11月22日

飛入り上等!伝説のライブハウス「六本木 PIT INN」の軌跡

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ノブ・ケインの初ライブが六本木PIT INN で開催された日
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photo:六本木 PIT INN  

東京港区六本木、いつまでも拭えないアウェイ感?


2020年の年が明け、東京都内周辺では、これまで今年を目指してきた鉄道や道路、宿泊や商業施設が次々とオープンし、海外からのゲストを “お・も・て・な・し” する準備が着々と進んでいる。我が街、六本木も例外ではなく、今月に入り、ビジネスマンや観光客にも使いやすい中堅どころのホテルが、オフィスの間近に開業したばかりだ。もっともこのエリアに限れば、この四半世紀というもの全く落ち着いたことなどなかったのではないだろうか。

今やランドマークとなった六本木ヒルズが2003年に開業して以来、東京ミッドタウンや新国立美術館、交差点に近く、長い警棒を持った警官がにらみを利かせていた麻布警察署も赤坂寄りの新しい場所に昨年移転したばかりだ。当然その跡地も再開発されるだろうし、かつて一世を風靡したヴェルファーレの付近には据え置かれたように広大な駐車場が残されており、いずれここも開発の対象となるのだろう。また麻布台のエリアでは森ビルによる大規模開発が進行中で、数年後には大阪の、あべのハルカスを凌ぐ、日本一の超高層ビルが建つ予定という話だ。この地区は2020年のタイムリミットには関係なく変わり続けるのだろう。

勤務先が六本木に移って約3年、“昼の住人” となって久しいが、実のところ、かつて “夜の住人” だったころの方が、どれだけ街に精通していたか知れない。夜間に学生らしき姿をほぼ見かけない “大人の街” というイメージは決して変わることはないが、この数年、以前にもまして外国人の比率が高まり、さながら現代の出島とでもいうような様相を呈している。本来ならばホームとなっていいはずの六本木の街にいつまでもアウェイ感を拭えないでいるのは、来訪者を無視するかのような変貌のせいかも知れない。

六本木 PIT INN の始まりと80年代の活況


かつて “フュージョンの殿堂” として知られたライブハウス、六本木 PIT INN は六本木交差点から東京タワーの方角へ6~7分程歩いた辺り、飯倉片町の交差点より手前左側にあった。今回のコラムを書くにあたり、改めて当時の住所を調べてみると、今は六本木デュープレックスタワーという高級賃貸マンションになっており、その1階に入っているコンビニこそ、いま私が最も利用しているコンビニだったと知り、軽い眩暈を覚えた。

ライブハウスとしては比較的ゆったりした造りだったのではないだろうか。新宿ルイ―ドや渋谷エッグマンで熱気のこもったロックを聴くのとは違って、随分落ち着いた印象だった。 PIT INN は元々新宿が元祖であり、こちらは一流のミュージシャンが集う、東京を代表するジャズのメッカである。 PIT INN の名称はオーナー佐藤良武氏のクルマの趣味が高じて始めた喫茶店が由来となっていて、BGM のジャズを目当てに集まってきた演奏家たちが話を持ちかけたことから、ライブハウス・新宿 PIT INN はスタートしている。

学生時代に起業していた佐藤氏にとって六本木は “大人の街” として憧れの地であった。本願かなって六本木 PIT INN が実現したのは1977年8月のことである。当初は客層の違いに戸惑い、客足は伸びなかったが、最高の音響と機材を備え、演奏家たちに愛された PIT INN には、やがて多くの大物ミュージシャンが訪れることになる。中でも親交のあった “世界のナベサダ” こと渡辺貞夫氏の関係で、リー・リトナーとラリー・カールトンというフュージョンの世界的ギタリスト2名が来日公演が相次いで実現すると六本木 PIT INN の名は日本中のファンの間で知れ渡った。そして程なくフュージョンやクロスオーバーといった音楽がブームとなり、これを機としてジャズに拘ることなく、ブルースやラテンといった音楽の演奏を幅広く受け容れていくと、それまでになかった若い客層を大いに惹きつけるようになった。

繰り広げられた凄腕たちの競演、山下達郎のライブアルバムもここで収録


かの山下達郎もこの頃のステージを飾った一人である。開場間もない1978年3月には今では希少盤となった伝説的ライブアルバム『IT’S A POPPIN’ TIME』の収録が行われている。当時このビルの階上にあった CBSソニー六本木スタジオとはマルチトラックの回線でつながっていたことで、ライブレコーディングを容易に行える環境が整っていた。

ライブハウスなら一流のミュージシャンでも、安い出演料でも演奏してくれたから、ライブの一発録りで決めるなら、スタジオ収録よりもはるかに低コストで、オリジナルアルバムをリリースできるメリットは大きかった。また様々なジャンルのミュージシャンが集うことで、彼らが垣根を越えて交流し、時には予想外のセッションが繰り広げられることもあった。

当時を象徴する “格闘技セッション” と銘打った競演は、シリーズとなって数回にわたって繰り広げられた。その首謀者の一人、坂本龍一は YMO と KYLYN という名プレーヤー達の狭間に立って、その対決の煽動者となっていた。たとえば、

ドラムス:村上 “ポンタ” 秀一 vs 高橋ユキヒロ
ギター:大村憲司 vs 渡辺香津美
ベース:細野晴臣 vs 小原礼

… といった具合で、自身も矢野顕子との鍵盤による “夫婦対決”(当時)に挑んだという。

今なら想像を絶する企画だが、これらを実現できたのが六本木 PIT INN という箱だったのである。残念ながら、我々は世代的にこの時代に間に合うことができず、当時の空気感を共有できた人たちを心から羨ましいと思っていた。

