70年代の洋楽を食べて80年代を走った日本のロックアーチストたち。美味しい食事が明日の活力となるように、1970年代に来日した洋楽ロックアーチストに、ボクは目からウロコ。
先輩に連れて行かれたレッドツェッペリン武道館公演(1971.9.23)をはじめ、ディープパープル、エルトンジョン、ボブマーレイ、T-REX、グランドファンクレイルロード、シカゴ、EL&Pなど片っ端から見に行ったので少ない給料はすべてチケット代。
まだまだ数少ないが、すべてが刺激的でパワフルな来日ロックアーチストの、1971年72年は、まさにロックの黒船襲来となった。
60年代後期のビートルズの活躍、ウッドストックの映画などに刺激され、70年代に活動を始めた日本のロックアーチストたち。新宿ロフト、渋谷屋根裏が始まり、京大西部講堂など関西でもロックの芽が胎動し始めた。来日ロックアーチストに刺激され、洋楽という栄養を蓄えて、80年代に一気に日本ロックは花開いた。
九州からやってきたサンハウス(75.6.25 デビュー『有頂天』)、ふとした出会いからボクの初仕事になった頭脳警察のPANTA(76.4.25 ソロデビュー『PANTAX'S WORLD』)。
サンハウスの柴山俊之さん鮎川誠さんそしてPANTAは、ボクの恩師である。彼らによってゼロから鍛えられ、身も心もロック道に導かれ、40年たった今も続いている。
1975年、ビクターは洋楽部の中に日本ロックレーベルを始めた。ビクターシンボルのニッパーくんが飛翔するイメージのFLYING DOGレーベルである。翌76年にはPOPS全般を扱うINVITATIONレーベルが始まる。ロックのSPEEDSTARレコーズは1992年から。
75年、ひよっこ以前のタマゴディレクターを始めたボクの初スタジオ仕事がPANTAというラッキーさ! しかもカメラマンは鋤田正義さん! 恐れを知らず、猪突猛進!
78年79年の制作担当アーチストは、サザンオールスターズ(78.6.25デビュー)、ARB(79年)、プラスチックス、松田優作、シーナ&ロケッツ、ダンガンブラザーズ、西岡恭蔵、Black Cats、BORO、ピンナップス、マリコ with キュート……。スタジオ掛け持ちのバタバタした日々が懐かしい。
そして、この全アーチストが、80年代になだれ込んで、大きく羽ばたくことになった。アングラフォークの反動だろうか、メディアも変化して、新しいロック世代が、アーチストが、クリエイターが、一気にオーバーグラウンドに浮かび上がってきた時期である。
ボクたちは、ロック専門誌のようなスモールメディアと、テレビショーなどマスメディアへの両方への露出を目指してあがき始めていた。アングラの居心地の良さが一転して、表舞台に飛び出た気恥ずかしさ、窮屈さ、プレッシャーを感じたものである。
彼ら、ロック世代アーチストに共通していたのは、洋楽という遥か世界中のブルース、ジャズ、ロックというご馳走をお腹いっぱい栄養にして、そのエネルギーを持って走り始めたことだと思っている。
(つづく)
2017.05.08
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