10月31日

追悼:エディ・ヴァン・ヘイレン、クイーンのブライアン・メイとビッグな共演!

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ブライアン・メイ&フレンズのミニアルバム「無敵艦隊スター・フリート」が英国でリリースされた日
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『追悼:エディ・ヴァン・ヘイレン、革新的ギタープレイとポピュラリティの奇跡的バランス』からのつづき

クイーンのギタリスト、ブライアン・メイとのコラボレーション


誰もがイメージする “笑顔で弾くギタリスト”、エディ・ヴァン・ヘイレン。その親しみやすい表情をみていると、さぞ数多くのアーティストたちと共演していそうな気がするのだが、意外にもその例は少ない。

他のギタリストとの例でいえば、以前のコラム『ヴァン・ヘイレンも憧れた真のギターレジェンド、アラン・ホールズワース』でも書いた、自らが尊敬するアラン・ホールズワースとの1982、83年に行ったジャムのブートレッグ的な音源が残されている他、1988年には、かのレス・ポール氏のイベントライヴに参加し、ストレイ・キャッツを介して、B.B.キングら多数の著名ギタリストたちとステージを共にした映像を確認できる。

しかし、オフィシャルな音源での共演や、ゲスト参加となると皆無に等しい。そんな中で、もっとも知られているのが、ギタリストではないものの、結局のところ「今夜はビート・イット」でのマイケル・ジャクソンとの共演… ということになるが、それに勝るとも劣らない、知る人ぞ知るもうひとつのスーパースターとの共演があった。それが『スター・フリート・プロジェクト』での、エディとブライアン・メイのコラボレーションだ。

2人の出会いは、1978年に遡るという。当時、ヴァン・ヘイレンはブラック・サバスのオープニングに起用されており、トニー・アイオミと友人だったブライアンは、ロンドンでのライヴに訪れていた。

そこで初めて観たエディは「眩すぎるほどに輝いていた」と、ブライアンは述懐している。以来、友人としてエディのことを気にかけていたブライアンだが、1983年、LAに滞在していた時に、ふとエディとの共演を思いついたという。

1983年のクイーンといえば、問題作『ホット・スペース』をリリース後、ツアーもひと段落していた頃だ。ギターが極端にオミットされた作風の中で、ブライアン自身は、ロックギターをもっと弾きたい欲求が高まっていたに違いない。

特撮人形劇「無敵艦隊スター・フリート」のテーマ曲をレコーディング


一方のエディは、マイケルとの共演で一層ネームヴァリューを上げていた。さらに、5月下旬には伝説の『USフェスティバル』への出演を控え、名作『1984』の制作期間とも重なる、まさに脂が乗り切った時期だった。

「クイーンとはかけ離れた環境で、自分達だけで本当に楽しみながら音楽を作りたい」

ブライアンから連絡を受けたエディはそれに賛同し、同じくブライアンの友人である、ロッド・スチュワートバンドのベーシスト、フィル・チェン、REOスピードワゴンのドラマー、アラン・グラッツァーらと、1983年4月21日、22日に、LAにあるレコード・プラント・スタジオに入った。

ブライアンのアイデアとは、彼の息子が大ファンだった、英国で放送された特撮SF人形劇『スター・フリート』のテーマ曲を中心に、友人たちとセッションし、その模様をレコーディングすることだった。

ブライアンは手元のマスターテープを、外部には発表せずに、自分だけの個人的な最高の思い出として、保存しておくことも考えた。けれども、演奏したメンバーから音源として発表するよう促されたこともあり、ラフにミックスをしただけの状態で、1983年の10月に正式発売をするに至ったのだ。

エディ・ヴァン・ヘイレンとブライアン・メイのギター競演!


日本ではブライアン・メイ&フレンズ名義で『無敵艦隊スター・フリート』とタイトルされたミニアルバム。そこには、3曲約28分の音源が収められた。エディの軽快なハーモニクスで始まり、ブライアンの重厚なリフへと繋がっていく「スター・フリート」は、その映像にマッチした、勇壮で希望を感じさせるメロディが印象的な楽曲。ブライアンの少々線の細いヴォーカルのバックには、ロジャー・テイラーがコーラスで参加している。

聴きどころはもちろん、曲中の至る所で自在に絡み合う、エディとブライアンのギターの “競演” だ。粒立ちと抜けの良い音色のエディは、超絶な速弾き、ライトハンド奏法、いな鳴くようなアーミングと、持てる技を次々と駆使していく。一方、繊細で暖かい音色のブライアンは、クイーンさながらのギターオーケストレーションやハーモニーを繰り出し、先駆者の貫禄を見せつける。

ブライアンが書き下ろした「レット・ミー・アウト」、ブライアンとエディが尊敬するエリック・クラプトンに捧げた「ブルース・ブレイカー」は、シンプルなコードチェンジで、ブルース調のジャムセッションが長尺で続く楽曲だ。お互いのルーツを確認しながら、まるで会話するように延々と展開される、2本の個性的なギターによるジャミングは、聴いているだけで、ただただ楽しい。他のギタリストとの共演自体が珍しいエディだが、ここでは、信頼できる友人とのジャムを、リラックスして心の底から楽しんでいる様子が、眼に浮かぶようだ。

ミニアルバムのインナーには、ブライアンの愛器レッドスペシャルと、エディの愛器フランケンシュタインがスタジオ内に仲良く並び、僕のような2人のファンには見るだけでグッときてしまう、貴重な写真が掲載されている。奇しくも自らのギターをハンドメイドした者同士として、相通じるケミストリーが感じられるようだ。

ロックギター史上に残る歴史的なジャムセッション


わずか数十秒間のソロに、緊張感を高めて挑んだマイケル・ジャクソンとの共演とは全く真逆に、長い時間をかけ、リラックスして楽しんだブライアンとの夢の共演。80年代の2人のスーパースターとの共演が、形は違えどエディにもたらしたものが大きかったのは、想像に難くない。

残念なことに、『スター・フリート』の正式な音源は現時点で廃盤状態だ。当時のメディアで本作は、ブライアンの “真面目な” ソロ活動として捉えられてしまい、信じられないことに酷評を受けている。しかし、エディの訃報に接し、今改めて聴き直すと、いかにロックギター史上に残る歴史的なジャムセッションであったのかは、自明の理であろう。エディとブライアンが80年代に残してくれたこの貴重な音源が、再発やストリーミング化されることを願いたい。

エディのことを誰よりも気にかけていたブライアンだけに、今回いち早く出した追悼のメッセージは深く、悲しみに満ちていた。

「歴史上、最もオリジナリティで眩いギタリスト」
「僕達が分かち合った時間を宝物にする」

そんなブライアンからのメッセージは、きっと天国のエディにも届いていることだろう。



2020.10.31
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  YouTube / Brian May Official
 

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カタリベ
1968年生まれ
中塚一晶
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