12月1日

僕の二十歳は1986年、佐野元春は「カフェ・ボヘミア」をリリースした

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photo:SonyMusic  

1986年 ― 僕が二十歳のとき、佐野元春は『Cafe Bohemia』というアルバムをリリースした。数年前に出た『BLOOD MOON』も好きだけど、一番かぶれていたのは二十歳の頃。

ニューヨークで制作した4枚目のオリジナルアルバム『VISITORS』が84年の5月で、5枚目の『Cafe Bohemia』が86年の12月。こうやって書くと2年半ものブランクがあるように見えるが、全くそんなことはなかった。

84年の10月に始まり、85年5月まで続いた『VISITORS TOUR』以降、佐野元春は自身のヴィジョンをどんどん形にしていった。ざっと書き出すとこんな感じである。


■ 1985年11月
12インチシングル「Christmas Time In Blue」リリース

■ 1985年12月
ラジオ『The Heartland Hour』スタート(FM横浜で毎週)

■ 1986年4月
プライヴェートレーベル「M’s Factory」の発足

■ 1986年4月
カルチャーマガジン『THIS』の創刊(以降7月、10月、1月と発刊)

■ 1986年4月
ライヴ『東京マンスリー』開催(日本青年館で9月まで6公演)

■ 1986年5月
シングル「Strange Days」リリース

■ 1986年7月
シングル「Season In The Sun」リリース

■ 1986年7月
カセットブック『Electric Garden #2』リリース

■ 1986年9月
シングル「Wild Hearts」リリース

■ 1986年10月
ツアー『Cafe Bohemia Meeting』スタート(9月まで80公演)

■ 1986年12月
アルバム『Cafe Bohemia』リリース


おそるべき活動量。これ以外でも自身で構成まで手がける『元春レイディオ・ショー(NHK-FM)』を毎週やっていたし、インタビューやビデオ撮影などのプロモーション稼働も数多くあったろう。佐野はテレビにほとんど出ていなかったが、それもそのはず、出ようと思ったとしても、これじゃ出る隙がない。そしてそんなものに頼らなくても、彼の息吹は僕らに届いていた。

それにしても、これだけフルスロットルで走り続けたミュージシャンは他にいただろうか。今なお続く佐野のキャリアの中でも、質量ともにピークだった時期かもしれない。その一挙手一投足は全てにおいて新しかったし、日本での前例は無かったはずだ。

ここまでくると本人はもちろんだが、当時のスタッフを心から労いたい。同時に佐野をサポートし続けた、丸山茂雄氏率いる “80年代エピック” の革新性(というか勢い)は今なお語り継がれるべきものだろう。

その中心にあったのは、佐野自らが主体となって運営するレーベル「M’s Factory」の設立に他ならない。ひとつのブランドのもと、徹底的にクリエイティヴ・コントロールされた作品(今でいうコンテンツ)がヒリヒリするような緊張感を伴って次々と放たれた。

アートワークにこだわった7インチシングル、コミュニケーションを重視して小会場で行われたインタラクティヴなマンスリーライブ(僕はチケットが取れなかった)、どう考えても普通の雑誌社では発行できない濃すぎるカルチャーマガジン、スポークンワーズを収めたカセットブック、そして毎週のラジオDJ、などなど。

いま思うと、彼の音楽というより、“彼のトライアル” にかぶれていたような気もするが、この “実践あるのみ” 的なスタンスは僕の理想形としていまだに脳裏に刻まれている。1986年、二十歳のとき、こんなスリリングな活動をファンとして目撃できたことはこの上なく幸せで、紛れもなく僕の血肉となっている。

最後に、この時期につくられた作品をひとつだけ紹介しよう。


 みせかけの輝きは いつかさびていく
 できることだけを 続けていくだけさ
 Yes Yes Yes


見えない何かに立ち向かっていくような生真面目でストイックな活動の中にあって、一服の清涼剤というか、オアシスのようなラヴソング。LP だとB面の2曲めに収録されるような地味な存在だったが、当時も今も、僕はこの曲が大好きだ。

タイトルは、「Chasing Rainbow ― 虹を追いかけて」。


※2017年2月28日に掲載された記事をアップデート

2019.03.13
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  Apple Music


  Chasing Rainbow / Motoharu Sano
 

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