベースとドラムのあまりのかっこよさに圧倒され、「クレームが来るからやめよう」と一切思うことなく「すみません」と謝ることしかできませんでした。初めて入ったバンドで演奏したのがU2の「ニュー・イヤーズ・デイ」。楽譜もなければ、原曲も聴いたことがありません。しかも、ヴォーカル担当のドウグラスは音痴で、何を歌っているのかわかりませんでした(笑)。
「ここをこう弾いいて」と指示され、いざ演奏。ベースのかっこいいフレーズから始まるこの曲とザ・キュアの「クロース・トゥ・ミー」を毎回練習していました。ほとんど休憩時間がだったような気もしますが(笑)、ドラムを叩いてみたり、ギターやベースも弾いてみたりして、みんなとても優しく教えてくれました。
結局は学校の音楽祭の話が流れ、同時にバンドが解散しましたが、私が日本に移り、高校生になったときにバンドをやるきっかけになりました。毎年、大晦日にどこかしらのラジオでこの曲が流れてくると、当時のベースの弦の錆びた匂いや彼らの優しさを思い出しながら一年を振り返っています。
2016.05.30
YouTube / tbshockwave
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