12月

音楽が聴こえてきた街:文化屋雑貨店とナゴムギャル、時代に媚びない愛すべきへなちょこ

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時代ごとに姿を変えたヒップな街、原宿


確か小学校4年生の頃だから、78年だったと思う。夏休みの自由研究で、山手線一周をテーマにしたレポートを作った。ひとつひとつの駅の特徴と様子を写真に撮り、文にまとめるというものだ。祖父に連れられて夏休みの昼下がり、まだ冷房がない黄緑色の車体の山手線に乗り、駅ごとに目を凝らしていった。その時の事でハッキリ覚えているのは、原宿駅のコメントで、「人の乗り降りが少ない一番静かな駅」と書いたことだ。

この時期の原宿は、ラフォーレ原宿が開業する直前で、それまであった教会が取り壊されラフォーレビルとなるのだが、その周辺の表参道には、文化人、夢想人のたまり場であった喫茶店レオンがあり、また後の “渋カジブーム” で、不良少年たちの必須アイテムとなったインディアン・ジュエリーのゴローズや、80年代後半のガールズブランドとして Olive、キューティ少女の憧れとなる MILK もあった。

75年にキャロルの親衛隊として浴び、その後バンドとしてデビューしたバイクチーム、クールスも原宿を根城としていた。近隣のマンションには、60年代の終わりから “マンションメーカー” と呼ばれるアパレルブランドの数々が集まっていた。そんなヒップな場所であるにも関わらず、一般人からしてみれば、年末年始のみに賑わう明治神宮のお膝元というイメージしかなかったのかもしれない。

新宿という日本一の歓楽街の外れであり、若者の街渋谷の外れでもあった原宿。つまりのところ、メインストリームではない、一本路地裏のような街が80年代以降、ファッションやカルチャーの最先端を牽引する街として、時代ごとに姿を変えながら君臨し続けている。

ファイヤー通り沿い、渋谷と原宿の外れにあった文化屋雑貨店


80年代の DCブームは丸井など大規模な量販店を巻き込んでの全国的なブームとなったのだが、その直前、無国籍感溢れるチープでキャッチーでへなちょこな小物やインテリアが、流行に敏感な若者たちの心を捉えた。その発信地もメインストリートから外れた場所だった。渋谷の外れ、原宿の外れにあったファイヤー通りに居を構えていた文化屋雑貨店だ。

ファイヤー通りは周知のとおり、ここに鎮座する消防署が由来。その消防署の向いの、いわゆる文化住宅のような木造建築には個性あふれるショップや飲食店が軒を連ねていた。たとえば、映画『アメリカン・グラフィティ』に登場するドライブインからその名を受け継いだカフェ・メルス、ドリンクを頼むと大きなビーカーで出され、激辛のカレーが美味だったモボ・モガ、マニアックで厳選された品揃えで有名な中古レコード店HIFIレコード(モボ・モガと HIFIレコードは場所を変え今も渋谷に現存)、グラムロックからニューウェイヴまでの流れを踏襲した極彩色のイメージが強かった古着屋 HELLO etc. そんな中、アーリー80s当時中学生だった僕らでも入りやすかったのが文化屋雑貨店だった。

うっすらと暗い店内には、雑然とグッズがひしめき合う。チープでユニークな形をしたサングラスやプラスチック製のブローチ、60年代の懐古趣味的なスカーフ、中国土産のようなイラストが描かれたポストカード… 個人的に秀逸だったのがヒョウ柄のシャワーカーテンで、僕が二十代で一人暮らしを始めたときは真っ先にこれを買いに走った。

時代に媚びない愛すべきへなちょこ、ナゴムギャル


物質文明が先行され、アーバンなイメージに変貌していく渋谷の街とは一線を画した “チープでへなちょこ” なイメージこそが当時の最先端であった。この良い意味での “いい加減さ” “ユルさ” は70年代から80年代への転換期を象徴するテクノポップにも相通じるものがあったし、同時期にサブカルチャーとして注目されていた漫画雑誌『ガロ』系に登場するヘタウマ系のイラストレーターや漫画家… たとえば湯村輝彦や蛭子能収、根本敬らの作風にも相通じるものがあった。

そして、そんなムーブメントを総括し象徴するがごとく80年代半ばに登場したのが “ナゴムギャル” だった。ナゴムとは、すなわちナゴムレコード。現在、劇作家、演出家として大活躍中のケラ(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が主催するインディーレーベルであり、ここからリリースされたバンドのライブに足繁く通う女のコたちを総称してナゴムギャルと呼んだ。

ツインテールに水玉のスカートやカットオフのジーンズ、ニーハイのソックスにラバーソウル。時にはこれにランドセルを背負うといった個性的な出で立ち。まさに文化屋雑貨店のチープでキャッチー、愛すべきへなちょこ… な印象であったが、それと同時に、男に全く媚びを見せずに時代の先端に立つという強さを兼ね備えていた。

有頂天、人生、たま、ばちかぶり… 個性際立つナゴムレコード


彼女たちが愛したナゴムレコードには、当時 LAUGHIN' NOSE、THE WILLARD と並びインディーズ御三家と称されたケラ率いる有頂天の他にも、電気グルーヴの前身であり、石野卓球、ピエール瀧のユニット、人生(JIN-SAY!)やイカ天でその名を全国に轟かせた、たま、現在俳優として活躍する田口トモロヲが在籍した ばちかぶり、はたまた現在アダルトメディア研究家として多くの著作を出す安田理央のモデルプランツなど、以降に各方面で活躍する才能が共存していた個性際立つレーベルだった。

ナゴムレコードのアーティストの多くはニューウェイヴ、テクノポップの洗礼を受け、そこに演劇性を加味したものが多かった。ここに感じられるものは、重厚かつ技巧的なものがヨシとされた70年代までの音楽的価値観との決別であり、ポップかつチープ、一見へなちょこでありながらも、誰にも媚びることのない DIY精神に溢れていた。だからナゴムギャルもまた、そんな精神性を踏襲したような出で立ちで自己主張してたのだろう… と今改めて思う。

有頂天「心の旅」をカバー、ナゴムレコードへのアンサーソング?


数々の個性的なバンドを世に放ったナゴムレコードであったが、当初、実質ケラひとりで運営していた経営状況は芳しくなく、ケラが当時『タモリ倶楽部』に出演した際に、「本当の意味でのインディーズメーカーは滅んでしまう。インディーズという名目で大手が吸収したやり方になってしまう」といった発言をした。それと同時期に、有頂天は現在の宝島社の傘下にあったキャプテンレコードより、シングル「心の旅」(チューリップのカバー)をリリースする。

 にぎやかだった街も 今は声を静めて
 なにをまっているのか
 なにをまっているのか
 いつもいつの時でも 僕は忘れはしない
 愛に終わりがあって 心の旅がはじまる

抒情的なオリジナルを無視するかのようにたたみかけるビート。しかし僕はここに普遍的なメッセージを感じ取った。これは、いずれ終わりがくる当時のインディーズブーム、ナゴムレコードへのアンサーソングだったのだろうか… なんてことを僕は時たま考える。その後有頂天は、キャニオンレコードよりメジャーデビュー。2015年には活動を再開。ケラの多岐に渡る活躍は周知の通りであり、ナゴムから巣立ったアーティストたちも縦横無尽に各方面で活躍している。その姿は一貫して飄々といており、媚びる気配が全くない。ナゴムレコードの心の旅はまだ続いている。そして当時のナゴムギャルたちは、そんな現在のカルチャーシーンを涼し気に見つめているのだろう。


歌詞引用:有頂天 / 心の旅

2020.03.12
30
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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