土屋昌巳のロンドン録音、ジョージ・マーティンやらミック・カーンやら

『あこがれの存在、近寄り難きアーティスト＝土屋昌巳に近寄ってみた』からのつづき

土屋昌巳さんの３rd ソロアルバムのレコーディングで、ロンドンの AIR Studios に入ったのは、1987年のたぶん夏。

前回記したように、このスタジオ、オーナーがビートルズのプロデューサー＝ジョージ・マーティンなのです。というだけで、なんだかスタジオ全体がオーラに包まれているような気がしましたが、２日目だったか、なんと Mr.マーティン、ふいに我々の現場に現れたのです。

身長180cm以上はあると思われる堂々とした体躯、当時既に還暦超えながら、気力みなぎった様子で、すごい存在感でしたが、柔和な笑みを浮かべ、優しそうではありました。オーナーだとは言え、まさか天下のジョージ・マーティン本人と会えるとは思ってもみなかったので、かなり舞い上がりつつ、私も握手をし、挨拶を交わしました。

その時は大いに感激し、私の自慢のタネとなったのですが、後に再度 AIR で仕事した時、やはりフラッと来てくれて、でもまったく初対面な感じで、にこやかに挨拶され、ちょっとだけガッカリしました。あれは、土屋昌巳に会いに来てくれたのではなく、スタジオオーナーとして客に挨拶するという、単なるルーティンワークだったと判ったからです。

さて、日本で大部分を録音してきたものに、ロンドンのミュージシャン何人かの演奏を加え、ミックスダウン、その後マスタリング、というのがロンドンでの行程でした。前回記したように、錚々たるミュージシャンたちが参加してくれたのですが、中でも “ジャパン（Japan）” のベーシスト、ミック・カーン（Mick Karn）はすごかった。

ロンドンに入ってすぐに、彼は一度スタジオに来てくれて、土屋さんは、彼にベースを弾いてもらいたい曲、「一日千夜（One Day a Thousand Nights）」のラフミックステープを渡しました。ベース以外歌も他の楽器も入った、マイナスワンオケ。その時は、私が眺めていた限り、内容について何の打ち合わせもしていません。

で、３日後だったかな、今度はベースを持って現れました。エンジニアのナイジェル・ウォーカーも彼とは親しいので、土屋さんと３人でひとしきりおしゃべり、これも演奏にはまったく関係ない他愛もない話。そしておもむろに、「そろそろやるか」とベースギターをケースから取り出し、ケーブルを繋ぐ。音のレベルを確認して、「じゃあ」とナイジェルがマルチテープをスタートさせました。

彼はいつも、フレットレスベースで、それを活かした、非常にユニークな、奇天烈な(^^)ベースラインを弾く人で、私も大好きですが、この時、テープに合わせて彼が弾き出したフレーズも、まさにそういう、どこを切ってもミック・カーンなものでした。それを、けっこう複雑な構成の曲なのですが、譜面も何も見ず、最初から最後まで、ひとつのミストーンもなく、一切のリズムの乱れもなく、完璧に弾ききったのです。

つまり、彼は、３日前にラフミックスを受け取り、何の指示もないまま、自ら奇天烈なベースラインを考え、何回練習したのか知りませんが、ソラで弾ける状態になって、今日スタジオにやって来た、ことになります。

これだけでもすごいと思うのですが、さらに驚いたことが。

土屋さんがそのプレイを聴いて、１箇所、音を変えたかったようで、ミックに、「あそこを “Ｇ” にして」みたいなことを言ったのですが、ミックさん、ベースギターのどのポジションが “Ｇ” なのか分からなかったのです。音を音名では覚えてないんでしょうね。なので、土屋さんが彼の指を、“Ｇ” の位置に持っていってあげて。

で、テープをもう一度回したら、変更箇所も含め、ノーミスで、録音 OK。

音を音名で覚えていないのに、出そうと思う音を弾ける、ということは、文字が読み書きできないけど話せる、ということに近いのかな？ さらに、あのレベルの演奏ができるということは、読み書きできないけど、すばらしい詩や俳句が作れる、ようなことなのかな？

私には、まさに天才としか思えません。

だけど、土屋さんにもナイジェルにも、驚いた素振りはありません。ミックのいつものやりかたなんでしょうね。ミックさん自身も、何事もなかったように、おだやかな笑みを浮かべながら、またベースを仕舞って、おもむろに去っていきました。わずか30分の滞在でした。


2018.10.16