いよいよ開催が迫ったリマインダー主催のDJイベント
『Golden 80’s vol.2 – みんなの洋楽ナイト』。そのコラム企画として最終回となる3回目は、「LAメタル」にフォーカスしてみたい。
アメリカ西海岸のロサンゼルス界隈に活動の拠点を置く HM/HR系バンドが、特にアーリーからミドル80s にかけて大旋風を巻き起こしたムーブメントが LAメタルだ。当時のアーティスト達の多くが、長髪を逆立て派手に盛ったヘアスタイルやケバケバしいメイクをしたことから、海外では「ヘアメタル」や「グラムメタル」等と称される。
ここ日本だけで「LAメタル」という呼称が広く定着したことは興味深いことだ。これは LA =ロサンゼルスが当時の日本人にとって人気の渡航先であり、そうした地名で音楽のカテゴリーを括ることに、メディアが積極的だったことも関係しているように思える。
我々が抱く LA のイメージといえば、太陽の光が燦々と降り注ぐサンセットビーチの風景に代表される爽快で明るいものだ。一方、ヘヴィメタルの一般的なイメージといえば正反対で、暗闇や悪魔などダークサイドなものだった。この相反する2つを結びつけた「LAメタル」という呼称は、何か真新しいムーブメントの勃発を伝える明解なキーワードとして、大きな役割を果たしたといえるだろう。
LAメタルでは、デニムアンドレザーを身につけた男臭く硬派なメタルのイメージを覆すファッション性にも注目が集まった。例えば、LAメタル発のカットTシャツは当時の HM/HR ファンの間で定番のスタイルとして流行したし、若くてルックスの良いバンドが次々に登場したことで、ライトなファン層、とりわけ多くの女性ファンが流入していった。
一緒に歌いやすいキャッチーなメロディ、ノリやすい大陸的なリズム、開放弦とパワーコードを多用したシンプルなリフを頻繁に使うなどの特徴は聞き手にやさしく、音楽的なハードルを下げることにつながった。また全般的にはテクニック指向でないため、僕もそうだったけど多くのアマチュアバンドがコピーのレパートリーに取り入れた。これは同時期のジャパメタムーブメントと相まって洋邦問わずボーダレスに HM/HR を盛り上げ、音楽シーンの中でその存在感を示すことにも貢献した。
伝説の US フェスティヴァルに出演し、『メタル・ヘルス』で83年に全米1位を獲得したクワイエット・ライオットの大躍進を発火点に、典型的な LAメタルサウンドのみならず、多種多様な個性を放つバンドが雨後の筍の如く登場した。中でも二大巨頭は、モトリー・クルーとラットであることに異論はないだろう。そのタイプの違いからモトリー派とラット派に好みが分かれていたように思うが、僕はウォーレン・デ・マルティーニのギタープレイに魅了され、ラットがより好みだった。
彼らの1stフルアルバム『情欲の炎(Out Of The Cellar)』の LP 盤を聴いた時のワクドキ感は今も忘れられない。ボー・ヒルの手によるタイトで高品質なプロダクションに彩られたキャッチーでメジャー感溢れるメタルに、僕は新世代の到来を強く実感し、聖地ロサンゼルスの情景を思い浮かべた。聴くほどにどんどん癖になる独特の整合感を持つサウンドは、のちに「ラットンロール」と呼ばれた。
『ベストヒット USA』で初めて観た「ラウンド・アンド・ラウンド」の PV は、屋根裏部屋の「ネズミ達=ラット」が演奏しながら天井を突き破り、階下でディナー中のセレブ達を蹴散らす痛快なストーリー仕立てだった。当時、隆盛した MTV は、ヴィジュアルが武器の LAメタルバンドにとって最重要のプロモーション媒体としてブレイクを強く後押しした。
そういえば、日本でも直ぐさま人気を確立した彼らは『夜のヒットスタジオ』に複数回出演しているが、86年の来日で「レイ・イット・ダウン」を演奏した時にお茶の間に流れるには卑猥な歌詞対訳が平然とテロップで流れた。確か、それは “お前はオレと寝たいんだろ、やれば気がすむんだろ” みたいな感じ。
翌日、メタルを聴かない友人から「一体どんな歌詞の音楽を聴いてるんだ」と失笑を買ったことを思い出す。
90年代にグランジが台頭すると LAメタル勢の多くは方向性を見失っていった。そして、ブームから20年以上経過した2007年、僕は第一回『ロックラホマ』の取材でアメリカ・オクラホマ州を訪れた。
LAメタルで活躍した有名バンドがこぞって参加したこのフェスで、会場やバックステージの熱気を目のあたりにしたことから、その後、ラットのスティーヴン・パーシー、グレイト・ホワイト、ドッケン、ストライパー等、幾つかの LAメタルバンドの復活作の日本盤を、夢よ再び、との思いで積極的にリリースした。
しかし、産業ロックの時とは異なり、年輪を重ねた LAメタル勢に対して正直物足りなさを感じたのも事実だった。それはヘヴィメタルバブルと言える現象を起こし、煌めく空気感を醸し出した LAメタルの原動力が、弾けるような若さと80年代という時代背景が大前提であったからに他ならない。
時計の針は戻らない現実を実感したからこそ、今も色褪せない当時の優れた音源の数々を、後世に伝えたい気持ちが強くなる。
『みんなの洋楽ナイト』ではそんな思いも胸に、LAメタルの名曲からもセレクトしてみたい。
2018.11.10