1月21日

早見優とテレビ東京 ~ 伝説の朝帯番組「おはようスタジオ」あの頃にもう一度

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早見優のシングル「あの頃にもう一度」がリリースされた日
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「見て見て!この人ね、新人なんだけどハワイ育ちで英語ペラペラなんだヨ!」

これは今を遡ること37年前、1982年春のことである。朝の時間帯に放映の、とある番組を観ていた筆者が、傍にいた母親に向かって口にした言葉だ。ブラウン管に映る、ハワイ育ちで英語ペラペラという帰国子女。リゾート地の陽光のごとしキラキラした輝きを放つその人こそ、デビューしたばかりの早見優さん(以降、優ちゃん)だったのだ。

筆者の記憶が定かであるのならば、早見優という新人歌手をはじめて目にした瞬間だ。優ちゃんに関しては、日頃のヲタク生活におけるアイドル雑誌熟読等により、ある程度の事前知識は備えていた。が、歌番組でデビュー曲を唄う姿を観るのは、この時が最初だったと思う。

フリツケを交えながら、デビュー曲「急いで!初恋」を唄う優ちゃん。どこかぎこちなく映ったのは、初披露からくる緊張? はたまた、ザ・ニッポンの芸能界という慣れない世界に身を置く居心地の悪さ? とにもかくにも日本人離れして、どこかバタ臭い、しかしフレッシュ感あふれる新人歌手の登場により、筆者の目はブラウン管に釘付けとなってしまったのである。

なにを隠そう、この番組こそが『おはようスタジオ』(以降、『おはスタ』)だ。朝早い7:05から1時間、月曜から金曜日までの生放送(注:79年放送開始時は7:30~)という斬新さ。当時の朝番組基準で考えたら、お堅いニュース番組やモーニングショー以外にそのような番組は皆無だったのだ。

番組の司会は、志賀ちゃんこと志賀正浩さん。アシスタントは竹谷英子さんだ。竹谷さんは、ラジオ番組『走れ!歌謡曲』で DJ 経験もある優しいお姉さんといった風。ちなみに、現在は悪役商会の社長サン!? なぬ? 妙にビックラこいてしまう。

当時の筆者は中学生だったが、学校へ行く時間ギリギリまでブラウン管にかじりつくという熱の入れよう。母親から「早く学校へ行きなさい!」と怒号が飛んでくることもしばしばだった。余談だけど、番組内の電話クイズにハガキで応募して当選、志賀ちゃんと電話で話したこともあるのだ。景品は… 番組で使ったタレ幕で、いわゆるハズレだったけれど。ちなみに、同番組は朝帯の番組としては盛り上がりを見せ、志賀氏による「わんぱく宣言」「おんどピコピコ」他、数種の番組関連ソングも誕生し、レコード発売にも至っている。前者は、さだまさし「関白宣言」のオマージュ、後者は赤塚不二夫センセイが作詞しているのだ!

この時期のテレビ東京は、前年度に商号を変更したばかり。それまでは “東京12チャンネル” と名乗っていたが、どこか垢抜けない部分があった。それは新聞の番組欄を見ても一目瞭然。その昔は、早朝から午前9時くらいまでが空欄で、広告スペースに置き換わっていたこともあったのだ。

これは放映番組の不足がもたらしていたものだったらしいが、コドモ目線から見ても異彩を放つチャンネルそのもの。当時のおもな放映番組は、アメリカから買い付けたカートゥーンや外国映画、プロレス中継、殿方の股間をまさぐるようなお色気番組(『金曜スペシャル』や『プレイガール』等)で、家族団らん安心して観れる放送局というのとは毛色が違っていた。

そんなテレビ局が超絶イメージチェンジ!優ちゃんがデビューした82年にはテレビ大阪も開局。ますます広がる“メガTONネットワーク”“緑さわやか”“楽しさ12か月” と盛んに宣伝し、家族でも楽しめるチャンネルへの転換を図ったのだ。今日の、素晴らしきテレビ東京を形作った変革期とも言える。

ところで、『おはスタ』の白眉と言えばアイドル歌手がこぞって出演したという点だろう。そのテのマニア諸君にとったら垂涎そのものだったはず。どの歌手もデビューしたら真っ先に出演という、いわば新人歌手の登竜門的位置づけ。同好の間では新人アイドルのチェックには欠かせない番組となり、これさえ観てりゃ泡沫アイドルに至るまで完全網羅か? と囁かれるほどの顔ぶれがズラリと並んだのだ。優ちゃんをはじめ、中森明菜ちゃん、小泉今日子ちゃん、石川秀美ちゃんなどなど、いわゆる後の売れっ子ちゃんたちも、デビュー当時にみ~んな出たのである。

ただし、ブレイクするとパッタリ出演しなくなる傾向あり? まぁ、そりゃそうだ。7:05~ という、眠い目をこすらねばならないような時間帯での放送。ということは、リハーサルを含めたスタジオ入りはお空も暗い夜明け前? ある程度売れたら出演は遠慮させていただきたいというご意向… それは充分に理解できるのである。また、時には海外からのお客様、いわゆる外タレさんの出演もあり、『ラ・ブーム』のソフィー・マルソーや元モンキーズのデイビー・ジョーンズが出てくれた場面が鮮烈だ。

83年4月発売の「夏色のナンシー」で、ものの見事にブレイク!トップアイドルの仲間入りを果たした優ちゃんが、いわゆる僕らの “パブリックイメージ” だろうか。が、そうなる前までは『おはスタ』にも頻繁に出演してくれていたのだ。

ノスタルジックなビデオテープが回りだすと… 「あの頃にもう一度」という曲を唄う、若き日の優ちゃんの姿を映し出す。

この曲は、優ちゃんと同じ事務所にいた先輩アイドルが唄う予定がオクラ入り。それをたまたま耳にした優ちゃんがたいそう気に入り、シングル発売に至ったというエピソードが残る。“夏色の恋人” として僕らを夢中にさせた、ほんのすこ~し前の出来事。

この後すぐに売れっ子となり過密スケジュールをこなしていくことになった優ちゃんが、『おはスタ』で唄ったひとコマを覚えているのか否かは定かではないけれど。だったら Reminder とテレビ東京ミュージックのコラボイベント『80’sコネクション』にて、ありとあらゆるあの頃話に光線クラッ!をあててほしいナと、密かに願うのである。マニア諸君ならこの気持ち…


♪ わかるでしょう? ネッネッネッ

2019.10.27
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カタリベ
1968年生まれ
チェリー|昭和TVワンダーランド
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