5月1日

1982年の中森明菜、デビューは “スローモーション” でもブレイクは早かった!

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1982年のアイドルラッシュ、クラスの男子の “推し” は誰?


「そりゃ中森明菜でしょ」

ドヤ顔でそう語った同級生の言葉がいまだに耳に残っている。時は1982年6月。都内の男子校に通っていた筆者のクラスでは休み時間にテレビや音楽、そして漫画の話で盛り上がるのが常だった。当時高2で思春期の真っ只中。必然的にメディアで見かける可愛い女の子の話題も多くなる。この年は3月以降、同世代の女性アイドルが続々と登場したこともあり、今でいう “推し” が誰か? というのも定番ネタとなっていた。冒頭のコメントはそんなときに飛び出した。

発言したのは洋楽好きで普段は歌謡曲を敬遠していたTくん。彼とバンドを組んでいたMくんも「明菜はいいよね」と横で頷く。「へ~、彼らがこんなことを言うなんて珍しいな」と驚いたので、今もしっかり憶えているのだろう。その理由は「ほかのアイドルと違って曲がいいし、歌もしっかりしている。しかも可愛い」。つまり非の打ちどころがないということだ。ドヤ顔になるのも無理はない。

「そういうお前はどうだったんだよ」――。そんな声が飛んできそうだが、筆者自身は1980年にデビューした河合奈保子の大ファン。なので1982年の “アイドルラッシュ” を「奈保子ちゃんの座をおびやかすような子はいないか」という警戒交じりの視点で眺めていた。幸い6月の段階ではライバルといえる存在はいなかったが、前述の出来事もあって、明菜に関しては「普段アイドルに興味がない洋楽ファンをも惹きつける新人」という特別なイメージを持つようになった。

予約で完売! 中森明菜「スローモーション」&「はじめまして」BOX




その中森明菜が「スローモーション」でデビューしたのは1982年5月1日。今年はそれから40年となる。彼女と同学年で、同じ時代を歩んできた身としては、それだけの月日が流れたことに感慨もひとしおだが、今年はその節目にあたる5月1日に嬉しい企画がリリースされる。デビュー直前の1982年3月、取材やレコーディングのために訪れた米ロサンゼルスで撮影された素材を収めた映像作品『はじめまして』(VHS / ベータマックスの2形態で1985年5月1日に初発売)が初Blu-ray化されると同時に、同作と「スローモーション」の7インチ初ピクチャーレコード、各種復刻アイテムを同梱した生産限定BOXが発売されるのだ。

BOXは1,500セット限定だが、予約の段階で完売。追加プレスを行なうもそれも完売、と明菜人気の高さを実証した。筆者は『はじめまして』とBOXの双方に封入されるブックレットで島田雄三氏(ワーナー・パイオニアで明菜をデビュー時から担当した音楽プロデューサー)の貴重な証言の取材・構成を担当しており、そのご縁もあって本コラムを執筆させていただくこととなった。そこで今回は島田氏の回想も交えつつ「1982年の中森明菜」を検証したい。

3度目の正直「スター誕生!」で合格! 中森明菜を見出した島田雄三


1965年7月13日、中森家の三女として生まれた明菜は幼い頃から歌が好きで、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に4回挑戦(うち1回は予選会落ち)。3度目のテレビ予選出場となった1981年7月22日(放送は8月2日)、山口百恵の「夢先案内人」を歌い史上最高得点で合格する。同番組のプロデューサーだった金谷勳夫氏によるとテレビ予選の3回出場は極めて異例で、スタッフのなかには「彼女はもういいんじゃないか」という声もあったとのこと。それでも過去2回より成長の跡が見えたためテレビ予選を認めたところ、見事 “3度目の正直” を果たしたというわけだ。

筆者は「人に語りたくなる物語があるか」がスターの条件の1つだと考えているが、その点で言うと明菜には最初からドラマがあった。どんなに不合格が続いても諦めることなく挑戦し続け、最後は最高得点で合格をもぎ取る。それはやはり人の心を打つし、「明菜って、すごいんだよ」という “伝説” にも繋がっていく。その「人に語りたくなる物語」は以後40年にわたって彼女の周辺で生まれ続けることになるが、それについては別の機会に触れるとして、今回はデビュー時の話に限ることにする。

1981年11月11日(放送は12月6日)、『スタ誕』の第38回決戦大会に出場した明菜はやはり「夢先案内人」を歌唱。11社からスカウトを受けるが、その1人が島田氏であった。前週に開催された下見会で初めて彼女の歌声を聴いた島田氏は将来性を感じさせる個性に惚れ込み、上司とも相談のうえ指名を決定。その後は電通を入れたプロジェクトチームを組み、明菜獲得のために社を挙げて日本テレビに大プレゼンテーションを仕掛けたという。

