12月21日

シンガーとしての際立つ力、井上陽水のセルフカバーアルバム「9.5カラット」

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セルフカバーという概念を定着させた井上陽水「9.5カラット」


1984年12月21日、井上陽水のセルフカバーアルバム『9.5カラット』が発売された。

かつて、作詞・作曲者と歌手がはっきり分かれていた時代には、作者が自分で歌うレコードは皆無ではなかったけれど、あくまでニッチというか例外的な “企画もの” と受け取られていた。

しかし70年代に入ると、森進一の「襟裳岬」(1974年・作曲:吉田拓郎)など、この時代に台頭してきたシンガーソングライターが歌謡曲歌手に楽曲提供するケースが増えていく。これにしたがって、他の歌手に提供した曲をシンガーソングライター自身が歌ったらどうなるのか、という興味も生まれていった。

そんな潜在的な欲求への答えとして最初に大きな反響を得たのが中島みゆきの『おかえりなさい』(1979年)だった。研ナオコ、小柳ルミ子らの女性歌手に中島みゆきが提供した曲を自ら歌ったこのアルバムは大ヒットした。そして、80年代に入って井上陽水が発表した『9.5カラット』が、このセルフカバーという概念を一般的に定着させることとなった。

沢田研二、石川セリ、水谷豊、小林麻美、樋口可南子、安全地帯、中森明菜への提供曲


『9.5カラット』に収録されている9曲のうち「いっそセレナーデ」は井上陽水自身のこの時点での最新シングル曲(ウイスキーCMに使用された)だったが、他は沢田研二、石川セリ、水谷豊、小林麻美、樋口可南子、安全地帯、中森明菜への提供曲。この中ではやはりこの時点で大ヒットしていた中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」と、安全地帯の「恋の予感」「ワインレッドの心」というヒット曲が目につく。おそらくこれらの曲に惹かれてこのアルバムを耳にしたというリスナーも多かったと思う。

けれど、『9.5カラット』はこうしたヒット曲を並べたことだけで話題となったアルバムではない。もちろん井上陽水が「飾りじゃないのよ、涙は」をどんなふうに歌うのかということは興味深かったし、その期待を裏切らない迫力あふれる見事な歌唱も素晴らしかった。この曲に限らず、作者である井上陽水がそれぞれの曲をどう解釈して表現するかというのは聴きどころであるには違いない。

井上陽水のシンガーとしての力、それが最大の聴きどころ


しかし『9.5カラット』を聴きごたえあるアルバムにしていた要因は、曲を提供された歌手との歌の違いということ以上に、アルバム全体を通して輝いていた井上陽水のシンガーとしての力だった。もともと歌唱力には定評のある井上陽水だが、多くのリスナーがすでにどこかで聴いた耳なじみある曲が収められたこのアルバムによって、改めてその声の良さと、言いようのないセクシーさを漂わせる歌の魅力を再確認することになった。

この時期、80年代に入ってから『あやしい夜をまって』(1981年)、『LION & PELICAN』(1982年)、『バレリーナ』(1983年)とかなり攻めたアルバムを発表していった井上陽水にとまどいを感じていたファンも少なくなかっただろうと思う。けれど、そうしたファンにとっても、この親しみやすいアルバムは安心感を与えてくれるものだった。

そうして多くの人々に受け入れられていった結果、『9.5カラット』は井上陽水にとって『氷の世界』に次ぐミリオンセラーアルバムとなった。

リスナーだけでなく、アーティストにも大きな刺激を与えた作品


『9.5カラット』はリスナーだけでなく、アーティスト側にも大きな刺激を与えた作品なのではないかと思う。

他の歌手への曲提供をしているシンガーソングライターにとって、提供曲を集めたセルフカバーアルバムはわざわざ新曲を書き下ろさなくても制作できるメリットがあるし、その中にヒット曲が含まれていればプロモーション面でもプラスの効果が期待できる。しかも、リスナーにとっては聴いたことのある曲だったとしても、作者であるシンガーソングライターとしては初めてレコーディングすることになるので、ベストアルバムとは異なるオリジナルアルバムとして取り組むことができるのだ。

しかし、逆に言えばすでにプロの歌手によって歌われている曲のカバーということになるので、単に “作家がその曲を歌ってみました” ということでは、なんの面白みもない作品になってしまう。そのために、ソングライターとしてだけでなくシンガーとしての表現力も問われることになる。その意味で、セルフカバーというのは非常に興味深いけれど、実はかなりリスキーな表現スタイルでもある。

セルフカバーという表現様式が教えてくれたこと


『9.5カラット』の大ヒットに刺激されたのか、その後、多くのシンガーソングライターがセルフカバーにトライするようになった。さらに、シンガーが一度リリースした曲を新しい解釈で歌い直すリテイクもセルフカバーと呼ばれるようになっていく。

こうして、一度発表された楽曲を新たに別の形で世に問うリリースの形が特別なものではなくなっていく。それについてリスナーも同じ楽曲でも表現の違いによって違う世界が見えてくることを楽しむようになっていったのではないかと思う。

セルフカバーが教えてくれたのは、必ずしもオリジナルに絶対の価値があるのではなく、解釈の変化によって楽曲は違う表情を見せること。そしてセルフカバーによって楽曲の表情を変化させていくことは、曲の新しい可能性を引き出すことでもあるということだ。

80年代に発表された楽曲の中にも、セルフカバーによって “ナツメロ” としてではないリアルなインパクト感じさせてくれるものがいくつもある。その意味で、セルフカバーとは、時代を越えて輝くポテンシャルをもった楽曲を探す作業でもあるのかもしれない。

70年代の井上陽水は、『氷の世界』(1973年)によってアルバムの時代を切り開いた。そして80年代の井上陽水は『9.5カラット』によって、セルフカバーという表現様式を定着させたことでも記憶されていいと思う。



2020.12.21
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カタリベ
1948年生まれ
前田祥丈
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