85年10月2日にリリースされた渡辺美里の1stアルバム『eyes』は、いきなり60万枚ものセールスを記録してレコード会社を驚かせた。コンポーザーは小室哲哉、岡村靖幸、大江千里、木根尚登、亀井登志夫、白井貴子。アレンジャーは後藤次利、大村憲司、西本明、清水信之、岡村靖幸。以上の名前に相応しい一流ミュージシャンがレコーディングに参加し、すべてのコーラス・アレンジをTM NETWORKとして前年にデビューした小室哲哉が担当している。プロデューサーは佐野元春を世に出した小坂洋二氏。80年代エピック隆盛期のキーマンだ。
どの曲も作家陣がベストの力を注ぎこんでいるのがわかる。高校の卒業式を終えたその足でレコーディングに向かった彼女が歌う切ないスクール・ラブソングや言葉が飛び散るパワー・チューン。20歳手前の女の子が放射する混じりけのない光や無自覚の哀しみや一瞬のゆらぎ。10曲目の「きみに会えて」は歌いながら泣いてしまったテイクが採用されている。乃木坂46かアイドルネッサンスあたりが全曲カバーしてくれないかと思う。
86年1月リリースの「My Revolution」でその地位を確固たるものにし、2枚組オリジナルアルバム、スタジアムライブと”10代初”を次々に更新していく。そんな中、本人たちの意図しないところでライバル扱いされていたのが同い年の中村あゆみだった。家出同然の上京、工事現場で働きながら夜はディスコのはしごなど破天荒なエピソードを持つ彼女の3rdシングル「翼の折れたエンジェル」がヒットしたのも同じく85年。高校時代はラグビー部のマネージャーだった渡辺美里とは真逆のイメージだった。
松田聖子と中森明菜のように対照的な存在は物語にとって絶好のスパイスとなるが、その歌詞の一部だけをとらえて “一億人の生徒会長” などと揶揄する人も現れたことに当時の彼女ははっきりと不快の念を示していた。その後インタビューでもNGな質問が増え、名曲、名アルバムは生み出し続けたがメディアとの距離は離れていった感がある。
今年3月、仙台と東京と大阪で66年生まれ50歳のミュージシャンが一同に会する『ROOTS66』というライブが行われた。そのパンフレットに彼女は「この30年間、そのままの自分の姿だけを押し通していたら、どこかでポキッと折れていたでしょうね」と書いている。武道館のステージに立つ渡辺美里を私は何度も見てきたが、あんなに楽しそうに歌われる「My Revolution」は初めて聴いた。30年という月日の意味が確かにそこにあった。
2016.08.08
YouTube / 岡村靖幸
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