アイドルを売り出すノウハウがなかったワーナーと研音


明菜がどれほどの逸材だったかが窺えるエピソードだが、その熱意が通じたのだろう。程なくしてレコード会社はワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)に決定。事務所は日本テレビのプロデューサーが社長に就任したばかりの研音に決まるが、その陰には『スタ誕』のチーフプロデューサーだった池田文雄氏の調整もあったようだ。

研音は今でこそ売れっ子の俳優を数多く抱える大手だが、当時は中堅以下の芸能事務所。ワーナーも国内では3番手グループのレコード会社で、ともにアイドル育成の実績がなかった。厳密に言えば、ワーナーに関しては1970年代前半に小柳ルミ子とアグネス・チャンの成功例があるが、2人はその頃「帝国」と呼ばれるほどの権勢を誇った渡辺プロダクションの所属。ワーナーが自前で発掘・育成したとは言い難く、実際その2人が他社に移籍したあとはトップ10に入るようなアイドルは皆無だった。

だが、その状況が「2つ目の物語」を生む。島田氏いわく、実績のなかった両社だったからこそ、異才ともいえる明菜の個性を受け入れ、育むことができた。もし大手だったら過去の成功体験に基づく鋳型に嵌められて、彼女のよさが生かされなかったかもしれないというわけだ。

1982年の時点で決して大手ではなく、かつアイドルを売り出すノウハウもなかったワーナーと研音――。明菜にとって「大船に乗った」と言えるほど恵まれた環境ではなかったのだが、そこからトップに立つのが明菜ならではの物語。ここからは筆者の手元にある資料に基づき、いかに逆境を跳ね返していったかを振り返ろう。

アイドルたちの人気テレビ番組への初出演はいつ?


まず当時のアイドルシーンにおいて、絶大な影響力を持っていたテレビへの露出。同じ1982年春にデビューした小泉今日子(バーニング / ビクター)、堀ちえみ(ホリプロ / キャニオン)、石川秀美(芸映 / RVC)、早見優(サンミュージック / トーラス)らと比較すると、注目度の高い番組への初出演が明菜だけ際立って遅かったことが分かる。

<各番組に初出演したタイミング>
3月21日デビュー
■ 小泉今日子(「レ」7日後 / 「夜」1日後 / 「8」6日後 / 「ベ」57日後)
■ 堀ちえみ(「レ」7日後 / 「夜」15日後 / 「8」前日 / 「ベ」71日後)

◇4月21日デビュー
■ 石川秀美(「レ」4日後 / 「夜」19日後 / 「8」17日後 / 「ベ」29日後)
■ 早見優(「レ」52日後 / 「夜」26日後 / 「8」10日後 / 「ベ」372日後)

◇5月1日デビュー
■ 中森明菜(「レ」100日後 / 「夜」143日後 / 「8」106日後 / 「ベ」139日後)

※「レ」=NHK『レッツゴーヤング』、「夜」=フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』、「8」=TBS系『8時だョ!全員集合』、「ベ」=TBS系『ザ・ベストテン』

キャスティングには様々な事情や要素が絡み合うので、一概に事務所やレコード会社の力とも言い切れない。しかし、このときばかりはブッキング力に差があったことは明白だろう。もちろん出身番組の『スター誕生!』をはじめとする日本テレビ系の歌番組や『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)等には出演していたため、全く露出がなかったわけではない。だからこそ筆者の同級生たちも「歌う明菜」を見て判断していたわけだが、一般層への訴求という点ではかなり出遅れていたというのが実情だった。

ちなみに当時30%超えを連発していた『ザ・ベストテン』では、他の4人が注目曲を紹介する「スポットライト」コーナーを経てランク入りを果たしたのに対し、明菜はセカンドシングル「少女A」が9位に入ったときが初出演。これも実績で勝ち取った勲章と言っていいだろう。

アイドル雑誌の表紙を飾ったのはいつ?


