11月23日

ブルーハーツ「僕の右手」甲本ヒロトと MASAMI という右手を失くしたパンクス

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ブルーハーツのアルバム「TRAIN-TRAIN」が発売された日(僕の右手 収録)
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みんなのブルーハーツ ~vol.13


■THE BLUE HEARTS『僕の右手』
作詞:甲本ヒロト
作曲:甲本ヒロト
編曲:THE BLUE HEARTS
発売:1988年11月23日(アルバム『TRAIN-TRAIN』)

33年前の「僕の右手」を覚えている理由


タイトル『僕の右手』にギョッとする。もしかしたらブルーハーツ史上、もっともインパクトのある曲名かもしれない。そして歌い出しは、聴き手をさらにギョッとさせる。

――「僕の右手を知りませんか?」

この歌詞の解釈は後述するとして、初めて聴いたとき、とにかくこのフレーズに驚き、そしてちょっとした恐怖も感じたものだ。

今回は、個人的な思い出から始めてみたい。東京ベイNKホールという会場で行われたブルーハーツのライブで、この曲を聴いたという思い出から。

インターネットはある意味、必要以上に便利なもので、そのコンサートの日時だけでなく、セットリストまでを、33年後の私に届けてくれる。「LiveFans」というサイトによれば、私が観たのは、90年の11月18日から20日の3日間のうちのどれか。「セットリスト」をクリックすると確かに、コンサートの後半で『僕の右手』をやっているみたい。

名前に反して、東京ではなく千葉県浦安市にあった、いかにもバブリーな作りの東京ベイNKホールに行ったのはたった2回だけだ。1回目は、1989年4月9日のサディスティック・ミカ・バンドの再結成コンサート。そして2回目が、このときのブルーハーツ。

ちなみに「NK」とは、開館時にこの施設を所有していた日本火災海上保険(現:損害保険ジャパン)の「日本(N)火災(K)」より。このように企業がコンサートホールを抱えるというのも、バブリーな感じ。

33年前にもかかわらず、この日の『僕の右手』をなぜ憶えているのか。それは、このコンサートに一緒に行った当時の彼女が、この曲にたいそう驚いていたからだ。

確か、11月が誕生日の私へのプレゼントとして、チケットを買ってくれたと思う。しかし、彼女自身は、そんなにブルーハーツを知らなかった。だから、コンサートの後半、とても盛り上がるタイミングで、甲本ヒロトから放たれた「僕の右手を知りませんか?」というフレーズに、彼女はびっくりしたらしい。

しかし帰り道、彼女はこういう感想を漏らす。

――「でも、最後の方の歌詞で救われるよね? あの曲」

そう。ブルーハーツの曲は、いい意味で見掛け倒しのところがあって、とても暴力的で鮮烈な入り方をしても、最終的にポジティブな読後感を残すものが多い。

「せやねん。夢は必ずかなうとか、な」

そんな会話をしたことを憶えている。一見、何ということのない会話。それでも、ブルーハーツの核心について、取り交わしたような会話―― この会話があったからこそ、今でもこの日、東京ベイNKホールでの『僕の右手』を忘れられないのだ。

このときの彼女とは早々に別れ、東京ベイNKホールも2005年に閉館。33年前のあれこれについて、先のサイトとおぼろげな記憶以外に、手がかりも何もなくなって、私はもう56歳にもなってしまった。憶えているのは、ここに書いたエピソードだけだ。

僕のあの頃を知りませんか。

「僕の右手」のモデルになった実在の人物とは?


――「人間はみんな弱いけど 夢は必ずかなうんだ」

『僕の右手』には、モデルがいることが知られている。マサミという人だ。

このマサミを追ったノンフィクション本がある。ISHIYA著『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』(blueprint) 。帯にはこう書かれている。

―― ジャパニーズ・ハードコアの歴史において、圧倒的なカリスマ性を誇り、いまなお語り継がれる片手のパンクス、マサミ。THE TRASH、GHOUL、BAD LOTS、MASAMI & L.O.X、SQWADでボーカリストを務め、1992年に34歳の若さでこの世を去ったマサミとは、いったいどんな人物だったのか?

