歌謡曲における “3大作詞家” 阿久悠、松本隆、秋元康
昭和40年代以降の、演歌を排除した上で、歌謡曲においての “3大作詞家” は、阿久悠、松本隆、秋元康だと思っています。
ただ、いくぶん伝説化・美化されて語られがちな阿久悠、松本隆に対して、秋元康は、現役バリバリということもあり、その功績が語られることが少なすぎる気がします。
私自身も、秋元康の最近作には、正直見るべきものはあまりないと思っているのですが、逆に、80年代中盤、松本隆が手放しかけたビーチフラッグを目指して、売野雅勇や三浦徳子、康珍化らと群がりながら、最終的にそのフラッグをつかみ取ったあたりの、秋元康の作詞には素晴らしいものがあると考えています。
作詞家 秋元康の初ヒット、稲垣潤一「ドラマティック・レイン」
個人的に最高傑作だと思うのは、小泉今日子『夜明けのMEW』(1986年)なのですが、今回は、作詞家・秋元康の実質的な初ヒット曲=稲垣潤一『ドラマティック・レイン』(1982年)を例にとって、当時の秋元康の作詞術の、何がすごかったのかを、検証したいと思います。
それは、タイトルとなった “ドラマティック・レイン” というフレーズの、曲の中での置きどころに表れているのです。
この曲の構成は、ざっくり以下の6つに区分されます。
(1)♪ 今夜のおまえは~(Aメロ)
(2)♪ 車のライトが~(Aメロ)
(3)♪ レイン もっと(Bメロ=サビ)
(4)間奏
(5)♪ コートの襟を(Aメロの途中から)
(6)♪ レイン 今は(Bメロ=サビ)
Aメロとサビの間に架けた歌詞のフレーズ
この中で、まず(1)の終わりに、“ドラマティック” というコトバが出てきます。「♪ ああ 都会の夜は ドラマティック」。
そして、ここがポイントなのですが、(2)の終わりにも、「♪ ああ 男と女 ドラマティック」と、再度 “ドラマティック” というコトバが表れ、その流れで、(3)の冒頭の「♪ レイン」につながるのです。
タイトルとなっているフレーズ= “ドラマティック・レイン” が、(2)と(3)=Aメロとサビに渡っているのです。ここに、この曲の、そして若き秋元康の才能が集約されています。
図で示すとこうなります。
Aメロとサビ(Bメロ)は、普通、音楽的に別個のもので、そのあいだには、歌詞を区分する深い川が流れているようなものです。もちろん、歌詞のフレーズを、橋のように渡すことなど、まずありません。そこに秋元康は、“ドラマティック・レイン” というフレーズの橋を架けた。
それも、(1)では、「♪ ああ 都会の夜は ドラマティック」と終わらせておいて、(2)も「♪ ああ 男と女 ドラマティック」とまとめ、ここで切れるのかなと思わせながら、不意をついて、(3)に「レイン」とつなげる――
たった10文字のフレーズから始まった秋元康長期政権
「この『ドラマティック・レイン』って、すごく、いいんじゃない? ♪ ドラマティィィ――――ック レイン と、繋がる所が面白いしね」
これは、秋元康の自伝的小説『さらば、メルセデス』(マガジンハウス)に書かれている、秋元が書いたこの歌詞に対しての、音楽出版社の人間のコメント。そうです。「繋がる所が面白かった」のです。それも抜群に。
この『ドラマティック・レイン』から現在に至る秋元康長期政権は、このAメロとサビに渡された、“ド・ラ・マ・テ・ィ・ッ・ク・レ・イ・ン” という、たった10文字のフレーズから始まったのです。
※2017年5月28日、2018年7月9日に掲載された記事をアップデート
2020.10.21