5月21日

佐野元春「ロックンロール・ナイト」:スージー鈴木の OSAKA TEENAGE BLUE 1980 vol.14

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佐野元春のアルバム「SOMEDAY」がリリースされた日(ロックンロール・ナイト 収録)
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OSAKA TEENAGE BLUE 1980~vol.14

■ 佐野元春『ロックンロール・ナイト』
作詞:佐野元春
作曲:佐野元春
編曲:佐野元春
弦編曲:大村雅朗
発売:1982年5月21日(アルバム『SOMEDAY』)

1986年春、僕は京都大学を落ちた


1986年3月。僕の目の前で起きていることは、おそらく人生の中でも決定的な事柄なのだろう。でも僕の気持ちはおそろしく冷静だった。

大学に落ちた。一浪して…… 一浪したのに、京都大学の文学部に落ちた。

冷静だったのは、二次試験の出来に、手応えがなかったからだ。特に国語はちんぷんかんぷんだった。解答している最中に「この1年間は何だったんだ?」と思う始末だった。

早稲田大学には受かっていた。なので、今、目の前の掲示板に僕の数字がなかったことによって、僕が東京に行くことが決定した。

そのときの僕にとっては、京都大学に落ちたことより、東京に行く、東京に行かなきゃならなくなるという事実が強烈だった。

京都大学近くのバス通りにあった電話ボックス。合格・不合格を、いち早く実家に伝えるべく、受験生が並んでいる。悲喜こもごもな若者が、対照的な顔つきで並んでいる。

家にいた祖母に結果を伝える。祖母も予感していたのか、「はいはい、早く帰って来(き)いや」と淡々と受け答えする。ただ、早稲田大学の合格時には、えらい喜んでくれた祖母だったので、心中はいかばかりか。

電話はしたものの、このまま実家には帰れない。予備校に報告に行かねばならない。

予備校は、秋口にドロップアウトした。予備校に「ドロップアウト」とは大げさな表現か。予備校のカリキュラムと合格に向けた自らの課題が合っていないことを察知して、自宅浪人、いわゆる「宅浪」をすることに決めたのだ。

それでもまだ、この時点で僕は、予備校の生徒なのである。京都大学に合格すれば、その予備校の功績として、派手派手しい書体で、横断幕に自分の名前が書かれ、壁に掲げられる。

ということは、つまり僕は、京都大学に落ちた、功績にはなれなかった、横断幕には自分の名前を掲げないでくれ、という事実を告げに予備校に行く。

伝えに行く相手は、その予備校で「チューター」と呼ばれる初老の男性。私が属していた「京大進学コース」の担任のような存在。「落ちました」と彼に告げることで、僕は予備校を「卒業」する。途中でドロップアウトしたものの、しっかりとこのステップを踏まなければならない、と僕は思った。東京に行くためには――。

京阪電車に乗って僕は、結局半年くらいしかまともに通わなかった予備校のことを思い出した。高校時代には決して出会うことなどなかったであろう、「京大進学コース」の多種多様な面々のことを。

もう二度と会うことはないだろう、あの連中のことを。

さすがは予備校、個性的な連中が歩んだ個性的な道


予備校にもランクがあって、僕が通っていたところは、中堅という感じだったように思う。それでも「京大進学コース」というくらいなのだから、大阪各地の受験校から、それなりの偏差値の面々が集まっている。

しかし、さすがは予備校。現役合格できた本気の秀才ではなく、少しばかり何かが抜け落ちた個性的な連中が集まっている。

一年前の1985年4月。「京大進学コース」の教室に入った僕は驚いた。様々な髪型、様々なファッション。そして様々な年齢。もちろん僕のような一浪が多いのだが、二浪、そして三浪、中には、社会人を経由してきた20代後半の先輩もいる。

入学してからも、さすがは予備校。個性的な連中は個性的な道を歩んでいった。

クラスの中で恋仲になった男女がいた。同時に恋に落ちた2人だったが、展開は正反対で、女子の方は京都大学に楽々受かったが、男子の方は僕と同じように落ちて、関西の私立に入学した。

1985年の大阪といえば、阪神タイガースの大躍進。「京大進学コース」の中にも、筋金入りの阪神ファンがいた。優勝のカウントダウンが始まってから、各地を転戦する阪神のメンバーを、メガホン抱えて追っかけ始め、結局、彼は予備校に来なくなった。風の噂によれば、大学進学を諦めたのだという。

