5月

追悼:ユーロビート番長「デッド・オア・アライヴ」名前通りの波乱人生?

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デッド・オア・アライヴのセカンドアルバム「ユースクエイク」が全英でリリースされた月
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photo:South China Morning Post  

ディスコを中心に日本を席巻したユーロビート。なかでもストック・エイトキン・ウォーターマンというUKの3人組プロデュースチームが次々とヒットを量産していました。カイリー・ミノーグやリック・アストリー、バナナラマといったアイドルやポップスターが彼らのプロデュースによりビッグになっていきます。そんなストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースしたアーティストのなかに、ちょっと異色の存在が。それがここに紹介するデッド・オア・アライヴです。

ルックスはモデル顔負け美貌のトランスジェンダー(っていう言葉は当時無かったですが)なんですが、顔と体がでかく、声もやたらと野太いという超アンバランス(ギャップというやつですか…)なところが魅力のピート・バーンズを中心としたバンド、デッド・オア・アライヴ。何が異色かというと、その際だった存在感もそうなのですが、そもそものバンドの出自が私の気になるところでした。

UKニューウェイヴのバンドが好きだった私は、デビュー当時はU2のライバルとまで言われたエコー&ザ・バニーメン、ジュリアン・コープが在籍していたティアドロップ・エクプローズや、日本ではほぼ無名でしたがマイティ・ワーというグループなどのリバプール出身のアーティストに注目していました(リバプール・ネオ・サイケなんて言葉もあった)。そして、実はピート・バーンズもそのシーンの中心にいた人物なのです。

ちょっとややこしいんですが、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マッカロクとジュリアン・コープ、マイティ・ワーのピート・ワイリーが組んでいたバンドからイアンが抜け、残りの二人とピート・バーンズが新しくバンドを組んでいたということです。

ピート・バーンズはその後デッド・オア・アライヴを結成、当初はゴシックサイケともいえるダークなニューウェイヴサウンドでしたが、メジャーデビューの頃には完全なダンスサウンドに変貌、メジャー2作目「ユースクエイク」でストック・エイトキン・ウォーターマン・サウンドとなり、そこで現在に至るまでのデッド・オア・アライヴが完成するのです。

当時、ダンスミュージックにはちと疎かった私も「ユースクエイク」のカッコ良さにはやられました。スピード感のあるハイパーなビートにあの野太い声がメロディアスに乗っかり、何となく上から目線のピートに諭されるような「ユー・スピン・ミー・ラウンド」のPVも超かっこよかった。なんとなくチャラいイメージだったストック・エイトキン・ウォーターマン(とその仲間たち)ですが、このアルバムを機にちょっと見直しましたね。

デッド・オア・アライヴは、その後もユーロビート番長としてヒットを出し、特に日本では90年代のジュリアナ隆盛にも一役買っておりました。整形手術を重ね、今ではかなり顔が変わってしまいましたが、「ユースクエイク」の頃は本当にカッコよく、また美しかった。ということで、名曲「ユー・スピン・ミーラウンド」とゴス時代の貴重な「I'm Falling」(映像なし)をお楽しみください。


編集注:
このコラムは、ピート・バーンズが亡くなる以前に書かれたものです。故人の冥福を心よりお祈り申し上げますします。合掌。Rest in Peace.

2016.10.29
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  YouTube / DeadOrAliveVEVO 


  YouTube / The Unofficial Dead or Alive Youtube Channel
 

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カタリベ
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