3月31日

音楽が聴こえてきた街:新宿ロフトで観た「暴威 BOØWY」と一筋の光

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BOØWY がライブ「BEAT EMOTION・すべてはけじめをつけてから…」を新宿ロフトで開催した日(2日目)
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photo:LOFT Project  

巣立ったバンドは数知れず、伝説がはじまるライブハウス・新宿ロフト


音楽の聖地と聞いてどこを思い浮かべるだろうか。今も昔も成功の象徴であり、ひとつの到達点とされる日本武道館だろうか。それとも、矢沢永吉率いるキャロルのラストライブが催された日比谷野外音楽堂だろうか。このライブの終演には電飾から発火し、まさに “燃え尽きた” という印象を鮮烈に残した。また81年には、この地でデビュー1周年のアニバーサリーを行ったザ・モッズは集中豪雨に見舞われながらも、観客は誰ひとり帰ることなく、メンバーとともにずぶ濡れになり、“雨の野音” として今も語り継がれている。

いくつもの伝説は、大ホールから生まれ語り継がれていくが、“伝説がはじまる場所” と考えてみると、街の片隅にある煙草のけむりと汗の匂いが充満した小さなライブハウスも、誰かにとってはまた聖地と言えるのだ。

新宿ロフト。サザンオールスターズから、アナーキー、ARB、ザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズ、BOØWY、ザ・ブルーハーツ、レピッシュetc. ここから巣立ったバンドは枚挙に暇がない。

十代の決意表明、ロックンロールにまみれて死ぬなら異存はない!


80年代、僕は、夕暮れの雑踏、新宿の西口を抜け、戦後闇市の面影を色濃く残したバラックが立ち並ぶ光景を横目に見ながら、通称びっくりガードと呼ばれる鉄橋が間近にある横断歩道を渡った。小滝橋通りに入ると緊張と期待で心臓がバクバク鳴ったことを思い出す。

小滝橋通りをまっすぐ程なく歩くと、そこには朽ち果てた LOFT と書かれた看板。新宿ロフトがオープンしたのは76年。僕が足繁く通っていた時期は80年代半ばぐらいからだが、その時期で随分年季が入った場所だなぁ… という印象を持った。

入り口で入場料を払い、軋む階段を下る時、十代の半ばだった僕は、大げさ言ってしまえば肚をくくるというか、ここで何が起こっても、ロックンロールにまみれて死ぬなら異存はない!とまで決意をしていたように思う。

十代のガキをそこまで決意させるほど、当時のライブハウスの存在意義というのはすごかった。決してテレビやラジオでは流れない、クラスの誰もが知らない音楽をリアルに浴びるということは、僕にとってオトナへの扉をひとつ蹴り飛ばす儀式のようにも思えた。

初ロフトは BOØWY「BEAT EMOTION・すべてはけじめをつけてから」


そんな僕のロフト初体験は、忘れもしない1984年の3月31日土曜日。出演は暴威 BOØWY。『BEAT EMOTION・すべてはけじめをつけてから…』と題された2DAYS の最終日だった。

ここで、暴威 BOØWY というふたつの表記があったことに注目したい。つまり、このライブこそがそれまでのイメージと決別し、新たな音楽性を見出し活動の場を広げるという決意表明でもあったと思う。

当時の BOØWY といえば、知名度的にはまだまだで、たまに雑誌『アリーナ37℃』の後半モノクロページで小さな記事を見かけるぐらいだったと思うが、風の噂でニューウェイヴ風にロカビリーっぽい音をやっているヤバいバンドがいるとも聞いた。

なんたって当時氷室さんは氷室 “狂介” だったし、喧嘩がめっぽう強いらしいという、そんな噂まで流れてきた。そんなライブにひとりで出かけた僕は、翌4月に高校に入学する中学生最後の日だったので、先述したようにその時の覚悟は相当のものだった。

ライブハウス、それはホールコンサートとは全く違う異次元の空間!


その日のことでよく覚えているのは、意を決して入口で当日券を買おうとしたら、受付のお兄さんが「もう始まって少し経つから1,000円でいいよ」と言ってくれたことだ。確か当日券は1,500円だったと思う。今思うと昭和の時代というのはなんとも牧歌的で、杓子定規で測らないユルさが何とも心地よかったと改めて思う。拍子抜けするほど優しい人だったし、そこで一気にリラックスできたのは今も感謝している。

それでも緊張気味に階段をくだると、そこは漆黒の闇。パンクを通過したニューウェイヴの最も尖った部分を体現した黒ずくめのファッションを身にまとう観客で溢れていた。闇の中の熱狂はそれまで体感したことのあるホールコンサートとは全く違う異次元の空間だった。

そんな雰囲気に呑まれて、その日の BOØWY がどんなステージだったかは詳細に覚えてはいないが、ピストルズの「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」のカヴァーをプレイしたことだけは覚えている。「あ、ピストルズだ!」15歳だった僕のその時の共感、ステージから放たれた一筋の光のようなものが、その後、50を過ぎた現在に至るまでライブハウスに通う原動力となっている。

武道館や野音に勝るとも劣らない音楽の聖地、小滝橋通りの新宿ロフト


雰囲気に圧倒され、何がなんだかわからないロフトの初体験だったが、その一筋の光が僕を誘い、高校時代から現在の新宿歌舞伎町のど真ん中に移転する99年まで本当によく通った。とりわけ良く観たのがザ・ブルーハーツだった。デビューする直前の86年だったか。日曜日の昼に企画された複数のバンドが出演するイベントにも出演してくれていたので、前売り1,000円とかでザ・ブルーハーツとレピッシュが一緒に観ることができた。なんとも贅沢な時代だ。

閑話休題。あの日、春の夕暮れ、ロフトの階段を下ったことは、僕にとって大げさではなく人生の転機だった。ステージから放たれた一筋の光のようなものは、フロア後方のオーディエンスに飲み込まれそうだった内気な少年にもしっかり届いていた。そう考えると、僕にとって新宿ロフトは日本武道館にも日比谷野外音楽堂にも勝るとも劣らない音楽の聖地なのだ。

2020.02.17
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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