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インディーズの襲来!ナゴムレコード主宰者 “ケラ” 率いる有頂天の音楽性とは?

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NHKで放送された「インディーズの襲来」


1985年8月8日、NHKで『インディーズの襲来』という番組が放送された。この30分のドキュメンタリー番組では、若者の新しいカルチャーとしてパンク・ニューウェーブ系のバンドの現状をレポートした。

80年代初頭からじわじわと浸透してきた日本のインディーズの流れの中で、この番組の放送は大きなターニングポイントになった。番組では、冒頭にラフィンノーズのライブ映像が映し出され、以下のようなテロップが流れる。

「インディーズとは、インディペンデント(independent)・レーベルからきた言葉でレコードの制作・販売などを自主的に行うグループの総称である。現在、本場イギリスをはじめ全世界に広まっているムーブメントだが、日本では70年代後半のパンク・ニューウェーブの高揚を契機として始まった。しかし去年の後半からは5,000枚(およそ500万円)以上売るグループも現われ、新しい音楽シーンを生み出している。日本のインディーズはほとんどがパンク系で、このラフィン・ノーズはその代表格。」(原文ママ)

彼らはメジャーの音楽シーンに殴り込みをかけるだとか、ヒットチャートを席巻するアーティストに対するアンチテーゼだとか、そういった意識でバンドをはじめ、自らでレコードを売り出そうと思ったわけではない。自分たちの音楽を聴きたいと願う小さいマーケットの中のファンのために、つまり自分たちの音源が届くべき層に届ける活動をはじめた。それが想定外の広がりを見せているという現状があった。

このムーブメントは日本においてもパンク、ニューウェイヴの高揚が契機だった。パンクを中心にライブハウス界隈のバンドを積極的に取り上げていた音楽雑誌『DOLL』の編集長だった森脇美貴夫が設立したレーベル「シティ・ロッカー」や遠藤ミチロウ率いるザ・スターリンの二代目ギタリストTAMが主宰したADKレコードなど、パンク、ハードコアバンドの音源を積極的に取り扱うレーベルを発火点とし80年代のインディーズシーンは徐々に盛り上がりを見せる。

パンク、ハードコアのシーンには暴力沙汰の噂が背中合わせだったのも事実。確かに当時のライブハウスにもそういった意味での敷居の高さがあった。しかし、このようなマッチョイズムが溢れるシーンとは一線を画していた独自の活動を展開していたのが、有頂天であり、このバンドのリーダーのケラ(現:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が主宰するナゴムレコードだった。

『インディーズの襲来』の中で、ケラが、

「(ナゴムの中で)売れてるバンドがばちかぶり、売れないバンドはオレンジチューブというのがアリマス」

―― と、どこか異国訛りでおどけた発言をしていたようにナゴムには数多くのバンドが在籍していた。結果的にケラはナゴムで70を超えるバンドの音源リリースに携わることになる。



一世を風靡した “ナゴムギャル”、同時期に存在した “ナゴム男子”


『インディーズの襲来』をきっかけにナゴムは大きなムーブメントとなり、“ナゴムギャル” という新たな人種がクローズアップされる。

彼女たちは、ツインテールの髪型に水玉のスカートやカットオフのジーンズ、ニーハイのソックスにラバーソール。時には、ぬいぐるみを抱きしめてランドセルを背負うといった個性的な出で立ちで街を闊歩する。すぐさま雑誌『宝島』などに大きく取り上げられ、ブームに拍車がかかる。

サブカル界隈では “ナゴムギャル” が一世を風靡していたが、同時期に “ナゴム男子” が存在していたのも事実。彼らの存在こそが、ナゴムの躍進に欠かせないものだった。

彼らの多くはYMOを音楽の起点として、フェリーニやゴダールなどシュールな映画を好み、名画座に足繁く通った。寺山修司など演劇にも造詣が深く、漫画雑誌『ガロ』を愛した。ここに登場していた蛭子能収や根本敬の描く、当時言われた “ヘタウマ漫画” に心惹かれた。暴力的な美学を好まず、争いを避けた。自分の世界観を強く主張するわけでもなく、ファッション的に目立つ存在ではなかった。そんな愛すべきボンクラが “ナゴム男子” だった。

ナゴムでは人生(ZIN-SÄY!)として音源をリリースしていた電気グルーヴの石野卓球にしても筋肉少女帯の大槻ケンヂにしてもそんな愛すべき “ナゴム男子” だったと思う。

「ヘンな音楽の殿堂」有頂天の音楽性とは?


そして、“ナゴム男子” の世界観を凝縮させていたのが有頂天だった。自らを「ヘンな音楽の殿堂」と名乗った有頂天は、ドイツのテクノポップバンド、クラフトワークやローリング・ストーンズ「サティスファクション」のテクノアレンジで有名なアメリカ、オハイオ州で結成されたディーヴォの影響が大きく見られた。ちなみに有頂天のステージ衣装である揃いの黄色いジャンプスーツはディーボォからのインスパイアだ。

しかし、そんな背景がありながらも、有頂天の音には、どこか無国籍な雰囲気を感じたし、何よりコミカルな演出とは裏腹に歌詞はシュールで文学的ですらあった。『インディーズの襲来』でも演奏された「ベジタブル」では、シンセサイザーが奏でるオリエンタルなメロディに乗せて、

 ビタミンづめの影法師
 僕置き去りに逃げ出した
 もとを正せば日は暮れて
 もとの木阿弥

―― と退廃的な香りがするリリックを紡ぎ出す。そしてステージパフォーマンスには演劇性が兼ね備えられていた。そして、ケラのヴォーカルはテクノポップという無機質な印象の強い音楽を踏襲しながらも極めて力強く、それは ”ナゴム男子“ の心の叫びのようでもあった。

自らの世界をしっかり持ち、あらゆるカルチャーに精通しながらも決して目立つ存在ではない彼らにとって有頂天は自分自身を投影したようなバンドだった。

1991年の「ナゴム閉社宣言」、その後 ”ナゴム男子“ は?


1986年、有頂天は「BYE-BYE」というインディーズシーンに決別するかのような意味深なタイトルのシングルでポニーキャニオンよりメジャーデビューを果たす。そして1991年にケラにより「ナゴム閉社宣言」が発せられ、ナゴムレコードは実質的な活動を終える。しかし、ここから輩出された著名人は今も当時と同じマインドで活動を続ける。



ばちかぶりのヴォーカルだった俳優の田口トモロヲ、大槻ケンヂ、石野卓球、ピエール瀧…。愛すべきボンクラの ”ナゴム男子“ は結構しぶとく、各方面で才能を開花させている。

それは現在、劇作家、映画監督、ミュージシャンとして精力的な活動を続ける “有頂天のケラ” こと、ケラリーノ・サンドロヴィッチにしても同じことだ。

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2023.06.14
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カタリベ
1968年生まれ
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