5月28日

ブランキーも継承!過去の遺産から未来を描いたストレイ・キャッツ

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photo:straycats.com  

原宿ホコ天のローラーが隆盛を極め、同じく原宿のフィフティーズショップ、クリームソーダでは連日、ドクロのタグの入ったサイフを求め、全国から修学旅行生が押し寄せていた。そんなフィフティーズブームの81年2月、ストレイ・キャッツはデビューした。

彼らは50年代のロカビリーを基盤していたが、当時人気のあったオールディーズ、躍動感あふれるポップでドリーミーな楽曲とは、どこか違っていた。そして、それは厚手のチェックのネルシャツと、袖をぶった切ったボーリングシャツぐらいの大きな違いだった。

その秘密は彼ら3人が生粋のアメリカ人でありながらロンドンに渡って成功したということ。つまり、50年代のロカビリーというダイヤモンドの原石を掘り当てた彼らが、ロンドンのポストパンクムーブメント真っ只中、リバイバルではなく、全く新しい音楽の形態としてとらえられたことにある。

70年代のイギリスには、ロックンロールリバイバルという流れがあった。その中心はイギリス伝統のユースカルチャー、テディボーイの中にあった。そして、彼らに支持されたバンド、マッチボックス、フライングソーサーズなどは、カントリーミュージックから通じるアメリカ音楽の持つ土着的な匂いを放ち、それが人気の秘密でもあった。つまり、イギリス人は、海の向こうのロカビリーに大陸への憧れを重ねていたというわけだ。

しかし、ストレイ・キャッツのロカビリーにそんな匂いは微塵も感じなかった。彼らはロカビリーの洗練された、鋭角的な部分のみを抽出し、最先端の音楽として、その魂の部分を蘇生させたのだ。これは、ブライアンの両腕に刻まれたタトゥでも十二分にアピールしていた。

そんな彼らの音楽に日本のレコード会社はパンカビリーという和製英語を用意し歓迎した。つまり、パンクロックの初期衝動ありきのロカビリー。それは誰も見たことのない最新型だった。

ブライアン・セッツアーの低く構えた58年型グレッチ6120に、リー・ロッカーのウッドベース、そして、スリム・ジム・ファントムのスタンディング・ドラム。ロカビリーとは見栄の美学であり、ひとりひとりの自己主張は、他のジャンルに類を見ない。三人が横一列にならんで、楽器を奏でるその姿は、ティーンエイジャーの心に突き刺さる飛び道具のように鮮烈だった。

もちろん、50年代にこんなスタイルのバンドは存在しなかった。つまり、ストレイ・キャッツは過去の遺産から未だ見ぬ未来を描いたとびっきりのニューウェイヴ・バンドだったと言えるだろう。

その彼らの雄姿が日本でテレビ放映されたのが、83年のUSフェスティバルだ。確かテレビ朝日での放映だったと思う。83年の5月28日、29日、30日、6月4日と4日間に渡ってカリフォルニア州のグレンヘレン公園の特設会場で行われた大規模なフェスで、彼らは5月28日のニューウェイヴ・デイに出演している(ちなみにこの日に共演しているザ・クラッシュはミック・ジョーンズ在籍最後の演奏となっている)

ただ、ただ広く、アンプだけが積み上げられた殺風景なステージの上でバスドラの上に乗っかり、スネアを叩くスリム・ジム。ウッドベースをクルクルと回転させ、踊りながら弦をスラップするリー・ロッカー。そして、ブロンドのウルトラリーゼントを振り乱して超絶テクニックを見せるブライアン・セッツアー。

これが、ロカビリーなんだ!

そして、これが、不必要な迷いをすべて削ぎ落し、それぞれのキャラクターを完膚なまでにブロウアップさせた3ピースの美学なんだ! 当時、塾をさぼって、自室の14インチの小さなテレビの前でかじりついていた14歳の自分の将来の価値観を決定づけさせる事件であった。

そして、この3ピースの美学は、日本では、ブランキー・ジェット・シティが継承した。限られた制約の中で過去の遺産を自分の中で昇華させ、時代の最先端の音をアプローチできるか。ロカビリーの本質はここにある。

94年1月、ブランキーがNHKホールで公演を行ったときのこと。真っ黒く、アンプだけが積み上げられたステージで、息つく暇もないほどの緊張感と躍動感を兼ね備えた3人の姿を見た。僕の中で83年のストレイ・キャッツのUSフェスティバルに彼らの姿が重なった。

これが、ロックンロールなんだ!

そして、この価値観は、年を兼ねた現在でも、最上級のものとして僕の中にある。

2017.06.05
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  YouTube / debandana


  YouTube / StrayCatsVEVO 
 

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