共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味vol.36
Somebody’s Watching Me / Rockwell
親が超有名人、あるいは著名な成功者・功労者で、その息子や娘がミュージシャンデビューする際に、“親の七光り” アーティストと揶揄されるのは、いつの世にもしばしば見られる現象だ。
もちろんナタリー・コール(父親がナット・キング・コール)のように確たる実力の下に七光りを払しょくして大成したアーティストもいるが、親がビッグネームであればあるほど、残念ながらそのようなケースには至っていない場合が多い。そして80年代最大の “親の七光り” ヒットといえば、ロックウェルの右に出る者はいない。
80年代ならば、かのジョン・レノンの第1子ジュリアン・レノンを思い出す方も多いかもしれないが、彼は「ヴァロッテ」(85年9位)、「トゥー・レイト・フォー・グッバイ」(85年5位)といったトップ10作品を筆頭に、80年代を通していくつかのヒットソングを残している。
そしてジュリアンは、最初こそ “ジョンの息子” という鳴り物入りデビューだったかもしれないが、ほどなくして実力派シンガーソングライターの立ち位置を自らの手で手繰り寄せていたといえよう。
だとすれば、80年代34番目に誕生したナンバー2ソング、ロックウェルの「ウォッチング・ミー(Somebody’s Watching Me)」(84年3~4月3週2位)は、やはり80年代最大の “親の七光り” ヒットということになるだろう。
ロックウェルことケネディ・ゴーディは、かのモータウン・レコードの創設者ベリー・ゴーディJr.の息子である。モータウン創立25周年(1983年)に合わせたかのようにお披露目され、デビューシングル「ウォッチング・ミー」は結果としてビルボードのシングルチャート最高位2位の大ヒットとなった。
正直、シンガー、タレントとしては中庸レベルのロックウェルが、名門モータウンからリリースされたのは、七光りが発動された以外の何物でもない。
そしてこの曲のヒット要素として避けては通れないのが、サビで印象的フレーズを歌うマイケル・ジャクソンことMJの客演参加だ。クレジットがあるわけではないものの、いちばん目立つサビの歌声は誰が聴いてもMJとわかる。
84年の1月~2月、ロックウェルの「ウォッチング・ミー」がチャートを上昇していた頃といえば、MJの「スリラー」のPVが公開された時期と重なる。
アルバム『スリラー』は、史上最大のセールス記録を打ち立てつつあり、ポール・マッカートニーとのデュエット「セイ・セイ・セイ」がぶっちぎりのナンバーワンとなった直後、MJがスーパースターとして君臨したある意味ピークともいえる時期であった。
そんなタイミングで、新録されたマイケルの歌声が投下されたのだから…「ウォッチング・ミー」のヒットは、ある程度約束されたようなものだった。
もちろん、イギリス訛り風に歌ったロックウェルのアイディア(出自を隠すため)や、楽曲自体の雰囲気が時代にマッチしていたという側面もあるが、「ウォッチング・ミー」のヒットには、MJの参加を含む “親の七光り” が少なからず機能していたのは明白だ。
6歳年上のマイケルとは幼馴染であり、ロックウェルの音楽的才能を見抜いたマイケルがデビューにあたって客演に至ったというストーリーもまた大きな意味で “親の七光り” がいろいろな場面で利いていたということだ(兄・ジャーメインも参加)。
ロックウェルは、もう1曲「オブシーン・フォン・コーラー」(84年35位)がトップ40ヒットを記録、80年代に3枚のアルバムを残している。
■Somebody’s Watching Me
(84年3~4月3週2位)
■Thriller
(84年4位)
■Say Say Say
(83年12月~84年1月1位)
2017.08.25
YouTube / RockwellVEVO
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