『少年ジャンプ』を卒業したら次にどの雑誌に向かうか? 後になってみないとわからないことだけど、少年期のその判断は、実は重要だった。僕の興味は5歳離れた兄の本棚に並ぶ『宝島』に注がれた。 1988年、中3の僕は九州の片隅で、ロック雑誌化した『宝島』のバックナンバーをさかのぼりつつ、貪り読んでいた。 インディーズ三羽ガラスなんて言葉を知った。 新宿アルタ前のソノシートばらまき事件に心をときめかせた。 ナゴムレコードの変態的な手書き広告に萌えた。 キャプテンレコードからリリースされた盤が田舎には置いてないから遠くの街まで探しにいった。 そんな日々の繰り返しだった。 そしてもう一つ、兄の本棚から引っ張り出してきた雑誌のバックナンバーがあった。その雑誌の名は『BLUE-JUG』(ブルージャグ)。79~86年に福岡で発行されたインディーズマガジンだ。 Vol.1から Vol.29 まで出ている。ロックを中心とした福岡ローカルのミュージックシーンを、映画のパンフレットくらいの薄い厚みの中に滅多やたらに詰め込んだ福岡限定音楽雑誌である。この雑誌がとにかくスゴかった。 誌面はまるごと福岡のロック一色。各号の表紙を眺めるだけでも圧巻だ。すでに東京に進出していたシーナ&ロケッツや THE MODS、ARB、ルースターズ、ロッカーズあたりは順当だとしても、次第に頭角を現してきたザ・アクシデンツ、モダン・ドールズ、UP-BEAT、ゼロ・スペクター、The HIPS、アンジー……、ついには泯比沙子 with クリナメン、The Swanky'sといったカルトなアーティストまでが平然と表紙を飾っている。 記事内容はきわめて熱く真摯だった。たとえば大江慎也の黄色いジャケットが目にまぶしいルースターズを表紙にした Vol.08(82年)には、前身バンドだった人間クラブの元ヴォーカル・南浩二の貴重なエッセイ「FROM KITAKYU」が掲載されている(ここで南は平均年齢18歳の駈け出しだった UP-BEAT を「演奏スタイルはモロ、ラモーンズというふんいきで、ゴキゲンです」と褒めている)。そしてラフィン・ノーズや有頂天がツアーで来福すれば「博多の印象はどげんですか?」と訊きまくる。徹頭徹尾、地域密着型である。 70年代のサンハウスから始まる博多ロックの歴史・伝統をリスペクトしながら、時にはある種年功序列的な福岡の特異性を疑問視する記事もしっかり載せていた。その視点はひじょうにジャーナリスティックだったと思う。誌面構成から、福岡のロックの本当を伝えようとする気概がビシビシ伝わった。筋が一本通っていた。それは当時の中学生にも目に見えるくっきりとした筋だった。 『BLUE-JUG』は公式サイトで表紙や目次、一部の記事が公開されている。見る人が見れば、という譲歩つきになるけれど、「日本のリヴァプール」はダテじゃないということがきっとわかるはずだ。『宝島』のユーモアと東京のサブカル的なセンス。『BLUE-JUG』の本気と九州的な一本気。どちらも好きで、憧れた。 時が経って僕が雑誌に携わる職業を選んだのも、たぶんこの辺りに根っこがある。
2018.03.25
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