11月21日

F1フルタイムドライバー、中嶋悟の歌手デビューと東京バナナボーイズ

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中嶋悟、F1引退記念のコンピレーションアルバム「SATORU NAKAJIMA」がリリースされた日
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日本人初のフルタイムF1ドライバー、中嶋悟が歌った「悲しき水中翼船」


今年は新型コロナウイルス感染拡大防止対策で、様々なスポーツ、エンターテインメントイベントが延期、もしくは中止に追いやられました。F1グランプリも例外ではなかったのですが、オーストリアグランプリ(以下、GP)を皮切りに7月より開催されることとなりました。その一方、1987年より継続して開催されていた日本GPは中止の憂き目に遭ってしまいました。

そんなこんなで、かつてのブームとは行かないまでも、現在もレッドブル系チームにホンダがエンジンを供給するなど、日本に馴染み深く定着しているF1。本日ご紹介させていただくのは、“日本人初のフルタイムF1ドライバー” である中嶋悟さんがお歌いになっていたというお話です。

その曲のタイトルは「悲しき水中翼船」というのですが、これにはF1に深く関連する因縁がございます。中嶋氏が活躍していた1980年後半の一般的なフォーミュラカーには、空気の力で車体を路面に押さえつけるための装備 “ウイング” が付いています。

これは、端的に言えば航空機についている空に浮かぶための翼を逆向きに取り付けることで車体を路面に押さえつけ、その結果安定した走行を可能にするというものです。昨今これが装着されていないレーシングカーは、ごく一部の入門カテゴリー以外には存在しません。然るに空気力学はF1にとって大変重要なものでございまして、現在に至るまで様々な試行錯誤が繰り返されております。

プロデュースは “鉄骨娘” の東京バナナボーイズ、“水中翼船” ってなに?


さて、中嶋氏はホンダの後押しで1987年にレジェンドであるアイルトン・セナをチームメイトにロータスチームからF1デビューするわけですが、成績低迷のためにセナとホンダエンジンを失い、1990年よりティレルチームに移籍します。

ティレル… そう、あの6輪車で一世を風靡した “タイレル” としてご存じの方もいらっしゃるかと思います。そのチームがデビューさせた019というフォーミュラ1カーのフロントウイングが、それまで一般的だった横一直線平面だったデザインから、当時タブーとされていた、車体に空気を招き入れるアプローチを取るために車体先端部を持ち上げたフロントウイングを採用しました。そのデザインインパクトは大きく、保守的なファンからは “ナマズの髭” などと呼ばれたのですが、一部で “水中翼船” と評されたものでした。

当時のF1ブームは先述のアイルトン・セナによるホンダエンジンの快進撃により最高潮になっていたのですが、日本においては中嶋氏の人気も絶大なものでして、日本国内でのレース時代からのパートナーであるセイコーエプソンのCMに、中嶋氏は1989年より登場していたのでした。

当初のCMでは、安全地帯のギタリストである矢萩渉氏が歌うCMソング「冒険者」が採用されていたのですが、翌1990年には、なんと中嶋氏本人がCMソングを歌唱する事態となったわけであります。楽曲は「鉄骨娘」など幾多のCMソングを提供していたCMディレクター村上明彦氏と、キティレコードのディレクター近藤由紀夫氏から成る東京バナナボーイズに手によるもので、それが「悲しき水中翼船」だったのです。

開拓者 中嶋悟、冒険を繰り返した不器用な男のラブソング


さて、この「悲しき水中翼船」のレコーディングは、中嶋氏の多忙なスケジュールのどさくさに紛れて行われたようであります。これは中嶋氏ご本人曰く、事前に伝えると断るに違いないと踏んだマネージャーである福田氏が仕掛けたトラップだった… とのことです。

曲のイメージは南国を思わせる素朴なスローテンポなトラックに、これまた中嶋氏の朴訥とした人柄がそのまま歌になっているようなボーカルが、リバーブ深めで乗っています。

村上明彦氏の手になる歌詞の内容は、それまで冒険を繰り返した不器用な男のラブソングとなっており、少し哀し気な感覚を残します。 そしてCM出演と当時のブームも相まって、この曲はなんとオリコンチャートの最高位は20位を記録しているのです。

日本人現役F1ドライバーが歌唱し、販売された曲は現在のところこの一曲だけであり、かつてのような盛り上がりを期すためにも、やはり日本人のF1ドライバーの活躍が望まれますが、皆さまはいかがお思いでしょうか。中嶋氏のF1ドライバーとしての活躍ぶりは、まさに開拓者であり、また冒険者でもあったのだと思います。最後にアルバム『SATORU NAKAJIMA』のモノローグからの一説をもってこの稿を締めさせていただきます。

「来なきゃよかったとか、引き返しちゃおうとか、そういった類の自分が選んだ事に対するこの道を選んだ事に対する後悔という事は… 無いですね」

2020.06.26
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カタリベ
1966年生まれ
KZM-X
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