1月27日

苛烈を極めた中森明菜の曲選考、敗者復活した異例のシングル「アルマージ」

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photo:Warner Music Japan  

神がかったシングルはジグソーパズルの最後のピース?「AL-MAUJ」


80年代、中森明菜のシングルは神がかっていた。

季節ごとに発売されるシングルは、常に聴くものに強烈な衝撃を放ちながらも、一方で「なぜこの曲が今までなかったのだろう」と不思議に思えるほど、あるいは昔から彼女が親しんでいた曲のごとく、リリースされた瞬間から彼女にしっとりとなじんでいた。

常に新しく、常に今まで聴いたことがなく、それでいて、ジグソーパズルの最後の空白の1ピースのような、周りの誰もが気づかなかった大切なひとかけら―― それが当時の中森明菜のシングル群であった。1988年1月発売、20枚目の中森明菜のシングル「AL-MAUJ」もまた、そのような1曲である。

「AL-MAUJ」は、作曲者の佐藤隆が1987年7月6日にリリースしたアルバム『水の中の太陽』収録の「デラシネ」の歌詞を変更したものである。しかし、これは正確にはカバーではない。

佐藤隆が作曲した「椿姫ジュリアーナ」(「SAND BEIGE」のB面)の評判が良かったことから、シングル用にと明菜のスタッフから再度依頼を受けて制作したもので、佐藤隆は1986年TBSの番組『音楽の旅はるか』の撮影のため渡欧中、ロンドンのホテルで書き上げたという。しかしなかなか明菜のシングルとしてリリースされず、結果佐藤隆バージョンのほうが先にリリースされてしまった。つまり「AL-MAUJ」はシングル選考落ちから敗者復活して返り咲いたという世にも珍しいシングルである。

「AL-MAUJ」がもしシングルとならなかったなら、1988年3月に発売されたアルバム『Stock』(シングル選考落ちとなった未発表作品をハードロック・アレンジでまとめたアルバム)に収録されていたかもしれない。

苛烈なシングル選考、中島みゆきもYMOもボツ、井上陽水もボツになりかけた


80年代の中森明菜のシングル選考は苛烈を極めていた。

中島みゆきの「見返り美人」、YMO「過激な淑女」、TM NETWORK「Come on Let's Dance」、これらはもともと中森明菜のシングル選考から漏れた楽曲であり、結果、提供アーティストによって世に出た。

シングル候補であったが、アルバム収録という形で中森明菜名義でリリースされたものとしては、竹内まりや「駅」、忌野清志郎・小林和生の共作による「STAR PILOT」(RCサクセションのバージョンは「SKY PILOT」)、来生たかおバージョンのシングルはポール・モーリア楽団のオケによるものであった「白い迷い」などがある。

中森明菜彼女の代表曲のひとつである「飾りじゃないのよ涙は」も担当ディレクターの島田雄三いわく「当初はアルバム用のつもりだった」というのだから驚きだ(オケ録音に井上陽水がひょっこり現れて「仮歌を僕に歌わせて」というので任せたところ、想像以上の作品だと気づいてシングルに格上げしたのだとか)。

一方でアルバム用・B面用のはずだったものがシングルに格上げされたものとしては、「DESIRE」、「Fin」(アルバム『不思議』収録予定)、「TATTOO」、「I MISSED “THE SHOCK”」(A面とB面を急遽差し替えしたのでジャケット写真はB面の「BILITIS」のイメージで撮影したもの)などがある。

中森明菜のシングルにおいて、作家の有名・無名、過去の実績などはまったくなんの意味もなさない。ただひたすら、

「次の中森明菜のシングルとしてふさわしいのはどれか」

それのみで選定していたのだろう。どんな大御所でもボツを出される一方で「これだ」と思ったものはどんな無名でも積極起用する。売野雅勇、芹澤廣明、都志見隆など、中森明菜のシングルをきっかけにソングライターとして勇躍したものも少なくない。

中森明菜の神がかったシングルたちは、このような音楽業界全体を巻き込んだ壮絶かつ巨大なコンペティションによって作り上げられていたといっていい。そしてこの巨大コンペティションは、80年代の中森明菜が当時の音楽業界において名実ともに頂点であったことの証明のひとつと言ってもいいだろう。そんな中、「AL-MAUJ」が敗者復活して返り咲きシングルとなった、その意義は大きい。

ちなみに、「AL-MAUJ」は楽曲の制作時期から類推するに、もともと1986年夏のシングル候補としてエントリーされた曲ではなかろうかと推測する。

1986年夏のシングルはA面が「ジプシー・クイーン」、B面は「最後のカルメン」となったが、これ以外に候補として「まだ充分じゃない」「Crystal Heaven」「処女伝説」も候補にあったとアルバム『Stock』発売時のファンクラブ会報に記されている。候補曲から類推するに1986年夏のシングルは、前年の夏の「SAND BEIGE」と同様、「異国情緒路線」をテーマとしていたに間違いない。となると1985年夏の選考ではB面までたどり着いた(明菜のシングル選考は次点がB面に収録するという流れだったという)「椿姫ジュリアーナ」の佐藤隆作品がここでエントリーされたとしても違和感はない。

