日本語ロックの革命児の一人・佐野元春の足跡を聴き辿ると、音楽家としての変遷と歌手としての変遷がほぼ一致していることに気づく。
■1980~1983
口をあまり開かず、唇の先で細かくビートを刻んでいくような歌唱法は、彼が日本語ロックシーンへ提示した最初の発明だろう。代表作『SOMEDAY』(1982年)の頃まではそのスタイルに、変声期がきちんと済んでいない年頃にみられる “粗さ” が入り混じっていた。
■1984~1989
ロンドン~マンハッタンと海外滞在の中で『VISITORS』(1984年)など野心作を連発した80年代中後期では “粗さ” が薄まり、そのぶん喉の奥から強引に絞り出された “太さ” が持ち味に。日本語とビートの融合をさらに進展させようとした能動的な変遷だろう。延いては、この時期の酷使が後の変遷を呼び込むかたちとなる。
■1990~1995
ドラマ主題歌「約束の橋」(1992年)のヒットに象徴される90年代前期では “太さ” に代わり、巷でモノマネされ得る話し声に近い “甘さ” が加わったことで、キャッチーなメロディが引き立つ曲が増えた。
■1996~2005
ハウスバンドがハートランドからホーボー・キング・バンドに代わった90年代中期以降は、声帯の疲弊が深刻化。高音やシャウトが明らかに困難な状態になっていた。
ただし、衰えを知らぬ音楽家としての佐野元春に支えられ、逞しい水流(=グルーヴ)の上でたゆたう木の葉のような美感を新たに生み出したのである。彼も敬愛するニール・ヤングに重なるスタイルだと思う。
■2006~NOW
自身主宰の《デイジーミュージック》が始動したのが2004年。翌年からは、コヨーテ・バンドなる小編成の新たなハウスバンドも始動。明確な転換点は指摘しがたいが、この動きの前後から元春の “木の葉” は “枯れ葉” へと変遷した。
ただし、それは単純な加齢ではなかった。ハスキーボイスに特化したことでかえって身軽さを取り戻し、若々しいバンドアンサンブルに煽られることで、40代の頃よりも高いところへ舞い上がれるようになった印象なのだ。奇しくも “粗さ” のあった20代の彼に戻っていくような嬉しい錯覚を我々に与えはじめ、現在にいたる。
YouTube の公式チャンネルにアップされている2013年公演時の「アンジェリーナ」や、デビュー35周年記念だった2016年公演時の「約束の橋」を聴いて圧倒された。実はその余韻で以上の通り再検証を独善的に始めたのだが、たくさんの変遷を経ても結局、彼の歌声の “芯” の部分は変わっていないことにも気づいた。
声量がどうだろうと音程がどうだろうと、“芯”に魅力がないと胸にこない。あの独特のくぐもり、なんて表現したらいいのか、わかるでしょ? アレですアレ。
とかくアレが誠実な言葉を包み込んで飛んできた時点で、佐野元春はすでにカッコいいのだ。だからずっと、カッコよく在り続けるだろう。
2018.03.13
YouTube / 佐野元春 - DaisyMusic
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