「見てよ、こんなに焼けちゃった!」
鎌倉駅西口の奥まったところに喫煙所がある。その日私は実家に用事があり、少し早めに会社を出た。夕刻に鎌倉駅に着いたのだが実家に行く前の一服をするため、その喫煙所に立ち寄った。私の他には同じようなサラリーマン3名がタバコを吸っていた。
そこに海水浴帰りだろうか、水着の上にパーカーを羽織ったヤングガール2人とヤングボーイ1人がタバコを吸いにきた。我々サラリーマンはその娘たちを直視するわけにもいかないので、横目でチラチラと見ていた。そこで冒頭の発言である。
「見てよ、こんなに焼けちゃった!」
水着のお尻あたりの生地を少したぐり上げ、焼けた素肌と焼けていない素肌の境界線を友だちに見せている。我々がチラチラと見ていた横目がググッと下方向に動く。目が痙りそうになった。
このように、真夏ともなれば日没も遅く、喫煙所で「水着」と「スーツ」が相乗りすることがままあるのが鎌倉である。
話は少し変わるが、本を読んでいるとその作家独特の文章というものがある。例えば村上春樹であれば、村上春樹っぽさがあり、北方謙三であれば、北方謙三っぽさというモノがある。音楽でもチューブにはチューブっぽさがあり、宇多田ヒカルには宇多田ヒカルっぽさがあると思う。
だが、私の敬愛するサザンオールスターズにはそれが無いような気がする。いや、サザンオールスターズっぽさって言うのはあるのだが、それは音楽性ではなく全体としての「サザンぽさ」なのである。
時には「いとしのエリー」といった男心の切なさを歌った名曲もあり、時には「真夏の果実」のような女心を歌った名曲もある。そうかと思えば「女呼んでブギ」のような馬鹿な男の妄想曲があったり、「来いなジャマイカ」などソラ耳アワー的な歌い方というか、絶対歌詞カード通りに歌っていない卑猥な曲で楽しませてくれる。
そんなサザンは言ってみれば、時には「水着バンド」であり、時には「スーツバンド」である。つまりはサザンというバンドは真夏の鎌倉の喫煙所みたいなバンドであると言えよう。それが私にとってのサザンぽさなのである。
こんな事を言うとサザンファンに怒られてしまうかもしれないが、私もサザンファン歴40年なのでご容赦頂きたい。
2019.06.14
YouTube / 芸術花火茅ヶ崎サザン
Information