斉藤ノヴ率いる「ノブ・ケイン」村上秀一、松原正樹、青木智仁…


だが一度だけそんな想いが報われる幸運に巡り合わせたことがある。1988年11月22日、六本木 PIT INN で日本を代表するパーカッショニスト斉藤ノヴ率いる演奏家集団、ノブ・ケインのライブが開かれた。

ノブ・ケインは角松敏生のサポートメンバーとして集まったことがきっかけで結成されたプロジェクトで、その他のメンバーにはドラムに村上 “ポンタ” 秀一、ギターには松原正樹、ベースに青木智仁など、当代一のプレーヤーが参加していた。その頃仕事の関係で音楽業界に近く、角松のマネージメントとも繋がりがあったことから案内があり、私も当時の上司に同行する機会に恵まれた。

実は結成のきっかけとなったセッションが、同じ六本木 PIT INN で開かれたのは同年3月。プロジェクトが正式にスタートし、間もなく最初のアルバムをリリースしようというまさにその時、お披露目もかねて開催されたのがそのライブであった。

会場には評判を聞いて集まったファン、角松のツアーを観てきた人たち、注目のライブを見てみようとやってきた業界関係者も多く集まり、入り口まで人で溢れかえっていた。もちろんプロデュ-サーである角松敏生も会場にやってきていた。

ゲストはかまやつひろし、そして角松敏生と大橋純子も飛び入り!


演目は新曲をメインに組まれているから、始まってみないとわからない。だが開演と同時にプレーは全開。ビートが心地よく腹に響き、リズムセクションがメインだとこんなにも熱狂的になるのかと感動し、関係者の立場も忘れて音楽に没頭していた。

この日のゲストは公式には “ムッシュ” かまやつひろし。リーダーである斉藤ノヴの紹介でステージに上がると、一言二言親し気に言葉を交わす。我々の世代にはスパイダースと「我が良き友よ」の人である。だがジャンルは違えども、時代を作った先達へのリスペクトを感じる共演に感慨を覚えた。しかし客演ゲストはこれで終わらなかった。

リーダーがアルバムリリースを告げると歓声が上がり、ステージ隅に立つプロデューサーの角松が紹介される。そして拍手に応えたかと思うと、おや、ギターを抱えている。… え、聞いてない。続いてステージに呼び込まれたのはヴォーカリスト大橋純子。“お純さん” と愛称で呼ばれた彼女が、このバンドで角松と共にステージに上がったのは2度目になるとのこと。

しかしこれはまさに飛入り。彼女をテレビでしか見たことがないファンにはムッシュと同様、代表曲の「たそがれマイ・ラブ」や「シルエット・ロマンス」などポップスのイメージしかない。彼女にソウルや R&B シンガーとしてのキャリアがあることを初めて知ることになった。関係者として入場しておきながら、思わず “得した” と感じた私はとんだ不心得者であるが、この想像もつかないハプニングと絶妙のコラボレーションにしばしの間酔いしれた。

2004年 PIT INN 閉店、望まれる六本木カルチャーの継承


“これぞ醍醐味” という瞬間に居合わせたことは幸運であった。しかし2004年、六本木 PIT INN は、数々の伝説を遺産として、ファンに惜しまれながら閉店を迎える。理由はテナントビルの立替によるものであるが、そこは地権者のビジネスであるから、ファンの想いなど介在のしようがない。オーナーの佐藤氏は移転再開も考えたという事だが、賃料の高騰と騒音環境への配慮から代替えの物件が見当たらず、やむを得ず断念せざるを得なかったという。

思えば以前のコラム『J-WAVE の開局とバーシアの歌声、新時代の到来を告げた 渋谷・西麻布・六本木…』にも書いた WAVE の閉店が1999年、六本木プリンスホテルは2006年、2007年にはヴェルファーレとスクエアビルが相次いで閉店となるなど、80年代前後に築かれたものであっても、その時代の象徴が2010年までにあらかた消え去っていった。その後ビジネス拠点等も増え “ヒルズ族” といわれる人々が闊歩するようになると、街のあり様も変わり現在に至っている。

かくいう自分も今や “昼の住人” となったわけだが、未だ至る所で工事が行われている。そこには新旧ビルが混在し統一感のない街並み、狭い歩道に汚れた路面… 夜には気付くことができなかった街の “粗” ばかり目に付くようになり、全く救われない思いだ。必要なら築かれ、不要になると取り壊される。変わり身の早いこの街は、あまりにも人の欲求に敏感で、消耗が激しい。

果たして、六本木ヒルズや東京ミッドタウン、そして麻布台の再開発は、我々にどんな未来を見せてくれるだろう。中身のない箱だけで街のカルチャーが伴わなければ、魅力のある街にはならない。それを考える時、いつも六本木 PIT INN の熱気を思い出す。粋な遊び人たちが戻り、年相応に何か始めてくれたら、また新しい大人の街が築けるだろうが、その答えが出るまでには、まだ少々時間がかかりそうだ。


筆者注:山下達郎のアルバム『IT'S A POPPIN' TIME』については、カタリベ・せトウチミドリさんのコラム『山下達郎の跳ねと揺れ「六本木PIT INN」で繰り広げられた伝説のライブ』に詳しいので是非ご覧ください

2020.02.20
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