そんな中、僕といちばん仲が良かったのは、「親方」というニックネームで呼ばれた二浪の男だった。春頃、まだふわふわした気分でいた僕を含む「京大進学コース」の連中を、いかにも1歳上な、堂々たる態度で圧倒していた。

「予備校なのに、何でもっと落ち着いていられない?」と感じていた僕は、親方のそんな堂々たる感じが好ましく、僕の方から近付いていき、多くの授業で近くに座った。

親方が教えてくれた佐野元春「ロックンロール・ナイト」


ある日の休憩時間。彼が自分のノートにさらさらっと何かを書き始めた。

―― 友達のひとりは遠くサンフランシスコで 仕事をみつけた

「これ、何ですか?」

1年上の親方に敬語で尋ねる僕。その問いに何も返さず、親方は書き連ねる。

―― 友達のひとりは手紙もなく今 行方もわからない

「佐野元春の歌詞や」

親方が答えた。佐野元春は僕も知っていた。『SOMEDAY』あたりは、高校時代の青春を彩った、もっとも重要な曲の1つである。でも、この歌詞は知らない。

「アルバム『SOMEDAY』のB面の曲、『ロックンロール・ナイト』っちゅう曲や。ええやろ」

僕は、少し戸惑った。というのは、その良さが今ひとつ分からなかったからだ。具体的に言えば、友達の一人ひとりとバラバラになっていく感覚というのが、ピンと来なかった。

ピンと来なかった―― のだが、今、京阪電車の中で、その感覚が、少しずつ分かり始めている自分に気が付いた。

今日は予備校の「卒業式」だ。しかし、その式に「京大進学コース」の連中がまとまって参列することはない。各々がチューターに報告する「卒業式」。

僕らは、連中と会うことはない。人生の中で二度とないだろう。仲が良かった親方、『ロックンロール・ナイト』を教えてくれた親方とも――。

そんなことを考えながら、京阪電車から淀屋橋駅で乗り換えて、御堂筋線をなんば駅で降りて、僕は予備校へ向かっていった。

早稲田、ほんまにええんですかね?


「京大に落ちてチューターに報告に行くやろ、ほなチューター、『お前が行くことになる、その大学の方が、お前には京大よりも向いている』って、実際に行く大学の方を勧める言い方するで」

と、親方がかつて僕にこう言っていた。

「まぁ、元気付けるための方便やろうなぁ」

彼は二浪で、一浪時代もこの予備校に通っていた。なので、京都大学に落ちたという報告をチューターにしているのだ。そのときに、こういう言い方をされたらしい。

でも親方は、そんなチューターの言葉を振り切って、再度、京都大学を目指して、再度、同じ予備校に通ったのだ。

「そう言えば、親方は受かったのだろうか」

自分が落ちたくせに、他人の合否を気にするのもどうかと思ったが、正直、僕には気になった。

御堂筋線のなんば駅を降りて、「なんばCITY」と言われる地下の商店街を通って、大阪球場の前を右に曲がって予備校に行く。

大阪球場は、南海ホークスの本拠地だが、この頃になると人気がなく、試合がある日でも周囲は閑散としていた。予備校から帰るとき、このあたりに若者がごった返す日があって、オールスターゲームか何かと思ったら、尾崎豊が大阪球場でコンサートをする日だった。

