1月1日

トップを獲れなかった中森明菜の3曲!立ちはだかる 薬師丸ひろ子、わらべ、長渕剛

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オリコン1位を逃した中森明菜のシングル曲


中森明菜が「セカンド・ラブ」で初のオリコン週間シングルレコード売上1位を獲得したとき、これからどこまで連続1位記録を積み上げていくのか、当時の筆者はとても期待していました。当時、松田聖子が「風は秋色」から始まった連続1位記録を続けており、明菜が聖子を追うだけのアーティストパワーを持つと確信したからです。

しかし、聖子が連続1位を24曲まで伸ばしたのに対し、明菜は15曲に留まりました。明菜は1位を阻まれる不運がなんと3曲もあり、それが無ければ聖子と同じ24曲連続を達成できていたのです。1位を獲れなくても関係者には何の実害もありませんが、こういった数字のアヤにも明菜の悲劇性の一端が表れているように感じてしまいます。そこで、オリコン週間レコード売上1位を逃した中森明菜のシングル3曲に関して、その不運のストーリーを紹介します。

「セカンド・ラブ」「1/2の神話」と続いた1位が早くも途絶えてしまったのが、1983年6月リリースの5枚目のシングル「トワイライト ~夕暮れ便り~」です。明菜は、デビュー以来、シングル曲はバラードとロックを交互にリリースしており、この曲はバラードを一貫して担当していた、作詩:来生えつこ、作曲:来生たかおの作品です。

「過去2作のバラードシングルよりグッと大人びた路線に踏み込んできたけど、ちょっと時期尚早じゃないかな」… 初めてこの曲を聴いたときの筆者の印象でした。それまでのバラードシングル「スローモーション」「セカンド・ラブ」は “年頃の少女が持つ不安定さの中に確かな芯が感じられる” という世界観であり、これはロック路線の「少女A」「1/2の神話」にも共通していたと思います。中森明菜はこの世界観を表現するために歌手になったのではないか、と思うほど、この世界観は明菜にマッチしていましたし、そんな明菜に当時の筆者は魅力を感じていました。

4週間2位に踏みとどまった「トワイライト」




それに比べると「トワイライト」は一気に大人モードに踏み込んだように感じられました。明菜の実力ならそれを歌いこなすだろうと思う制作側の気持ちは十分理解できますが、デビューから2年目、シングル5曲目に世間がそれを求めていたかというと、私には違和感がありました。1983年の間は “少女が持つ不安定さの中に確かな芯” の路線を続けて明菜ブランドを固めるべきだったのではないか、ちょっと大人モードに踏み込むのが早いのではないか、と思ったのです。

そんな「大丈夫かな」という微かな不安の中で発表された、オリコン週間レコード売上の初登場ランクは2位止まり。このときの1位は、発売2週目の「探偵物語」。当時、人気絶頂の薬師丸ひろ子です。明菜の初週が薬師丸ひろ子の2週目に負けたという事実に対し、当時の筆者は「薬師丸ひろ子の人気恐るべし」とはもちろん思いましたが、それよりも「やっぱり曲が大人モードに踏み込みすぎだよ…」と、上述した「トワイライト」の音楽性に原因を求めていた気がします。

結局「トワイライト」は4週間2位に粘りましたが、その間も「探偵物語」はずっと1位に君臨し、「トワイライト」は耐えきれずに先に順位を降下。薬師丸ひろ子という最強の敵に当たる不運はあったものの、"少女が持つ不安定さの中に確かな芯" の世界観の楽曲をリリースしていたらもっと良い勝負ができたのではないか、という思いは今でも筆者の中に残っています。

さて、次のシングル「禁区」は初登場で1位を獲りますが、実はこれもやや薄氷でした。「禁区」は翌週2位に後退し、その後4週連続2位に粘りますが、結局1位は初週だけでした。「禁区」から1位を奪い、その後5週連続1位だったのが、1983年を代表する1曲である、杏里「キャッツ・アイ」です。「禁区」のリリースがもう1週間遅かったら、1位を逃していても不思議ではありませんでした。

このように、大ヒット曲とリリース時期がぶつかるという星を持った明菜は、翌1984年に入ってもその悲劇に見舞われてしまうのです。バラードとロックの交互路線に終わりを告げ、作曲に林哲司を迎え、新たな明菜像を示した名曲「北ウイング」が、まさかの最高位2位に終わりました。

不運? わらべが阻んだ「北ウイング」1位の座


「北ウイング」は2位を6週間キープしましたが、その間ずっと1位に居続けたのが、わらべ「もしも明日が…。」でした。わらべが前年に「めだかの兄妹」をヒットさせた時期の明菜は「1/2の神話」で1位を獲得していましたが、わらべのアーティストパワーはその頃より強大なものになっていました。