作家を燃え上がらせるファイアースターター、中森明菜


中森明菜の楽曲は、作家がシンガーソングライターである場合、セルフカバーされたり、競作となることが非常に多いのも特徴のひとつであり、また、提供アーティストはセルフカバー・競作において、意外とも思えるアプローチを仕掛けることが非常に多いのも特徴的だ。

井上陽水の歌う「飾りじゃないのよ涙は」は、久石譲の手腕によるデジタルビートの効いたアレンジメントで攻撃的な一面をうかがわせた。井上大輔の歌う「URAGIRI」は、いつもの彼の爽やかでパワフルなボーカルを封印して、ウィスパリングで妖しい。大陸的なアレンジメントもあいまって、「哀・戦士」と同じボーカリストとは思えない仕上がりだ。

アルバム『不思議』の制作に参画したEUROXは、最初「歌詞なんて聴こえなくていい」と言い切る明菜の主張に各メンバーは疑問を感じたが、アルバムの仕上がりを聴いて「なるほど」と感銘、明菜への提供曲のセルフカバーを含む自身のアルバム『Megatrend』には、『不思議』の成果がふんだんに詰めこめられることとなった。

また、提供とはならなかったが中島みゆきの「見返り美人」はあえて中森明菜の初期のメインアレンジャーであった萩田光雄を起用して、百恵・明菜の築いたロック歌謡路線を大胆に発展させたようなサウンドで攻めている。ギターの咆哮が印象的な “ハードロック歌謡オペラ” といった味わいとなっており、これはみゆきさん、かなり意識したんだろうな、と。

「明菜はこう来るんだ…… なら自分はこう仕掛けるか」

“中森明菜” という素材にスパークした作家たちが、その成果を自分の作品にもフィードバックしている様子が見て取れ、両者の作品を聴き比べて、作品を立体的に味わえるといったところも、中森明菜の作品の楽しみかたの一つと言えるだろう。

かつて山下達郎が思わず竹内まりやのアルバムのライナーノートでこぼしてしまった中森明菜の歌った「駅」の解釈に対する苦言も、そのような触発によるものだと、わたしは受け止めている。

中森明菜は、作家を燃え上がらせるファイアースターターなのだ。そのような楽しみ方が、「AL-MAUJ」でも可能である。

「AL-MAUJ」と「デラシネ」、2つの音源を聴き比べ


佐藤隆の歌った「デラシネ」の音源を2つ聴き比べる。1987年のアルバム『水の中の太陽』収録のものと、1989~90年のライブ音源を収録したアルバム『アンプラグド・ライブ』だ。

この2つの音源の間に中森明菜の「AL-MAUJ」リリースがある。

聴き比べると、ライブ音源ということを差し引いてたとしても、佐藤隆の歌唱がはるかにエモーショナルで熱量が高くなっていることがうかがえる。

「彼って、こんなに熱く歌う人だったんだ」

エキゾチックなサウンドメイクは佐藤隆の得意とするところであり、「AL-MAUJ」という作品それ自体は、彼にとって “置きにいった作品” といえるだろう。また、佐藤隆の他のセルフカバーは、有名な「桃色吐息」を含めて、その多くが端正で抑制的な仕上がりだ。そんな彼が、ここまで激情に任せたような歌唱をするとは。そこに中森明菜の歌唱の影響を感じ取ることができる。

中森明菜は「AL-MAUJ」の歌唱は、これまでの中森明菜のシングルと比較しても、ビブラート歌唱が大きくフィーチャーされており、ボーカルは鮮烈だ。また平うたの語るように歌うところでも、内省的に小さくなることなく、強く前にボーカルを押し出しているところも印象的だ。

おそらく、中森明菜がこのように歌唱したのは、前作の「難破船」の逆で今回は攻めてみようというプロデュースワークによるものではないだろうか。

「難破船」は雪の吹きすさぶ極寒の海が舞台だったので、今度は灼熱の砂漠を舞台にしよう。

「難破船」はドキュメンタリータッチに聞こえたので、今度はどう聞いても100%ファンタジーの世界の歌にしよう。

「難破船」は恋で破滅してしまう女性が主人公だったので、今度は恋で男性を破滅させてしまう女性を主人公にしよう。

結果、男を魅了し狂わせる魔性の女を歌ったアラビアンファンタジー「AL-MAUJ」がシングルとして選定され、歌唱も、前作はウィスパー唱法でとことん小さく歌ったところから一転、ビブラート唱法でとことん派手に大きく歌うという方向性になったのではなかろうか。

この中森明菜とスタッフの計算は今回も見事に的中する。二匹の蛇が絡まる特注のマイクスタンドに、黒柳徹子に「まるでクレオパトラかサロメ」といわしめた衣装と、ミュージカルの一幕のような完璧で壮麗な虚構空間をビジュアル面でも完全に構築して、結果はオリコン週間最高第1位、オリコン年間第14位、売上29.7万枚。

1988年も盤石の滑りだしとなり、歌謡界の覇道を突き進む中森明菜、しかしその道のりがまもなく終わりを迎えることになるとは当時の誰もが予想しなかったことであるが、それはまた次の話である。



2021.05.22
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