それは83年の春。いつもの様にツバキハウスの帰り際に凄い話を聞いた。
以前、Re:minder にも書いた「淫力魔人のテーマ」(イギー&ザ・ストゥージズ)のイギー・ポップの来日が決まったという。ツバキハウスのスタッフにねだり、告知のポスターやチラシも持ち帰り、東京4公演のチケットを全日買った。
6月19日初日、2日目の中野サンプラザは当時の彼氏と行き、席も良かったので大興奮! ソロとストゥージズ時代の曲を織り交ぜたベスト選曲―― 演奏が始まると直ぐに着ていたTシャツを脱ぎ、割れた腹筋を見せながら上半身裸でステージ狭しと転げ回るイギー・ポップに圧倒された。
期待の3日目は、日本青年館ホール。この日の朝、彼氏と喧嘩した。彼は捨て台詞の様に「イギー・ポップには行かない!」とチケットを投げつけ、足早に何処かに消えた。
知り合いに電話をかけまくったが皆急すぎて無理。ダフ屋に売るのも二束三文にしかならない後方の席種。イライラしながら行きつけのレコード屋に行くとそこのオーナーがひょんなことから店を早仕舞いして来てくれる事になった。
オーナーは何故か最寄り駅の千駄ヶ谷ではなくわさわざ代々木から歩いて行こうと言う。「20円安いから」との理由だった。店閉めてまで来てくれた年上の彼に逆らう事も出来ず代々木から歩いた…
オーナーは歩きながらひたすら私を褒めてた。明るいだの、沢山音楽を知ってるだの、幾つかのお世辞に混じり、こんなことを言い出した。
「レコード屋さんとか、自営業の男性って興味無いよね?」
正直、意味が分からない質問だったので「一国一城の王なんで、凄いと思います」と模範解答をしてみた。
彼は満面の笑みで「良かった! もし彼氏と別れたら嫁に来ませんか」
この人、一体何を言ってるんだろう?
私はどう返したら良いかを考えてたら、頭の中で新沼謙治の「嫁に来ないか」が鳴り出した。新宿御苑の木々の緑が匂い立ち外苑西の先にようやく神宮球場のライトが見えたので「あ! もうすぐですよ!」と話題を変えた。
一体何故、イギー・ポップのコンサートに向かうのに頭の中で新沼謙治の唄がループする羽目になるのか。朝から彼氏と喧嘩し、夕方は延々と歩いて「嫁に来ないか」のこの流れをイギー・ポップ観て、アゲるしかない!
期待通り3日目の日本青年館のイギー・ポップは最初から最後迄、私を踊らせ嫌な事も全て吹き飛ばしてくれた! もう「嫁に来ないか」は頭の中で聞こえない。
終演後、運良くオーナーの顧客さんらが数人話しかけて来た為、別れて歩き出そうとしたら、
「ロニー、ホープ軒で待ってて!」
ホープ軒と言えば、立ち食い豚骨系ラーメン屋だ。野郎しかいない立ち食いラーメン屋で待つ? そこでまた話題は嫁に来ないか?… 複雑な心境になった私は「じゃあゆっくり向かいます」とだけ言い、明治公園のベンチに座って考えてたら、段々イライラして来た。20円節約し延々と歩くのも、彼氏と別れたら嫁にしたいのも、立ち食いラーメン屋で待ってろも、全部変だ。私の意向は聞かず、全て自己都合じゃない!
その時だった―― 目の前にあるフェンス越しに車に乗り込むイギー・ポップが見えた。私は咄嗟に声の限り叫んだ!
「イギーーー!!」
神宮球場まで聞こえる位、大きな声だったと思う。その証拠にイギーはこちらを振り返った。私は無我夢中でフェンスを乗り越えて手を振りながら彼に向かって走った。当然、セキュリティ達が私を制止する。するとイギーが私より大きな声で「ドーント・タッチ・ハー! ストップ!」と言った。その声で私はセキュリティの制止から解放された。
イギーは私の目の前に来て「野蛮な事してごめんね。怪我は無い? 君は猫の様にフェンスを飛び超えて見事だったよ。明日来る? 明日ゆっくり話をしよう。今日は有難う」と挨拶のキスをして、固く握手すると車で去って行った。
その後、ホープ軒には行かなかった。最終公演のツバキハウスでイギーとゆっくり話す約束は果たされず、後に彼がファンをそのまま連れて帰り結婚したことを知る――
私にとってイギー・ポップは、いまだにフェンスを越える程の「淫力魔人」だ。
2018.09.16
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