さて、次は雑誌における露出も見てみよう。テレビほどの媒体力はないにせよ、ネットがなかった当時、雑誌はスターの動向に触れられる貴重な情報源。そこで表紙を飾るのは人気が認められた証しといえたが、ここでも明菜は同期の後塵を拝していた。

<各誌の表紙を最初に飾った号>
■小泉今日子(「明」8月号 / 「平」7月号 / 「近」11月号 / 「オ」4月9日号)
■堀ちえみ(「明」8月号 / 「平」8月号 / 「近」7月号 / 「オ」5月14日号)
■石川秀美(「明」11月号 / 「平」10月号 / 「近」12月号 / 「オ」4月16日号)
■早見優(「明」1983年10月号 / 「平」10月号 / 「近」なし / 「オ」4月23日号)
■中森明菜(「明」11月号 / 「平」1983年6月号 / 「近」1983年1月号 / 「オ」9月3日号)

※「明」=月刊明星、「平」=月刊平凡、「近」=近代映画、「オ」=オリコンウィークリー

とはいえ人気の面で出遅れていたわけでは全くない。その証拠にマルベル堂のプロマイド売り上げではデビュー翌月の1982年6月度で8位に初登場。以後毎月順位を上げていき、9月度で河合奈保子に次ぐ2位に付け、同期のなかではトップに立つ。『月刊明星』の人気投票でも8月の時点で女性歌手8位、同期では堀ちえみ、小泉今日子、松本伊代に次ぐ4番手に付けていた。

“赤丸” を維持し続けたデビューシングル「スローモーション」




一方、レコードセールスでは「スローモーション」が堅調に推移し、6月末の時点で最高34位をマーク。同期のデビュー曲が登場5~6週目をピークに下降線を辿るなか、いわゆる “赤丸”(上昇が期待される曲に付くマーク)をただ1人、維持し続けていた。

さらに7月1日にリリースしたファーストアルバム『プロローグ〈序幕〉』は7月12日付けのオリコンで初登場7位を記録。シングルでトップ30に入った実績のないアイドルがアルバムでトップ10入りするのは史上初の快挙であり、ここが彼女のブレイクポイントとなる。

一度ついた勢いは誰にも止められない。その後の快進撃は圧巻の一語だった。『プロローグ』がヒット中の7月28日に発売された「少女A」は初登場40位から順調にランクアップ。有線放送やラジオリクエストでの人気も高く、寧ろその2つがオリコンのランキングよりも早く上位に進出し、それがレコードセールスを引っ張る展開となった。これは明菜の楽曲と歌声、つまり音楽性が先に評価された証しといえるだろう。

8月に入ると『レッツゴーヤング』や『8時だョ!全員集合』からもお声がかかり、9月には高視聴率を誇っていた3大歌番組『ザ・ベストテン』、『夜のヒットスタジオ』、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)に相次いで出演。「少女A」はオリコンで5位、『ザ・ベストテン』と『ザ・トップテン』では3位まで上昇するヒットとなった。



加速する明菜ブーム、セカンドアルバム「バリエーション」は初登場1位


以後、明菜ブームはさらに加速し、10月27日に発売されたセカンドアルバム『バリエーション〈変奏曲〉』はLP、カセットともに初登場1位をマーク。新人アイドルがシングルより先にアルバムで1位を獲得したことも特筆すべき偉業だが、その2週間後、11月10日に発表したサードシングル「セカンド・ラブ」でついにシングルチャートでも1位に到達する。

まさにホップ・ステップ・ジャンプ。明菜はデビューから僅か半年で歌謡界の頂点に立ったのだ。ところが――。当時隆盛を極めた新人賞レースではほぼ無冠に終わる。唯一、ラジオ関東(現・ラジオ日本)主催の横浜音楽祭では最優秀新人賞を受賞するが、5組に授与される日本レコード大賞の新人賞にも縁がなく、審査を疑問視する声も巻き起こった。

が、それも今となっては明菜伝説に繋がる「物語」。島田氏をはじめ、音楽のプロたちから「高いポテンシャルを持った逸材」と評価されていた少女が、スタッフとファンの愛に支えられて、大人の事情や逆境を乗り越え、ついにはトップアイドルに上り詰める。太閤秀吉の出世ぶりに通じる爽快感を覚えるのは筆者だけではないだろう。

活動休止中でも色褪せない中森明菜の存在感


そのブレイクから40年。数々の物語を紡いだ明菜はデビュー時を知らない平成生まれの若いファンをも魅了する、時代を超えたスターとして君臨し続けている。2017年以降、活動が休止状態にあるのは残念な限りだが、今も彼女を求める声はやまず、存在感はいささかも色褪せていない。事実、今年はNHKが『伝説のコンサート「中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版」』をBS4KやBSプレミアムで放送。WOWOWでも過去のライブ映像が5月と6月に放送される。

そんな中森明菜がまだ何者でもなかったデビュー直前の姿を捉えた映像作品が今回初Blu-ray化された『はじめまして』である。当時16歳。そのあどけない表情の下に窺えるスターの片鱗を、この機会に確かめてみてはいかがだろう。

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2022.04.30
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