表紙のイラストは浅野忠信によるもの。大勢の観客を前にマサミが歌っている構図なのだが、確かに右の掌がない。



同書によるとマサミは、小1のときに(おそらく)祖父の家にあったダイナマイトにいたずらで火をつけてしまい、右手首から先を失ってしまったのだという。

さて、この本の「第四章 特別インタビュー」に呼ばれているのが、何と甲本ヒロトとYOSHIKIなのだ。私のよく知らない「ジャパニーズ・ハードコア」の世界の狭さ(ある意味ではヒロトとYOSHIKIまでを含むという意味での「広さ」)を感じさせる。

では、マサミと甲本ヒロトはどんな関係だったのか。出会いは80年代初期だったよう。

―― この話はあんまりしたくないんだけど、僕はね、「エモーショナルマーケット」(註:ハードコアのイベント名)でTHE TRASHと殴り合いになって、1対4かなんかで袋叩きに遭ったの(笑)

まったく穏やかではない出会い方だったようだ。そして肝心の『僕の右手』との関係について、つまりこの曲のモデルがMASAMIだという説について、甲本ヒロトはこう返す。

―― その話、僕は知らなかったんだよ。歌作ったときには別にそんな意識はなかったし、それと紐づけたつもりは一度もないんだけど、そう言われてみりゃそうなのかもね。そうだな、マサミ右手なかったもんなぁ。

と発言する。このあたりは予想通りというか、歌詞の意味を問われたときに、具体性をはぐらかし、抽象的にぼやかすのは、甲本ヒロトの一種のルーティンである。ただ彼は、発言の中で、こうも添える。

―― マサミと付き合いがあるわけだから、心の中にあったかもしれない。

でも。

―― そこ(註:マサミが心の中にあったこと)は否定できないけど、そういうつもりで作ったわけじゃないんだよね。なんかちょっといい話だから否定したくないんだけどさ(笑)。みんながそう思ってくれるのは全然いいよ。

話は以上で終わる。で、仮にマサミを(ある程度は)想定して作ったとすると、2番で唐突に出てくる、ブルーハーツとしてはかなり青臭く直球な歌詞も、合点がいくのである。少なくとも、あのときの東京ベイNKホールにおける次の歌詞が、異常な説得力を持ったのも。

――「人間はみんな弱いけど 夢は必ずかなうんだ」

というのは、東京ベイNKホールのライブが行われた90年11月におけるマサミの状況を、同書で知ったからなのだが、それについては最後に触れる。

ヒロトはもっと新しいステージに向かいたいと思っていたのではないか?


――「見た事もないようなギターの弾き方で 聞いた事もないような歌い方をしたい」

しかしこの曲は、確かに、甲本ヒロトの言うように、マサミという個別の話にとどまらず、より広い歌詞世界に昇華していく。

「右手」の必要性を「見た事もないようなギターの弾き方で 聞いた事もないような歌い方をしたい」から、と表現する。また2番では「見た事もないようなマイクロフォンの握り方で」となる。

つまり「右手」が、「見た事もない」「聞いた事もない」モノ・コトを生み出す、言わば「クリエイティブ・ツール」という意味で再解釈されるのだ。つまりは「左脳」に対する「右脳」的な意味合い。

話を90年11月の東京ベイNKホールに戻す。ブルーハーツはもう『情熱の薔薇』をリリースして、国民的な人気バンドとなっている。先のセットリストによれば、アンコールの最後は『リンダリンダ』だ。満員の観客は狂ったように盛り上がっている。もちろんその中には私もいる。「ヒロトジャンプ」を真似て、ぴょんぴょん飛んでいたはずだ。

そんなさまを見て、甲本ヒロトはどう思っていたのだろう。この予定調和を超えて、もっと新しい表現に、もっと新しいステージに向かいたいと思っていたのではないか。

つまりは―― もっと「見た事もないようなギターの弾き方で 聞いた事もないような歌い方をしたい」!

そしてマサミのこと。『右手を失くしたカリスマ MASAMI伝』によれば、90年3月15日未明に倒れて、意識が戻らず92年9月26日に千葉県鴨川市の病院で亡くなる。東京ベイNKホールの時点では、意識が戻らない状態が続いていた。甲本ヒロトにも、その情報が入っていたのではないか。だから、なおさら『僕の右手』の説得力が増したのではないか――。

最後に僕の右手、つまり私の右手について。少年時代にたくさんの文字を書き殴り、たくさんの絵を描き上げ、決して上手くはなかったものの、ギターの弦をかき鳴らし、ピアノの鍵盤の上で踊った右手。そんな右手によるクリエイティビティが、56歳という年相応に疲れ、枯れてきつつある。

だから、まだPCもスマホも知らずに、鉛筆とペンとギターのピック、たまにグラブ(私は左利き)を持ってガシガシ動いていた頃の、クリエイティブな右手を思い出して、こう思うのだ。

僕の右手を知りませんか。

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2023.04.09
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Baliみにょん
甲本ヒロトが自分と自分を取り巻く世界を十全に受け入れ、なおかつ穏やかに俯瞰して音楽で描き出す、そんな姿が思い浮かぶ。そしてその根底に世界への深い「愛」を感じ取る事ができる。スージーさんがブルーハーツのLIVEで跳ねていた20代を思い出すのも、大きな「愛」を受け取っていたからかもしれない。
2023/04/09 11:59
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カタリベ
1966年生まれ
スージー鈴木
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