わらべを相手に1位を獲るとすれば、可能性が高いのは初登場のタイミングでした。「北ウイング」は元日発売、一方の「もしも明日が…。」は前年12月21日発売で、本来なら初登場がズレるはずでしたが、当時の売上集計のアヤで、初登場が同じ週にぶつかり、かつ明菜に不利な状況が生じてしまいました。このあたりの事情は、かじやんさんのコラム『オリコン最高位2位、中森明菜「北ウイング」チャート集計期間のあやで泣いた名曲』に詳しく書かれていますので、ご参照ください。

他に1位が獲れる可能性として、わらべが始めの数週間で高い売上を上げた後、息切れしたところで1位を獲るシナリオもあり得ました。明菜のレコード売上の息の長さは過去の作品が証明していたからです。しかし、実際の「もしも明日が…。」は「北ウイング」の割り込みを許さない、高い売上を維持し続けてほぼミリオンセラーとなり、1984年のオリコンシングル売上年間1位を記録する大ヒットとなりました。

わらべがこれほどの売上パワーを持っていたとは、本当に驚きました。「北ウイング」は、わらべがいなければ6週間1位を獲得していたことになります。これはもう不運としか言いようがありません。「北ウイング」は、本コラムで紹介する3曲の中で、オリコン1位を逃したことが最も意外だと感じる曲だと思います。筆者は「北ウイング」を聴くたびに「この曲が1位を獲れなかったとは信じられない」という気持ちが呼び起こされてしまいます。

長渕剛と浅香唯に阻まれ最高3位「I MISSED "THE SHOCK"」




次のシングル「サザン・ウィンド」から1位連続記録が新たにスタートしますが、上述した2曲の取りこぼしが無ければ「サザン・ウィンド」で6作連続1位になっていたはずなのです。取りこぼしは2曲でも、連続記録としては5曲分のビハインドになってしまう。これが、積み重ねがモノを言う連続記録の恐ろしさと言えましょう。

その後の中森明菜は、他のアーティストが競合を避けるほどの存在感を放ち、1985~86年にレコード大賞を2年連続受賞。「TATTOO」まで順調に15作連続1位を伸ばしました。しかし、明菜が円熟期を迎えた1988年11月、「I MISSED "THE SHOCK"」に3度目の1位取りこぼしの悲劇が襲いました。

「I MISSED "THE SHOCK"」の初登場かつ最高位は、2位も獲れずに3位止まり。初登場週の1位は長渕剛「とんぼ」、2位は浅香唯「Melody」でした。「とんぼ」は昭和から平成にまたがってミリオンセラーを達成。「Melody」は浅香唯のシングルの中でも出色の楽曲。またも強力なヒット曲に行く手を阻まれた形になってしまいました。

「I MISSED "THE SHOCK"」は、それまでのシングル曲とはまた趣が違う、明菜らしいチャレンジに満ちていました。どんなチャレンジだったかは、松林健さんのコラム『感情喪失を歌った中森明菜のダークソング「アイ・ミスト・ザ・ショック」』に詳しく書かれています。

それでも、ディスクの売上枚数は、同じ1988年発売の「AL-MAUJ」「TATTOO」を上回りましたので、そのチャレンジはファンや世間に受け容れられたと考えていいと思います。ただ、受け容れられるのに時間がかかった可能性はあります。それまでの、スケールの大きな世界観から一転、「I MISSED "THE SHOCK"」は内省的な面が強く打ち出されていましたから、聴き始めはやや戸惑いを感じ、しかし聴き込むほどに明菜の表現にハマっていく、そんな売れ方だったのかもしれません。

ヒットチャートから生まれる“2位だからこそのドラマ”


このケースも相手が強敵過ぎました。「とんぼ」は、長渕剛ならではのメッセージと楽曲のポピュラリティーが見事に融合した、J-POP全体で見てもスタンダードと呼べるような楽曲です。明菜の1位が阻まれても何の不思議もありません。

このように、中森明菜が1位を逃したシングル3曲を振り返ると、薬師丸ひろ子、わらべ、長渕剛のいずれも彼らの絶頂期の楽曲とリリース時期がぶつかる不運があったのです。もっと記録を伸ばせたはずだという思いはありますが、こんな音楽ヒットチャートでのドラマを生み出すところが、中森明菜らしいとも感じます。

かつて、ある国会議員がこう言いました。「2位じゃダメなんですか?」 音楽ヒットチャートに関して言えば、2位がダメな理由など何もありません。2位だからこそのドラマがある… 中森明菜のシングルヒストリーをたどるとき、強くそう思います。

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2022.08.21
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カタリベ
1970年生まれ
倉重誠
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