6月25日
映画館で観てから30年、やっとたどり着いたローリング・ストーンズ
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映画「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」が日本で劇場公開された日
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ザ・ローリング・ストーンズの記録映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』が日本で封切りされたのは1983年6月25日。僕が15才になろうとしていた時だ。

中学に入って洋楽を聴き始めた僕は「ザ・ビートルズ」「ザ・ローリング・ストーンズ」という二つのバンドを乗り越えなくはならない大きな壁のように思っていた。今となっては青臭いが、これを理解しなければロックは語れないという大きな強迫観念があった。

ビートルズは簡単だった。幼少の頃からテレビで見ていた『ひらけ!ポンキッキ』にも「プリーズ・プリーズ・ミー」が使われていたし、すでに普段の生活の中に溶け込んでいる親しみやすいメロディだった。

しかし、ストーンズは違った。正直どこがいいのか、サッパリ分からなかった。上手くノレないのだ。それでも、映画を観れば好きになるだろうという確信のもと、歌舞伎町の映画館に足を運んだ。結果は変わらず、映画の中のフットボール選手の恰好をしたミックもスタジアムを満員に埋め尽くした観客の熱狂も理解できなかった。恥ずかしながら僕がストーンズをいいなと思えたのは30を過ぎてからだ。

僕にとってストーンズまでの道のりは長かった。

十代で僕はイギリスのパンクロックを聴き、そこから、イギリスのロックをさかのぼり、ブルースを知った。そこで分かったことは、海を渡ったブルースが洗練されたイギリス人によってどのように解釈されたかということだった。そして、僕は黒人音楽に触れることで、なんとかストーンズを受け入れることができた。

ストーンズと他の白人バンドの一番大きな違いは、ブルー・アイド・ソウル(※)的に黒人音楽を自らのオリジナルとして昇華させたかったのか、それともどっぷり黒人になりたかったのかということだと思う。ストーンズは圧倒的に後者である。

ミックのシャウトは「黒人になりたいんだけど、どうすりゃいいのかわからねー」という初期衝動が今もなおベースになっているのではないだろうか。

この熱情を基盤として、70年代後半からのストーンズは、ロン・ウッドを迎え入れ、レゲェ、ディスコ、ニューウェイブと多種多様な音楽的要素を織り交ぜアルバムを発表していった。そこには時代を牽引するムーブメントとなるべく、ブルースという魂を流行りの音楽で包み込んだストーンズがいた。

それは、『ブラック・アンド・ブルー』(76年)『女たち(Some Girls)』(78年)『エモーショナル・レスキュー』(80年)『刺青の男(Tattoo You)』(81年)の頃だ。そして、その集大成ともいえる81年のステージが映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』には記録されていたのだ。

生粋のストーンズファンには邪道と言われるかもしれないが、今、僕はこのあたりの、いわゆるアメリカマーケットを意識したストーンズが大好きだ。つまり、楽曲にブルースの魂を宿らせるために張り巡らせた論理と感情がストーンズなのではないかと思ったりもする。

ミックが言うところの成功の秘訣、「好きなブルースを歌っていたらそうなっただけだ」とうそぶく態度もなるほど頷ける。


2014年3月6日、僕は東京ドームのアリーナにいた。ストーンズ日本公演の最終日だ。この時が僕にとってのストーンズのライブ初体験だった。

満員の聴衆。メンバーがステージに上がると場内が一斉にどよめく。まさに伝説を目の当たりにした瞬間だ。

この場内の空気に僕も「ほんとうにいるよ!」と思わず言葉が漏らしてしまったほどだ。考えに考え抜いてたどりついたバンドだったにもかかわらず、その存在感、ドーム全体の熱気に圧倒され、ストーンズの長い歴史を一瞬のうちに感じることができた。

そして、1曲目の「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のキースのギターリフで全てがもっていかれた。全身の力が抜けた。

これが、ザ・ローリング・ストーンズ! そこには思考の入る余地など寸分もなかったのだ。

論理と感情。この相反するものがひとつになって、世界最高のロックンロールバンドは存在している。「なるほど! そういうことだったのか!」ストーンズにたどりつくまで僕は30年以上かかった。その時、世界は美しいって心底思えた。



※ブルー・アイド・ソウル
その名の通り、白人によるソウルミュージック。元来、黒人のものであったR&Bやソウルミュージックを取り入れ、白人が作り上げた音楽を指す。

2017.11.01
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  YouTube / C2[シーツー]予告&インタビュー動画


  YouTube / The Rolling Stones
 

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