1945年(昭和20年)8月6日―― 広島に原爆が投下された。
常日頃から平和について考えているわけではないが、毎年この日だけはテレビに映し出される平和記念式典を観ながら遠い夏の日に起こったことを想像してみたりする。そしてふと浮かんでくるのが PANTA の「渚にて」という夏の歌だ。
『マラッカ』と『1980X』のアルバム2枚とライブアルバム1枚を発表して PANTA&HAL は解散。次に PANTA が発表したのが『KISS』と『唇にスパーク』というアルバムだ。この2枚のアルバムは “スウィート路線” と呼ばれるラブソング集で、発売禁止が代名詞のような PANTA が、突然そんなアルバムを作ったものだからみんなびっくり。もちろん僕も。
当時 PANTA 界隈は騒然となり、ファンクラブからは大批判を浴びレコード不買運動を起こされるほどのある意味問題作となった。で、実際アルバムの内容がどうなのかというと… PANTA のポップセンス大爆発で楽しい! アイドルはフランス・ギャルという彼が、思いっきり楽しみながら作ったということが伝わってくる。でも、その中に一曲だけとっても違和感を覚える曲がある。それが『唇にスパーク』に収録されている「渚にて」だ。
♪ サ〜マタ〜イム オ〜ンザビ〜チ
と始まる、ミドルテンポのまさにサマーソング。でもな〜んか変。何を歌ってるのかよくわからない。物語もなく、登場人物の姿も浮かんでこない。パンタの歌詞にはイメージをどんどん膨らませるものがあるのに、この歌からは情景や物語が膨らんでいかない。浮かんでくるのは寄せては返す波と砂浜だけ。
その砂浜には誰もいない――
この歌は同名の小説『渚にて』(ネビル・シュート著)が題材になっているという。第三次世界大戦が勃発し、4,700個以上の水爆とコバルト爆弾によって放射線に汚染された地球の終末を描いた SF 小説で、翻訳された本の副題が「人類最後の日」。どんでん返しのハッピーエンドもなく、終末を迎える人たちの静かな物語だ。
PANTA の「渚にて」を聴いても物語が広がっていかないのは「人類最後の日」を歌ったものだからなのだろうか。そんな風変わりなサマーソングを聴きながら、それが現実にならないことを切に願うのだ。
※2016年8月6日に掲載された記事をアップデート
2018.08.06
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