9月18日

ボブ・ディランが切り拓いた新たな地平、復活のヒントは苦闘の80年代にあり

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ボブ・ディランのアルバム「オー・マーシー」が全米でリリースされた日
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photo:SonyMusic  

ボブ・ディランといえば、アメリカ音楽界の、文字通り “生ける伝説” の1人だ。2016年に、シンガーソングライターとして初めてノーベル文学賞を受賞したことは記憶に新しい。受賞の理由は「アメリカの偉大な歌の伝統の中で新しい詩的表現を生み出したことに対して」だった。しかし、そんなディランにも苦闘の時期が存在した。彼は、そのスランプをどう抜け出したのか?

ディランは、79年、キリスト教に傾倒していることを綴った、いわゆる「ゴスペル3部作」の第1弾となるアルバム、『スロー・トレイン・カミング』をリリース。ビルボードチャート3位という実績を残す。さらに、収録曲である「ガッタ・サーヴ・サムバディ」はグラミー賞のベスト男性ロックボーカル・パフォーマンス賞まで受賞し、最高の形で、70年代を締め括った。

ところが、その成功後、出されたアルバム2枚、80年の『セイヴド』(全米24位)、81年の『ショット・オブ・ラブ』(全米33位)は、前作のような大ヒットとはならなかった。

しかも、アルバムを PR するライブツアーの演奏曲は、当初、新曲が殆どだったが、チケットの売れ行きが振るわず、わざわざ「60年代、70年代のヒット曲も披露する」と、ツアー告知にコメントを加えることになる。これによって最新作が不評であることを暗に認めるような展開になってしまった。

その後も88年まで、4枚のスタジオアルバムを出したが、ベストセラーには至らず、ディラン自身の新曲も減っていった。ゲストの顔ぶれは豪華だが、肝心の本人が創作意欲に欠け、心ここにあらず、の状態となっていたようだ。レコードジャケットなどのアートワークも、本人の意思が完全に反映されていたとは言い難い。

この時期、何度かディランのレコーディングに参加したロン・ウッドによると、「一番驚いたのは、ディランが、自身の曲を、周囲のスタッフやプロデューサーの言われるままに、カットさせたり、アレンジをさせてしまうこと」だったそう。そうかと思うと、ある点については、独特の威圧感を発揮して、頑なに手を入れられるのを拒むなど、頭に ? マークが多数浮かぶような言動が多かったようだ。

80年代、ディランは39歳から48歳。日本でいうところの、前厄、本厄、後厄のど真ん中の時期だ。その事は、さすがに本人は意識はしていなかったかもしれないが、『ボブ・ディラン自伝』で、89年、アルバム『オー・マーシー』の制作前に、スランプに陥いり、「もう自分が歌う歌は書けないのではないか」など、引退すら考え苦悩した時期があったことを告白している。

しかし、そんな時期を乗り越えての90年代、2000年代の大復活の秘密はどこにあったのか? それは2点ある。

1点めは、1986年からスタートしたライブツアー、通称『ネヴァー・エンディング・ツアー』が成功し、ツアー生活が軌道に乗ったこと。小編成で、シンプルなアレンジが身上のツアーバンドに恵まれ、これまでディランの音楽に、ライブで触れたことがなかった世代の聴衆と直に接し始めるようになった。これが、眠っていた天才の創造力に「火をつけた」ということ。

2点めは、U2 のボノに推薦されたプロデューサー、ダニエル・ラノワとの出会いが大きかった。ダニエルは、ソロアルバムもリリースしているベーシストでもある。ディランが、自作の「神が味方」、「ホリス・ブラウンのバラッド」を聴き、プロデュースをダニエルに依頼するきっかけになった。その2曲が収録されたネヴィル・ブラザーズの『イエロー・ムーン』(89年)、や、エミルー・ハリスの『レッキング・ボール』(95年)などの制作現場で、ベテランアーティストの経験を、最新のレコーディング技術と具体的に結びつけられるノウハウを、ダニエルは熟知していた。そのため、ディランはソングライティングそのものに集中できるようになった、ということ。

こうして万全の創作環境とバンドの2つを手に入れたディランは、2006年から2009年、ラジオ番組『テーマ・タイム・ラジオ・アワー』を足かけ3年担当した。ディランは、番組で紹介した、自身が若い頃に親しんだ、ブルース、フォーク、R&B などのアメリカのルーツミュージックを、今現在の自分たちが鳴らしたらどうなるか? という、壮大な音楽的挑戦をスタートした。

この成果は、2012年のアルバム『テンペスト』に見られる。なかでも、ビートルズの歌詞を巧みに散りばめた、ジョン・レノンへの追悼歌「ロール・オン・ジョン」は必聴だ。個人的にディランの2010年代の傑作と断言したい。

このように、ディランは今日78歳になるが、どこまでも挑戦的な彼が2020年代に、どんな音楽的地平を切り拓いてみせるのか、今から愉しみだ!

2019.05.24
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カタリベ
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