時代は令和となり、平成という年号は約30年という節目をもって役割を終えた。昭和天皇の崩御は1989年1月7日だから、1988年末から89年にかけて年またぎのヒットとなった曲は2つの時代にまたがるヒットということになる。 この年、春先にたまたま仕事で10日間ほど海外に出ていたことがあった。ちょうどその頃、滞在先で眺めていた MTV でよく流れており、一際印象に残ったのが、モノトーンで白黒タテに2分割された画面を左右に移動しながら踊る女性シンガーのハイセンスな映像だ。それはこの年の MTV ミュージックアワードにもノミネートされたほどだから、MTV 全盛の当時としても、かなりのインパクトがあったといえるだろう。 この映像を制作したのは、後に映画監督としても名を馳せることになるデヴィッド・フィンチャー。楽曲はポーラ・アブドゥルの「ストレイト・アップ」である。ポーラ・アブドゥルは元々シンガーではなく、著名アーティストの振付を担当するコレオグラファーとしてショービズ界でのキャリアをスタートさせていた。 NBA の人気チーム、LA・レイカーズのチアリーディングチームで振付を担当していた彼女を見出し、起用したのはジャクソンズだった。マイケル人気絶頂の84年にアルバム『ヴィクトリー』をリリース。セカンドシングル「トーチャー」の PV の振付に彼女は起用された。 MTV 全盛期の当時、多くのアーティストたちが、映像栄えするパフォーマンスを求めていたから、徐々に彼女への依頼は増え、人気のコレオグラファーとなっていく。 最も知られているのはジャクソンファミリーの末妹ジャネットのパフォーマンスへの貢献だろう。86年のアルバム「コントロール」からのシングル曲の振付を担当し、それまで兄たちと比べて垢抜けないイメージであった彼女をキレのあるダンスで一新させていった。 かくしてショービズ界で一定の地位を獲得した彼女は、26才にしてようやくデビューのチャンスを得ることになる。88年5月にファーストシングル「あいつにノック・アウト(Knocked Out)」を、6月にはアルバム『フォーエヴァー・ユア・ガール』を立て続けにリリース。しかし8月リリースのセカンドシングルも振るわず、ようやくブレイクを迎えたのが、11月リリースの3枚目のシングル曲の「ストレイト・アップ」であった。このヒットに例の PV が貢献したことは疑いようがない。 デヴィッド・フィンチャーはよく知られているように、元々はテレビCM の演出家であった。彼は次の活躍の場を MTV に定め、86年に制作会社「プロパガンダフィルムズ」に参画する。彼が手掛けたミュージックビデオは CM監督だった頃から数えると88年まで30本近くにも及ぶ。振付師と CM監督という異業種参入同士の出会いは、結果的に幸運な化学変化をもたらしたという事だろう。 しかしこの出会いは決して順風満帆でスタートしたわけではない。彼が着手したのは2枚目のシングル「恋するままに(The Way That You Love Me)」からだから、セールス的には決して成功したとは言えなかった。それまで2曲の PV では彼女の持ち味であるダンスがメインにフィーチャーされているが、いずれも集団でのダンスパフォーマンスであった。 以後、この演出家は戦略を変更する。 彼女がこれまで関わってきたダンスパフォーマンスは、チアリーダー時代に培ったベースがあるためか、集団での起用が多かった。時代がスケール感を求めたせいもあるだろう。しかしそのスキルの高さとソロアーティストとしてのデビューを考えると、やはり彼女自身にフォーカスすべきだったのだ。「ストレイト・アップ」では、作風を一変させたのである。 無背景で音のない空間に彼女のタップの音が響き、それが冒頭十数秒の間続く。その後インサートされる彼女の表情や身体のパーツ、それぞれがモノクロ映像やスローモーションで絶え間なく繰り返される。 また時折画面に歌詞のキーワードをフラッシュで表示させている。サブリミナル効果をあえて意識させるため、肉眼でギリギリ認識できる程度の時間尺に計算されているのだろう。これがフィンチャーのマジックというべきものだ。 彼は場面毎に独特の緊張感を持ち込む事に長けた演出家だが、それは後に映画『セブン』などのハードなサスペンス作品で存分に発揮される。また異例なことに2枚目のシングルについては何とPV の再編集が施されたという。2つを比べると、「ストレイト・アップ」以降の彼の狙いがうかがわれて、大変興味深い。これらの手法は彼の中で一つの勝ちパターンとして昇華されていく。 ジョディ・ワトリー「リアル・ラヴ」、マドンナ「ヴォーグ」などは一目で彼の作品とわかる作風が展開された作品である。 これで上昇気流を掴んだポーラは一躍スターダムへ駆け昇る。彼らのコラボレーションは次々とヒットを生み、彼女のアルバムは発売から実に22週をかけて全米No.1に上り詰めた。 デヴィッド・フィンチャーが映画監督としてデビューを飾るのは92年の『エイリアン3』である。彼の経歴と人気シリーズの続編ということで注目を集めたが、興行的にはやや失敗に終わり、その制作過程に嫌気がさした彼はしばらくメガホンを取ることはなかった。後に95年アカデミー作品賞にもノミネートされた大ヒット映画『セブン』以降の活躍ぶりは、もはや語るべくもない事実だろう。 彼はアメリカのネオ・ノワールという、陰鬱とした雰囲気が漂うクライムサスペンスの第一人者として不動の地位を確立した。『セブン』の映像の中には効果的にワードがインサートされ、例によって緊張感を高める演出が為されている。これらの手法一つ一つが CM監督から今に至る彼のキャリアの賜物だといえるだろうが、MTV 全盛期の恵まれた環境下で、まるでショートフィルムのように試行錯誤を重ねたことが、彼の血肉となっているはずだ。 「ストレイト・アップ」は、その大きな転機だったと思えてならない。※2018年1月3日に掲載された記事をアップデート
2019.06.19
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