5月14日

音楽の多様性を極め、クラッシュがたどりついた「コンバット・ロック」

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ザ・クラッシュのアルバム「コンバット・ロック」がリリースされた日
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音楽にのめり込むようになって、どんな基準でアーティストを選ぶかというのは、昔から変わっていない。僕の基準は断然見た目のルックスである。もっと言ってしまえば、革ジャンを着てカメラのレンズに睨みをきかせているようなバンドが好きだ。キャロルやザ・モッズ、デビュー当時のザ・ブルーハーツにもそんな風情があった。そして、そのインパクトが圧倒的に大きかったのがザ・クラッシュである。

彼らが革ジャンの襟を立て、睨みをきかせている視線のその先に何を捉えているか。そこが、僕にとっての音楽のベクトルになる。反逆、刹那、青春… つまり、今を燃焼しながらも、音の中からルーツを遡る旅が出来たり、未来を警鐘する危機感が露わになっているバンドが好きなのだ。

ザ・クラッシュのメンバーは80年代に入ると、それまでのパンキーな出で立ちから、古着をうまくコーディネイトし、フィフティーズを意識したファッションに様変わりする。ちょうど『ロンドン・コーリング』をリリースした時期だ。ちなみに、このアルバムジャケットに写っているステージ上で、ポール・シムノンがベースを叩きつけている有名な写真を撮影したライブのフロントアクトは、ザ・ロカッツだった。

ザ・ロカッツとは、80年代初頭に巻き起こったネオロカビリーブームの立役者、ストレイ・キャッツと人気を二分し、新天地を夢見て、アメリカへと活動の拠点を移した伝説のバンドである。以前、ザ・ロカッツのベーシスト、スマッティ・スミス氏にお話を伺ったとき、当時のザ・クラッシュについて、「彼らは僕らよりもフィフティーズファッションに夢中だったよ」と懐かしそうに笑っていたことを思い出す。

僕は、ポ ール・シムノンが『ベストヒットUSA』にゲスト出演したとき、フィフティーズの聖地、原宿クリームソーダの黒いハンドステッチシャツを着ていてことを思い出し、なるほどなと合点がいった。記憶が定かではないが、「ロック・ザ・カスバ」のヒット後、83年ぐらいのことだったと思う。

言うまでもないが、ザ・クラッシュのメンバーがフィフティーズファッションにのめり込んでいった最中、彼らの音楽は多様性を極めていた。『ロンドン・コーリング』には、ポール・シムノンのアイディアで収録されたロカビリー・クラシックの名曲、イギリスのジーン・ヴィンセントと言われたヴィンス・テイラーの「ブランニュー・キャデラック」が収録されているが、アルバムのトータルイメージとしては、レゲエ、スカ、ダブ、ブルースを昇華した時代の最先端だ。

とどの詰まり、当時のザ・クラッシュのようにリーゼントにしながらも、シンプルなロックンロールに固執するのではなく、幅広い視野で音楽を捉える柔軟性が、現在でも僕の音楽的感性の指針になっている。

そして、ザ・クラッシュの音楽性がイギリスのみならず、アメリカで開花したのが、1982年5月14日にリリースされた『コンバット・ロック』。このアルバムに収録され、シングルカットされ、ビルボード最高位8位を記録した「ロック・ザ・カスバ」は、ディスコクラシックとしても有名なダンスチューン。ドラムスのトッパー・ヒードンが楽曲を手掛け、ドラムはもとより、全面に打ち出されているピアノ、ベースの演奏もこなしている。

また、リリース後も幾度かシングルカットされた「ステイ・オア・ゴー(Should I Stay or Should I Go?)」は、1991年にリーバイスのCMに使われた。バンドで唯一の全英シングルチャート1位を記録したこの曲には当時、バンド継続に悩みを抱えたミック・ジョーンズの「留まるべきか、行くべきか」という心情が吐露されている。

そして、この曲は、アイス・キューブやカイリー・ミノーグといったジャンルの壁を越えた有名アーティスたちにカヴァーされるだけでなく、日本のロック系クラブイべントでも頻繁にプレイされている。さらには、クリューメン、ロング・トール・テキサンズといったイギリスのサイコビリーバンドもカヴァー。いわばアンダーグラウンドなロックシーンでのキラーチューンとしても未だ愛され続けている。

バンドが危機的な状況でも、それまでに培った振り幅の広い音楽性を1枚のアルバムにまとめ上げ、ロックンロールは自身を映す鏡だと言わんばかりにスピリットを込めた『コンバット・ロック』は、『ロンドン・コーリング』に匹敵する名盤だ。

しかし、残念ながら、このアルバムのリリース後、ドラッグ問題でトッパー・ヒードンはザ・クラッシュを解雇される。続いて、ほとんどの曲でジョー・ストラマーと共にソングライティングを手掛けてきたミック・ジョーンズもバンドを去ってしまう。

1977年、名曲「1977」の中で、「エルビスもビートルズもローリング・ストーンズもいらない」と自らが恋焦がれた音楽を凌駕すると決意表明し、まさにパンクの心意気でシーンに浮上したクラッシュ。そして、様々なレベルミュージックを吸収しながら、『コンバット・ロック』に辿り着くまで、彼らは止まらずに走り続けた――

革ジャンを着て睨みをきかせたその先に見える音楽は、多くのフォロワーを生み、ザ・クラッシュはジョー・ストラマーの死後、2002年11月にロックの殿堂入りを果たすことになる。

2018.05.14
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  YouTube / The Clash
 

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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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