4月10日

原田真二「タイム・トラベル」:スージー鈴木の OSAKA TEENAGE BLUE 1980 vol.5

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OSAKA TEENAGE BLUE 1980~vol.5

■原田真二『タイム・トラベル』
作詞:松本隆
作曲:原田真二
編曲:原田真二
発売:1978年4月10日

1977年、窮屈な雰囲気ではなかった阪神ファン


1977年、大阪の街外れに住む小5の僕は、当然のように阪神ファンだった。

いや、「当然のように」ではなかった。というのは、70年代の大阪は、今のように阪神ファンだらけではなかった。近鉄ファン、阪急ファン、南海ファン、そして巨人ファンも、実はそれなりにいたのだ。言い換えれば「阪神ファンにあらずんば、大阪人にあらず」のような窮屈な雰囲気になったのは、それほど昔のことではないのである。

1977年の阪神は、強くも弱くもなかった。勝ったり負けたりが続き、結局4位にとどまり、吉田義男監督は辞任するのだが。

ご飯を食べ終わって、夜、サンテレビの阪神戦中継を見る。阪神が勝つ。その瞬間、僕の家の裏手にある、お世辞にもきれいとは言えない、貧相な木造アパートから、大きな拍手が聞こえる。その拍手を聞いて、僕は、ニコニコしながら、アパートに面した窓を開ける。

「阪神、勝ったなぁ!」

アパートの窓も開いて、拍手の主である老人が顔を出す。

「やっぱり頼りになるのはカケフやな! デブになったタブチは、もうアカンで!」

実は、その老人、いや、当時の大阪風に言えば、その「オッサン」は、僕の周囲でかなりの有名人だった。

裏のアパートに住む「オッサン」


その頃、近所の銭湯に、週イチペースで仲間と行っていた。僕の家にも、仲間の家にも風呂はあったのだが、銭湯が楽しくて、足を運ぶ。

親抜きで、小学生だけで、堂々と出歩けるのが楽しい。そして、銭湯にいる、小学校や子ども会には、決していないような雑多な人種と出会えるのも楽しかった。

裏のアパートに住むオッサンとは、銭湯で出会った。第一印象は強烈だった。あえてあけすけに書くが、お尻のあたりに、まるで梅干しのようなデキモノか腫瘍のような何かがくっついているのだ。

とても気さくなオッサンで、銭湯では阪神の話で盛り上がる。それどころか、たまには牛乳をおごってくれたりする。それでも、お尻からはみ出している梅干しのような何かが、僕たちの頭にこびりついて離れない。

僕の仲間内では密かに「梅のオッサン」と名付けられた。

1977年、サンテレビの阪神戦を見ながら、勝利を期待し続けた小5の夏は、梅のオッサンの拍手が聞こえてくるのを待ち続けた夏だった――。

原田真二「タイム・トラベル」が開いた思春期へのドア


思春期というものがあるとするなら、僕の場合、それは翌1978年、小6になったあたりから始まったのだと思う。

原田真二『タイム・トラベル』のシングル盤を買ったことが、思春期へのドアを開いたような気がする。

太田裕美『木綿のハンカチーフ』を契機に、阿久悠の独壇場に対して、ずんずんと切り込み始めた気鋭の作詞家・松本隆の作詞がふるっている。実に文学的で、詩的で、まるで東京にしか棲息していない、ヒョロっとしたうらなりの文学青年が書いている感じだ。

決定的だったのは、歌いだしすぐの「♪蕃紅花(サフラン)色のドアを開けたよ」というフレーズ。

「サフラン色」が分からない。それ以前に「サフラン」が分からない。それでも「蕃紅花色のドア」という込み入った言葉を知ることで、僕の思春期へのドアが開いたことだけは確かだった。

いつか「蕃紅花色のドア」の世界に行くんだ。それは文学的で、詩的で、原田真二や松本隆がツンと澄ましている東京の世界に。その世界に対するのは、梅のオッサンと一緒に阪神に拍手するような、文学や詩のかけらすら何処にもない目の前の日常だ。

