年が経つにつれ、夏の暑さが増してきている。そのせいで、以前ならお盆過ぎには感じることのできた “秋の気配” が少しも感じられないまま、9月を迎えてしまうようになってきた。
それでも、夏の終わりを意識する頃に聴きたくなる曲というものはあって、1986年に井上陽水と安全地帯が歌った「夏の終りのハーモニー」もそのひとつである。
幸せだった夏の時間を惜しむように、そして情熱と諦観が入り混じりながら滲み出てくるようなこの曲は、ひとつの季節の終りを自分の中で思い切るのにふさわしい。
1980年代の井上陽水と安全地帯
井上陽水と安全地帯が出会ったのは1981年のこと。井上陽水はフォークの旗手としてブレイクした70年代の大きな波が一段落して、次の波を待つ、いわば凪の時代にいた。
一方の安全地帯は、キティレコードからメジャーデビュー直前。井上陽水の全国ツアー『I CALL YOUR NAME』(1981年)にバックバンドとして参加し、陽水のライブ活動をサポートしていく。そして、1983年には陽水が作詞を手がけた「ワインレッドの心」で大ブレイク。翌年も「恋の予感」を共作するなど、音楽的交流を重ねていった。
この間、井上陽水も「ジェラシー」(1981年)、「リバーサイド・ホテル」(1982年)、さらにはセルフカバーアルバム『9.5カラット』(1984年)などで、再び大きな脚光を浴びる存在となっていった。
井上陽水と安全地帯とのジョイントコンサート「スターダスト・ランデヴー」
そこで、このビッグイベントの開催である。もともとは球場を野球以外にも開放したいという神宮球場側の意向があったようだが、うるさい音楽は好ましくない。そこで、井上陽水であればとの申し出を受けたキティ・ミュージック代表の多賀英典が安全地帯とのジョイントコンサートを企画する。
その背景には、当時あまり例のないスタジアムコンサートを開催するにあたって観客動員が読めなかったため、この2組を一緒にステージに立たせることでイベントを成功させようというプランがあった。しかし、井上陽水はこの提案に難色を示したという。それぞれがしっかり自立して活動できる状態になった今、あえてジョイントコンサートを開催する必要性が見えないということだ。
とはいえ、多賀氏の説得によって最終的に井上陽水も了承。そして、このイベントのためのスペシャル企画として、井上陽水と玉置浩二によって新曲がつくられることになった。そう、それがこの「夏の終りのハーモニー」なのである。

井上陽水と玉置浩二が送り合ったエール
しっとりとした美しいバラード、それが類まれな美声の持ち主である井上陽水と玉置浩二によって丁寧に歌い上げられていく。その歌声が、まさに夏から秋に向かおうとする夜空に吸い込まれていく。それは、球場を埋め尽くした観客の心に、充実感とともに祭りの後のさみしさをも含んだ余韻のように沁み込んでいったに違いない。
ーー その後、この曲が井上陽水と玉置浩二のデュエットで歌われる機会はあまりない。にもかかわらず、令和の今も “夏の終り” を感じさせる名曲として多くの人に聴き続けられている。さまざまなシンガーによってカバーされ、昔を懐かしむというより、今の曲として生き続けているのだ。
だからもちろん、曲そのものの魅力を純粋に味わうのが「夏の終りのハーモニー」の最高の聴き方なのだろう。けれど、困難な時代を共に過ごし、それぞれの道を進んでいった井上陽水と安全地帯(玉置浩二)が、お互いに送り合ったエールというニュアンスを意識して聴いてみるのも味わい深い聴き方ではないだろうか。
Updated article:2025/08/31
Previous article:2021/08/20
2025.08.31