2002年 12月22日

今日はジョー・ストラマーの命日 ー 月に手を伸ばせ、たとえ届かなくても

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ジョー・ストラマーが先天性の心臓疾患で死去した日
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 2002年のコラム 
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THE CLASH(以下クラッシュ)のフロントマンであったジョー・ストラマーが死去したのは2002年12月22日(享年50歳)。この1ヶ月前には、クラッシュとして、ロックの殿堂入りが決定していた。翌年3月の授賞式では、再結成による演奏が見られるのではないかと噂されていた矢先だった。

死因は、先天性による心臓疾患。ジョーは、この持病を克服すべく、クラッシュ在籍時にロンドンマラソン、パリマラソンに出場している。私淑していたロックスターの死は、僕にとっては意外なものであった。

ジョーの死を知ったのは、新聞の片隅の訃報欄だった。朝刊だったが、その日の朝に目を通すことが出来ず、仕事で疲れて帰宅した時その記事を見た。一瞬目を疑い、何をしていいのか分からなかった。なにかの間違いかと思った。無力な自分がそこにいた。気づくと深夜の街をさまよっていた。

当時住んでいたアパートの周りを何周もグルグルまわった。どうしていいかわからない時、人間は不可解な行動に出るものだと、その時初めて知った。

翌日は休みだったが、相変わらずじっとしていられず街に出た。ターミナル駅として利用していた池袋駅にとりあえず出ると、駅前のパルコの中にある小さな輸入盤店に行った。店内には、ヴォリュームを絞った小さな音でレゲエミュージックがかかっていた。

ジョーの好きだったレゲエミュージック。ここでクラッシュのレコードを手にすると、細く弱々しい文字で「哀悼」という二文字が書かれた小さな紙が貼られていた。それを見た時にジョーがいない世界を初めて実感した。

クラッシュは、常にファンの傍らにいた。アメリカの音楽雑誌『ローリングストーン』で1980年代の最高アルバムとして選出された2枚組の傑作『ロンドン・コーリング』は、イギリスではLP1枚の価格で発売されている。これは、できるだけ多くのファンに自分たちの音楽を届けたいという意向で実現したもの。常に体制と戦い、ファンと同じ目線に立っていたクラッシュらしい逸話だ。

そんな彼らのロックの殿堂入り。その授賞式にジョーの姿はなかった。このことについて、ジョーと共にクラッシュのほとんどの曲のソングライティングを手掛けた相棒、ミック・ジョーンズはこんなコメントを残している。

「ロックの殿堂入りで一緒に演奏するかと思っていた。でもそれよりもふさわしい場があった。2002年の消防士のストライキだ」

このコメントこそが、僕らが恋焦がれたクラッシュだと思った。胸が熱くなった。

ロックの殿堂のステージには立てず、ストライキ中のロンドンの消防組合のためのチャリティライブが事実上、二人がステージに立った最後の場所となった。ちなみにこの時にはUKチャート12位を記録したレゲエチューンの名曲「バンクロバー」と初期のアグレッシブなクラッシュを象徴する「白い暴動(White Riot)」「ロンドンは燃えている!(London's Burning)」が演奏されたという。

ジョーの唄い方は、クラッシュ結成前に組んでいたパブロックバンド、ザ・ワンオーワナーズ(The 101'ers)の頃からずっと変わっていない。パンクが産声をあげた76年の最新型ロックンロールにウディ・ガスリーやボブ・ディランの影響が大きくみられるブルースに根差した唄い方が乗っかったところで世界が変わった。そして、これがロックンロールのスタンダードになったのだ。

76年にクラッシュを結成し、若者の代弁者として政治を唄った時から、常に汗をかき、前のめりで、矛盾と戦い、音楽業界というビッグビジネスの中で自らの真実を模索していたジョー・ストラマー。彼はこう言った。

「月に手を伸ばせ。たとえ届かなくても」

僕がジョーから何かを受け継いだかって聞かれれば、うまくは答えられない。僕は怠け者だし、ちっとも戦ってない。強いて言えばジョーと同じように髪にグリースを塗ってリーゼントにしているぐらいのものだ。それでもジョーが好きだという自分に酔っている。それも十代の頃からずっと酔っている。

そんな奴がこの日本にいっぱいいる。それほどすごい男なのだ。ジョー・ストラマーは。

そして、ジョーの旅立った年齢に僕も近づいてきた。及び難いことかもしれないけれど、今でもジョーに負けるもんかって本気で思っている。僕は今日も月に手を伸ばすよ。

2017.12.22
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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