80’s Idols Remind Me Of… vol.10
まっ赤な女の子、半分少女、艶姿ナミダ娘 / 小泉今日子
アイドルシーンを豪華に彩った “花の82年組” は、80年代を通して見れば中森明菜と小泉今日子が双璧ともいえる存在感を示していた。
しかし、このふたりのデビューから最初の3枚のシングルを比較すれば――
■中森明菜
「スローモーション」30位
「少女A」5位、
「セカンド・ラブ」1位
■小泉今日子
「私の16才」22位
「素敵なラブリーボーイ」19位
「ひとり街角」13位
(※オリコン・シングルランキング最高位)
―― スタートダッシュで小泉は、中森に大きく水をあけられていたのは明白だ。
小泉今日子が “アイドル アーティスト” として広く一般層に強い印象を与えた作品が何かと言えば、何と言っても「なんてったってアイドル」(85年)であり、以降彼女はシンガーとしての確たる存在感・立ち位置を90年代前半まで、長きにわたり築いていった。それはもう中森に匹敵する、いや凌ぐ勢いだったのは周知の事実。
では「なんてったってアイドル」までの3年間を小泉は、ただ指をくわえて “中森台風” が過ぎるのを傍観していたのだろうか…
答えはノーだ!
小泉陣営は5枚目から7枚目のシングル(すべて83年)で、ターニングポイントともいえる素晴らしい仕掛けを以て、中森陣営(延いては、松田聖子陣営)に挑んでいた――。
★5枚目「まっ赤な女の子」
欧州女性グループを彷彿とさせる極上キャンディポップ。
★6枚目「半分少女」
名曲然とした楽曲。シティポップの極致のよう。
★7枚目「艶姿ナミダ娘」
トレヴァー・ホーンばりのニューウェービーなクラブポップ。
すなわち、この3枚で、それまでとは明らかに一線を画したシングル楽曲のブラッシュアップを図っていたのだ! それは、今でいう “楽曲派アイドル” たるものであった。
80年代アイドルシーンの特徴のひとつとして、松田聖子を中心とするシングル楽曲のいわゆるシティポップ化が挙げられるが、小泉陣営はその潮流に乗りながら、類まれなる小泉今日子のアイドルとしての資質を開花させようと目論んだわけだ。
そして、この3作のタイトルを見てみると、『女の子』⇒『少女』⇒『娘』とある。ひとりの女性がオトナの階段を登っていく成長過程を見せられているではないか! シングル作品3枚にわたる、なんと壮大な仕掛けであることよ! さらに付け加えるならば、その直後のシングルが “あんみつ姫” 名義の「クライマックス御一緒に」なのである――。
なんと、『娘』が『姫』になってクライマックスを迎える… そんな深読みをせざるを得ない完璧なオチまで用意。これが宇宙レベルの大仕掛けだったということが、皆さんにはわかって頂けただろうか。
「まっ赤な女の子」はオリコン最高位8位を記録。以降、小泉のシングルは94年まで、そのすべてがトップ10入り。83年の『少女三部作』の仕掛けは(勝手にそう呼んでいます)、結果的に見事小泉陣営の目論見通りとなったという訳だ。
「なんてったってアイドル」は決して突発的なヒットではなかった。そこに至るまでの試行錯誤とエポックメイキングな仕掛け――『少女三部作』を見逃すわけにはいかないし、これを永遠に語り継いでいきたいものだ。
2019.02.04
YouTube / Victor Entertainment
iTunes / コイズミクロニクル コンプリートシングルベスト1982-2017
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