「僕は江戸君が大好きだった。」 元MUTE BEAT、今もKodama and the Dub Station Bandで聴く人の胸を突き刺すようなトランペットを響かせる「こだま」さんは、かつて「小玉和文」の名義で親友・江戸アケミ(JAGATARAのヴォーカル)の死を悼んだ。 この文を想いだすたびに僕の胸は詰まり、途方に暮れる。加藤典洋という批評家はこだまさんの音は言葉だと書いていたが、僕はこだまさんの言葉を音として覚えている。JAGATARAの遺作『そらそれ』のライナーに印刷されて以来、この言葉を想いだすたびに僕の頭には「そらそれ」が流れ、こだまさんの言葉が鳴り響くからだ。 この追悼文はありふれた言葉で綴られているから、書こうと思えば誰にでも書けるはずだ。それなのに江戸さんが亡くなった時、「アケミ」ではなく「江戸君」と記した人がどれくらいいただろう。 われわれの世代(今40代)では名字よりも名前で呼ぶ方が親密さの度合いが高いと考えられていた。それなのに敢えて名字で記したという事実に、僕は二人の親密な関係を垣間みる。だからよけいにもの悲しい。こんなことを想いだしたのは先日、昨年(2016年)に亡くなった有名人という記事を目にしたからだ。 デヴィッド・ボウイが死にプリンスが死に、年末にはジョージ・マイケルが死んだ。「際物」の代表格ピート・バーンズが死に、ゴダールのカルト映画『気狂いピエロ』でどぎつく鮮烈な色彩の映像を残したラウール・クタール、『地下水道』のアンジェイ・ワイダ、そして千代の富士が死んだ。 戦争や震災、自死や事故で亡くなった無名人の数は限りないから、記事が挙がるのはほんの一部にすぎないのだが、その中に朝本浩文さんの名を見つけて驚いた。 2016年11月30日、享年53歳。2014年に「自転車を運転中に転倒し頭部を強打。以来、意識不明の状態が続き、2年2ヶ月もの間、療養生活を送っていた」らしい。確か事故直後に夫人が自動車の情報(※)を求めていたように記憶する。 朝本浩文。 どれだけの人が彼の名を知っているのだろう。AUTO-MOD、MUTE BEAT、Ram Jam Worldと羅列しても分かる人がどれだけいるのか。でも、朝本さんプロデュースによる「情熱」「甘い運命」(UA)の洒脱なメロディを記憶している人はたくさんいるに違いない。大ヒットした「ミルクティー」(1998年)では作曲も担当した。 The Boomの「帰ろうかな」(1994年)のプロデュース、沢田研二や和田アキ子、広末涼子などへの楽曲の提供。いったい、朝本さんの関わった曲を聴いた事のない人なんているのだろうか。 僕にとっての朝本さんはMUTE BEATのキーボードだ。3枚目のアルバム『MARCH』以前のキーボーディストで、後に北村賢治さん(JAGATARA)に代わるが、初期の繰り返しの多い鍵盤のメロディはすべて朝本さんの音だ。ミュート時代のどの曲を聴いても独奏のパートは似たような印象を受ける。 2008年の1夜だけの再結成ライブでも、相変わらずの相変わらずな音を聴かせてくれた。でもワンパターンは偉大さの条件だ。ドアーズの曲はどれも似たり寄ったりで、フェリーニはこれでもかと自伝的要素を繰り返し、小津の各作品は区別がつかないほど相似ている。 それは偉大なマンネリズムで、読む側/聴く側/観る側が反復に繰り込まれた微妙な差異を読みとらねばならない。これに付き合えるかどうかで、そのアーチストとの、あるいは大切な人との距離が自ずから決まる。 「江戸君の曲や歌詞は偉大だ。じゃがたらが創り出してきた偉大なものは残されている。だけど、悲しいのだ。江戸君がもう何処にも居ないという事が… 。1990年3月5日」 先の追悼文はこう締めくくられている。CDやLPは眼の前にあるし耳に響いているのに、大好きな人はもういない。こだまさんの言葉は残された偉大なものを通して、もう「いない」という悲哀の感覚を聴き取らせる。 朝本さんの残したものもやはり偉大だ。「UAのヒット曲」として知られる曲も、時には朝本さんの偉大な曲として静かに耳を傾けてほしい。それが大切な人を想うということなのだから。 ※編集注: 渋谷区内の路上でタクシーが走り過ぎた後、朝本氏が道路に飛ばされる様子がコンビニの監視カメラに映っていた。ただし、ぶつかった瞬間は映っておらず、タクシーが過ぎ去った後だったため、交通事故と特定できないと警察からは伝えられているという。
2017.04.10
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