85年8月NHKで放映されたドキュメンタリー『インディーズの襲来 解き放たれたサウンド』は「インディーズという言葉をよく聞きますが、あなたはご存知ですか?」というテロップから始まる。
インディーズ。すなわち、メジャーレコード会社の制約に縛られることなく、自主的にレコードをリリースし、活動するバンドが世間に認知されるようになったきっかけはこの番組によるところが大きい。
当時、その頂点に君臨していたのが、有頂天、ウィラード、そしてラフィンノーズという三つのバンドだ。
僕も十代の後半、ラフィンノーズばっかり聴いていた時期があった。学校の行き帰りのウォークマンにはインディー時代のミニアルバム『NEVER TRUST WOMEN』をダビングしたカセットを入れ、同級生と組んでいたバンドでは「パラダイス」や「I CAN’T TRUST WOMAN」をカヴァーした。テクがなくても、ベースを低く構えるだけで、すぐにパンクロッカーになれた。
あれから30年。今もラフィンノーズは現在進行形のPUNK ROCKとして僕の心を捉えて止まない。
ラフィンノーズのすごさは、音楽、スタイルのみならず、DIY精神による行動戦略にあった。まさに、究極のミュージックビジネス指南書、矢沢永吉激論集『成り上がり』にも引けを取らないアイディアと行動戦略が後の多くのインディー系バンドの指針となり、「PUNKってなんだ?」という命題に対して最も明確な答えを示してくれている。
自分たちでお金を出して、自分たちのレコードを作り、自分たちで売る。いまでは当たり前と思えることが、当たり前ではなかった80年代前半、このスタイルを認知させたラフィンノーズの功績は大きい。
自らが立ち上げた自主レーベル「AAレコード」からは自らの音源のみならず、アーティストを発掘し、オムニバスをはじめとする数々のレコードをリリース。1985年4月、東京、大阪で行われた「ばらまきソノシート」によるプロモーション活動は、ネットなき時代の象徴的な出来事であり、多くのファンが押し寄せ、現在でも伝説として語り継がれている。
また、ラフィンノーズのこれらの行動戦略は「10人いたら10人に理解してもらおう、そのために音、ルックス共に歩み寄りが必要」という80年代にありがちなメジャーのマーケット拡大の戦略とは一線を画していた。
媚びないルックスと音。これを求めている人がいるならば、どのような方法論で届けばよいのかを彼らは論理的に考えた。そうして効率的に動いた結果、空前のインディーズブームを呼び起こし、85年11月21日、華々しくメジャーデビューを飾ることになった。
その後、多くのバンドマンが彼らのやり方を踏襲した。つまり、例えとしては、大きくて柔らかいパンを作るのではなく、小さくても硬いパンを作ることを目論んだのがラフィンノーズの手法である。こうやって彼らは自らの場所を自らの手で作り上げていった。
このスタンスは現在も継続中だ。メジャー活動期間を経て、4年間の空白の後、自らのレーベルを立ち上げ95年に再結成。コンスタントに活動を続け、先日3年ぶりのアルバム『50’s ROLL』を発表した。その健在ぶりは、多くの中高年PUNKSに勇気と希望を与えている。
「やるだけやっちまえ!やれるもんならやってみな!」というDIY精神。
ロックンロールは自らの内面を映し出す鏡… つまり、ブレずに自らを貫くという一番コアな部分を30年以上全うしている彼らの強さを僕たちは感じてきた。
そんなラフィンノーズのスタイルが集約された傑作が86年12月にメジャーから発売されたセカンドアルバム『LAUGHIN’ ROLL』であるとするならば、先日発売された『50’s ROLL』は、その続編になる。
30年以上の時を経た続編。
50代半ばに入った彼らが放ったその作品は、まさにPUNK ROCKが時代を超える飛び道具であることを証明してくれている。
PUNKはキャリアと共に加速し、生き様としての足跡を残す。そう、PUNKは蘇生する。それをラフィンノーズは体現してくれている。
2017.09.19
YouTube / vhstape
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