よくしたもので、1978年の阪神は、劇的に弱かった。前年、Bクラスにとどまった責任を取って、吉田義男監督が辞任した後、後藤次男が引き継いだのだが、投手陣、打撃陣共に精彩を欠き、球団創立以来の最下位に落ち込む。

裏のアパートから、梅のオッサンの拍手が聞こえてくることも、めっきり少なくなった。そして僕は、原田真二や、その他のニューミュージックに手を伸ばし始め、深夜ラジオを聞くようになり、阪神や梅のオッサンから、いよいよ遠ざかり始める。

思春期への、大人への、そして東京的な何かへの、ドアが開け放たれた。

大人になることは “時間旅行” をすること


梅のオッサンのことを完全に忘れてしまって、時は流れた。僕が思春期のドアを開き、阪神が最下位に落ち込んだ1978年から7年もの日々が過ぎ去り、思春期をまるごと飲み込んだ1985年、僕は浪人生となっていた。

中1のときにYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)に出会ってから、プロ野球やプロレスから完全に遠ざかり、音楽一辺倒の高校時代を駆け抜けた浪人生の耳に、久しぶりに阪神が好調だということが聞こえてきた。

相前後して、裏のアパートが取り壊されることが決まった。貧相なアパートの並びを一気につぶして、新しく建売住宅が並ぶのだという。

阪神と裏のアパート―― そして僕は思い出した。久々に思い出したのだ。梅のオッサンのことを。

それとなく兄貴に聞いてみた。

「そう言えば、梅のオッサン、どうしたんやろ?」
「あー、梅のオッサンおったなぁ! 死によったんちゃうかぁ?」

兄貴は半笑いで、そう言った。それでも、半笑いの兄貴に詰め寄ることなどできなかった。僕の方も数年間、梅のオッサンのことをすっかり忘れていたのだから。

だから、僕も半笑いで返したのだが、半笑いのふりをしながら、そのとき心の中で、思春期へのドアを開いた、そのもう少し奥の方にある、「大人へのドア」が開いたのを感じたのだ。

―― 僕らの周りの大人は、みんな先に死んでいく。どんどん死んでいく。そのすべてを深刻に抱えることは出来ない。だから、自分からの距離と比例させながら、僕らはどんどん死を軽んじていく。軽んじて、表情を変えずに淡々と生きていくことが、大人になるということなんだ。

梅のオッサン―― その存在を数年間、忘れるほどに、自分からの距離のある存在。そもそも死んだかどうかも分からないオッサンのこと。今さらに深刻ぶるのは嘘っぱちだし、偽善だろう。

兄貴も、心の中で、そう思っていたのではないか。だから僕ら兄弟は、半笑いに半笑いという「大人」の対応で済ませようとした。

その瞬間、思い出したのは、『タイム・トラベル』の歌詞だ――「♪時間旅行のツアーはいかが?」

――だから、そのときそのときの死を軽んじる代わりに、その人のことを思い出す時間旅行を、これから何度も繰り返していくんだ。それが大人になるということなんだ。年を取るということなんだ。

兄貴との会話をやめて、解体中のアパートが見える窓を開けて、1977年、小5の頃への時間旅行に僕は出発した。阪神・掛布雅之・銭湯・梅のオッサン・貧相な木造アパート・街外れの夜に響き渡る拍手の音――。

「やっぱり頼りになるのはカケフやな! カケフが活躍して、阪神、優勝しそうやで! 嘘みたいやろー!」

そして今。50代になった僕は、旅立っていった人の思い出をたどる時間旅行のチケットを、両手から溢れるほどに抱えながら、毎日を生きている。表情を変えずに淡々と生きている。

そう言えば、ついこの前、思い立って、「蕃紅花(サフラン)色」を検索してみた。英語ではサフランイエローと言うらしい黄色系の色だ。

阪神のあの黄色とそっくりの色合いだった。

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2021.12.18
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カタリベ
1966年生まれ
スージー鈴木
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