10月17日

元ちとせ「ワダツミの木」をプロデュースした上田現の才能

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photo:Victor Entertainment  

2002年、日韓共催となったFIFAワールドカップ開催期間中の梅雨の時期、ひたすら有線から流れてきたのを聴いた三曲がある。

ポカリスエットCMソングにもなった麻波25の「SONS OF THE SUN」、「波乗りジョニー」と対を成すかのような情念を描き出した桑田佳祐の「東京」、そして「その声は、100年にひとり。」のキャッチコピーと共に鳴り物入りでデビューした元ちとせの「ワダツミの木」。

作詞・作曲・編曲を手がけたのが、バンドを離れてソロ活動を主体としていたレピッシュの上田現だと知った時は、妙に合点がいったものだ。だが、「ワダツミの木」で彼の才能が実を結んだのではないと初めに言っておきたい。

前年の2001年、真心ブラザーズ、JUDY AND MARY、THE YELLOW MONKEY、ピチカート・ファイヴと、80年代に活動を開始し、90年代に活躍したバンドが続々と活動休止を表明する中、レピッシュもバンド活動の制限を余儀なくされていた。

ドラマーの雪好が体調不良を理由に叩けなくなり、脱退。これが、レピッシュにとってのターニングポイントだったように思う。僕は雪好のドラムが好きだ。レピッシュの音が古びないのは彼のタイトなドラムの音色に負うところが大きい。この音を欠いた段階で、もはやレピッシュの音ではないように思える。それはレピッシュが何よりバンドらしいバンドだった証左だ。

ボーカリストの MAGUMI は、初のソロ名義で久保田早紀「異邦人」のカバーを表題曲としたマキシシングルをリリース。この選曲は「イージンサン」「シュハキマセリ」等、異国情緒、無国籍感と評される事の多かった上田現作品の世界観を潜在的に希求したものではないだろうか。一方、カップリングの「room」はレピッシュのセルフカバーで、ギタリスト杉本恭一の手によるもの。これは上田現の世界を彷彿とさせる「異邦人」とのバランスを考慮した結果ではないだろうか。

ベースの tatsu は元チェッカーズの武内享をバンマスとしたケミストリーのツアーバンドのメンバーに帯同する事になる。その他にも、卓越したベースプレイでレコーディング、ツアー、テレビ出演等サポートとして引く手数多。DJ として活動する側面もある柔軟な音楽性の持ち主だ。「どうせやるならチェッカーズぐらい有名になりたい」と言っていたユニコーンとは真逆のスタンスだったレピッシュだが、tatsu はチェッカーズのメンバーとの共演も可能なポテンシャルを持ち合わせていた。

そして “不動のサポートメンバー” ミュート・ビートの増井朗人(トロンボーン)。彼は、歌ものバンドであるレピッシュと、国内のスカ / レゲエシーンでスカパラとの橋渡し役を担った。

また、まだオルタナティブという便利な言葉が生まれる以前、ミクスチャーと呼ばれていた80年代、レピッシュはデビュー前にしてフィッシュボーンの前座を務めた実績もある。さらに、90年代に入ると、フランスのバンド、マノ・ネグラと現地で共演するなど、レピッシュの秘めたる凶暴性は国境すら物ともしない勢いだった。

ところで、レピッシュ(LA-PPISCH)とは、ドイツ語で「バカげた」「子供じみた」等の意味である。雨後の筍のような平成バンドブーム群の中で、ジャーナリズムによるカテゴライズをやり過ごすのに、自らの音楽性に「ポコチンロック」といったレッテル(バカロックというのもあった)を貼ったりもしていた。

1989年に制作されたサードアルバム『からくりハウス』は、ポップの魔術師トッド・ラングレンがプロデュースした意欲作だ。手練れのトッドとのアルバム制作を通してレピッシュは、性急な8ビートで畳み掛けるのが身上のような当時のバンド群の中から頭一つ抜け出す術を会得したように思う。

そして90年、セルフプロデュースによる4枚目のアルバム『make』の最後に収録された上田現の作品「ハーメルン」について、MAGUMI は「それまで試行錯誤してきたレピッシュの音楽が、遂に一つの形として結実した」とまで述べていた。翌年元旦、ジャイアントシングル(今で言うマキシシングル)という体裁で「ハーメルン」をリカットした事実は、その自信の現れではないだろうか。

さらに91年、前年の「ハーメルン」でその作品世界を確立してみせた上田は、初のソロアルバム『コリアンドル』をリリースする。表題曲「コリアンドル」に惚れ込み、元ちとせのアーティストイメージを重ねたオフィスオーガスタ(元ちとせ所属事務所)社長が二人を引き合わせた訳だが…

2008年、運命の悪戯が若くしてその命を奪ってしまう。その年の秋、上田を敬愛するミュージシャンらによって完成したトリビュートアルバム『Sirius~Tribute to UEDA GEN~』。「ハーメルン」のカバーこそ、かつてのレーベルメイトであった BUCK-TICK に譲ったが、ソロアーティストである元ちとせが、上田のソロキャリアの起源に溯り、「コリアンドル」を歌ったのは心憎い演出だ。

「ハーメルン」が完成した時点で、既に開花していた上田の才能が、世に認められ、受け入れられるまでには、元ちとせの「100年にひとりの声」と12年の歳月を必要としたのかもしれない。

2019.10.17
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カタリベ
1973年生まれ
公認心理師キンキー
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