「京大、落ちました」

頭の中で、言い方をシミュレーションした。「あきませんでした」「残念でした」…… まぁ、どう言っても同じだなと思い直す。

大阪府立体育館の裏にある予備校に着いた。僕が通っている間に工事が行われて、いつのまにか新しいビルに生まれ変わっていた。

チューターがいた。ストレートに言ってみよう。っていうか、僕の顔付きで察しも付くだろうし。

「京大、あかんかったです」

それを聞いたチューターは、即座に返した。

「そうかぁ。あかんかったか。そりゃ残念。で、どうする?」

左手に持ったメモに「×」の一文字を書きながら、僕に聞いてくる。いかにも事務的なやり取りになっている。

「二浪は出来ませんし、早稲田に行きます。東京に行きます」
「そうかぁ」

いかにも事務的な口ぶりで、そう言った。そして一言、付け足す。

「でも、それは君にはええんとちゃうか?」

予想通り、早稲田を進めてくる。そんなチューターの方便にちょっとだけイラッときた僕は、問い質してみた。

「早稲田、ほんまにええんですかね?」

チューターがメモを書く手を止めて、僕の方を見て一言、こう言った。

チューターがくれた言葉「enterprise」


「enterprise」

昔、この予備校で英語を教えていたという見事な発音で、もう一度言った。

「enterprise。意味分かるか?」
「き、企業? 会社?」
「ちゃうねん。『進取の気性』っていう意味や。新しいこと、冒険心、挑戦……」
「どういうことですか?」

眼鏡の奥の眼差しから鋭い視線を送りながら、チューターは話を続ける。

「あんな、君には、enterpriseがあると思う。君が書いた小論文の課題、読んだけどおもろかった。点は低かったみたいやけどな(笑)。あれ読んで俺は、君がおもろいこと、新しいことしたい奴やと思てたんや」

何と。チューターは、模擬試験でもない、単なる授業の課題をしっかり読んでいたんだ。僕のことをちゃんと知ってくれていたんだ。彼は続けた。

「京都はな、昔からことを延々と塗り重ねる街や。でな、東京は、塗り重ねたんを踏み潰して、新しいことを次々と始める街や。どっちもええ。どっちもええけど、君には、東京が合(お)うてると思うで」

と言って、チューターは自分のメモに「早稲田」ではなく「東京へ」と書き付けた。

―― 東京へ!

きっぱりとふんぎりが付いた。僕は、東京に行く。

「ありがとうございます。東京、行ってきます」
「がんばれよ」
「あっ、そう言えば、親方どうなりました?」

大事なことを聞きそびれていた。チューターが笑いながら答えた。

「あいつ、ようやっと京大合格や!」
「よかった。それでは」

と言い残して、僕は予備校の玄関を出た。もう二度と来ることのない玄関を。

春の強い夕日が差し込んでくる。夕日が僕を包んだ瞬間、僕の意識が空中に舞い上がった。

大阪の街なかの空中を超えて、地球の中の日本列島が青々と見えるほどに高度を上げた。そして次に関東、東京、早稲田のあたりに急降下する。

―― 東京へ!

数秒のことだったろうか。意識が急に戻って、予備校の前の通りに立ちすくんだ――。

30数年経って見つかる “瓦礫の中の Golden ring”


あの日から30数年が経った。

予想通り、予定通り、あの日から、親方とも、チューターとも、予備校の誰とも会うことはなかった。それでも、ごくごくたまにではあるが、僕は親方のことを思い出すことがある。

―― 友達のひとりは遠く東京で 仕事を続けている

親方のメモに、僕のことはちゃんと書かれているだろうか。

いや、書かれている確率は、限りなく低いだろう。なぜなら僕の心のメモには、親方について、こう書かれているからだ。

―― 友達のひとりは手紙もなく今 行方もわからない

僕の意識が空中に舞い上がり、関西、大阪、なんばのあたりに急降下する。でも、親方はどこにも見当たらない。

―― 瓦礫の中の Golden ring

それでも、大学受験浪人、予備校生活という瓦礫の中で僕は、何か大切なものを見つけたのかもしれないと思い直す。

あの日から30数年。「ロックンロール・ナイト」という夜を何度も何度も超えて、僕たちはどこにたどり着いたのだろう。

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2022.05.13
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Baliみにょん
切なさに胸苦しくなるローティーンのOSAKA TEENAGE BLUEから、今話は甘酸っぱいながら清爽な感覚を覚えました。私自身は首都圏出身、都心の大学へ進学だったのでスージーさんの心持ちとは比べようもないでしょうが、一浪して小中高とは明らかに違う生活へ踏み出した気持ちを思い起こしました。
ただ私も熟年になり《―― 友達のひとりは遠く東京で 仕事を続けている》
《―― 友達のひとりは手紙もなく今 行方もわからない》時代がふと、よぎることがあります。ましてや、まだどこにもたどり着いてさえいない自分に気づきます。


2022/05/13 20:16
0
返信
カタリベ
1966年生まれ
スージー鈴木
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