2曲目でヒットするアイドルがいる。 古くは、山口百恵がそうだ。デビュー曲は「としごろ」だが、桜田淳子のコピーのような天使路線が今ひとつ奮わず、2曲目の「青い果実」で “性典路線” に転じてヒットする。松田聖子もブレイクしたのは2曲目の「青い珊瑚礁」だ。彼女の伸びやかな声質と艶のある詞のマッチングが絶妙だった。 中森明菜も2曲目の「少女A」で大人びた陰のある少女を演じ、トップアイドルに躍り出た。そうそう、チェッカーズも一躍その名を轟かせたのは、デビュー曲のヤンキー路線からポップス路線に転じた2曲目の「涙のリクエスト」である。 そして―― 彼女もまた2曲目で注目される。「ゆ・れ・て湘南」の石川秀美である。通称「ゆれ湘」。アイドル豊作の年と言われた “花の82年組” の中でも、中森明菜を除いて1年目から純粋に楽曲面で評価されたのは、この「ゆれ湘」だったと記憶する。 そう、今日7月21日は、今から36年前の1982年に「ゆれ湘」がリリースされた、その日である。 話は少しばかり、さかのぼる。 石川秀美のデビューのキッカケは、先に亡くなられた西城秀樹さんの告別式に、彼女が子供たちと暮らすハワイから帰国して夫の薬丸裕英さんと出席したことからも分かる通り―― 1981年に開催された『HIDEKIの弟・妹募集!! 全国縦断新人歌手オーディション』である。 このオーディション、聞き覚えのある人も多いと思うが、有名なのは、第1回で優勝した河合奈保子だろう。主催は西城秀樹も所属(当時)する芸能プロダクションの「芸映」。当時は秀樹の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」が大ヒットした後で、所属歌手も岩崎宏美に角川博、清水由貴子、女優では岸本加世子がいたりと、それなりの存在感を放っていた。 この芸映主催の新人オーディションは都合3回開催され、歴代の優勝者は第1回(80年)が河合奈保子、第2回(81年)が石川秀美、第3回(87年 / この回のみ「THE AUDITION Boys and Girls」表記)が国実百合である。国実を除けば(ファンの人ゴメン!)、あとの2人は売れたので、オーディションの打率としては、他の芸能事務所が主催するオーディションより遥かにいい(どことは言わないが)。ちなみに、3回とも “弟” は選ばれていない。 比較的有名な話だが、オーディションの最終選考で、当初秀美は優勝する予定になかった。審査員票は森下恵理(後に他の事務所からデビュー)を推したが、秀樹が「透明感が違う」と強力に秀美をプッシュしたために逆転優勝となったのだ。「ヒデキ、感激!」ならぬ「ヒデミ、感激!」である。表彰式には前回優勝の河合奈保子も駆け付け、3歳下の “妹” を祝福した。 翌1982年4月21日、石川秀美は「妖精時代」でデビューする。作曲・小田裕一郎、作詞・松本隆。初期松田聖子のヒットメーカー小田に、中期松田聖子の実質的プロデューサー松本隆と、強力布陣だ。だが―― 絶望的にレコードジャケットが悪かった。デビュー当時の秀美は垢抜けず、まるでパッとしなかったのだ。 時に、“花の82年組” である。 中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、三田寛子―― etc. 不思議なことに、秀美を含む彼女らの多くは1966年の「丙午(ひのえうま)」生まれだった。そう、前後の年代と比べて極端に女子の数が少ないのに、ことアイドルの世界では豊作だったのだ。 反対に、第二次ベビーブームで人口がピークとなった1973年生まれのアイドルと言えば、CoCoを始め、中山忍や田村英里子、島崎和歌子らがいるが、彼女たちは俗にこう呼ばれる。“アイドル冬の時代”――。 閑話休題。 花の82年組の中、デビューから今ひとつパッとしなかった秀美だが、間もなく事態が一変する。7月21日、2曲目の「ゆ・れ・て湘南」がリリースされると、俄然、注目されたのだ。作家陣は前作と同じ、小田・松本コンビ。相変わらずジャケット写真は垢抜けなかったが(これについては写真家は戦犯ものである)、瑞々しいメロディに、青春映画の1ページを切り取ったような歌詞は、そのクオリティにおいて同期の楽曲をアタマ一つリードしたと思われた。 サヨナラって夏の海に 夕陽が言う 淋しさの背中に頬寄せて きれいな涙が歌うよに 海を見てたね My Little Girl 当時、中学生だった僕は、放課後にS君の家に遊びに行き、そこで彼にリリースされたばかりの「ゆれ湘」を聴かされたのを覚えている。 「石川秀美って知っとぉ?」 「石川ひとみ?」 「違う。それは “まちぶせ” やろ。こっちたい」 そう言ってS君が見せてくれたジャケットには垢抜けない少女の顔があった。 「あぁ、こっちか。可愛くない方やん」 「そう思うやろ? ただ、曲はいい」 S君は EP レコードをレコードプレイヤーにセットした。家が工務店を経営するプチセレブなS君の部屋には豪華なオーディオセットがあり、『GORO』の桂木文のヌードピンナップが壁に貼られていた。中学生ながら大人びたS君の嗜好に、当時の僕は全幅の信頼を寄せていた。 曲が始まった。 マイナー調だが、どこかメロディアスである。大人びた曲調に反して、声は幼い。そのギャップが背伸びした十代特有の危うさを醸し出している。そして、曲はサビを迎えた――。 ゆれて 海岸ロード 走る バックミラーに 映る江ノ島さ Please Please Me ゆれて ゆれて湘南 君は最後まで優しさを 忘れなかったね その瞬間、僕の背中に軽い電流が走った。 目をつぶると、脳裏に海岸通りを走る赤いファミリアのハッチバックに乗る未来の自分の姿が再生された(当時、若者は皆、赤いファミリアに憧れた)。 カーステから大音量でその曲が流れている。 窓は全開で、風が容赦なく顔に吹き付ける。 助手席の彼女(想像である)の声は、音楽と風に遮られ、よく聴こえない――。 曲が終わった。 「これ、なんて曲?」 S君に尋ねると、彼はこう答えた。 「ゆれて湘南。でも、通はこう呼んでるらしい。―― “ゆれ湘”って」 「ゆれしょう?」 「そう、ゆれ湘」 どこでネタを仕入れるのか分からなかったが、とにかくS君は情報が早かった。 「いいね、ゆれしょう!」 「やろ? ただのアイドルソングじゃない」 「来るね、これは」 「うーん、ただ……」 S君は言葉を濁した。 「ただ?」 「… 歌唱力が、ちょっと」 「そうかなぁ」 正直、当時の僕には、そこまでアイドル歌手に歌唱力が求められているとは思わなかった。この「ゆれ湘」をバネに、石川秀美は “花の82年組” を制すると信じていた。 中森明菜が「少女A」をリリースする、一週間前の話である。歌詞引用: ゆ・れ・て湘南 / 石川秀美
2018.07.21
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