7月22日

BOØWY シングルレビュー ②:大衆に迎合せず大衆を制した「マリオネット」

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コピーバンドからスナックまで、社会現象になったBOØWY「ONLY YOU」


1986年の11月17日付のオリコンチャートで、アルバム『BEAT EMOTION』が初登場1位を記録した事で、名実共に日本を代表するロックバンドとして名を馳せる存在となったBOØWY。シングル曲レビューの後編は、1987年にリリースされた3作品を振り返ります。

前編『BOØWY シングルレビュー ①:大衆に支持されたBOØWYとチェッカーズの共通性』に引き続き “80年代の歌番組・ヒットチャート好きが回想するBOØWY” という目線から語っていきたいと思います。

まず、4月にリリースされた「ONLY YOU」ですが、こちらはアルバム『BEAT EMOTION』からのシングルカット。直線的なビートに乗せたエモーショナルなヒムロックのボーカルが光る、まさに彼らが全盛期の真っただ中に居る事を感じさせる名曲です。当時アルバムで1 曲目「B・BLUE」からの2曲目「ONLY YOU」と続けて聴いた人も多いでしょう。この曲の並び、数多の80年代ロックのアルバムの中でも、先制逃げ切りタイプとしては最強!だと私は思っています。

さて、この曲が日本中に浸透した現象面のひとつとして忘れてはならないのが、この、カラオケでの “合いの手” ですね。

「ONLY YOUそのままで」
→ そのまま!そのまま!そのままで!
「ONLY YOUたった一度」
→ 一度と言わず二度三度!
(地域によって違いがあります)

アン・ルイス「あゝ無情」の頃からバブル崩壊あたりまで、場末のスナックなどで、こうした合いの手が流行ったと思いますが「ONLY YOU」はその象徴的な一曲でした。

北関東から東京を制した彼らが、地方のネオン街に合いの手で賑わいを還元(?)した一方で、学生達を中心にBOØWYのコピーバンドが雨後の筍の如く出てきたのもこの頃。BOØWYは、1987年初頭にはもう、社会現象だったのです。

満を持してリリースされたNo.1ヒット「マリオネット」


そして、同年7月には満を持して6枚目のシングル「Marionette -マリオネット-」がリリースされます。オリコンとザ・ベストテンでそれぞれ2週間1位に輝いた、彼らを代表する1曲になりました。1年前にわがままジュリエットが最高位39位だったのが信じられない躍進ぶりです。

特筆すべきはやはりザ・ベストテンでの1位だと思います。私は、前年の「B・BLUE」の時に、“むむ…!歌謡界のど真ん中に異質な物が割って入ってきたな…” そんな、衝撃とも戸惑いとも形容し難い、複雑な感情を子供心に抱いていたのですが、この「Marionette -マリオネット-」は、初登場から4週目でスルスルっと1位。

これはもう、驚いたというより、良い意味で、呆気にとられたような感覚だった、と言うのが正しいです。そして、1位になっても最後まで『ザ・ベストテン』には出演しなかったということに、10年来この番組を観続けてきた者としてショックを受けました。

この「大衆に迎合せずして大衆を制する」姿勢は、当時の日本のお茶の間に、ある種のニヒリズムを突き付けてしまったような、そんな感じさえありました。それから程なくして、『ザ・ベストテン』は放送終了。それは即ち “家族で集まって、1つのテレビを見る時代” の終わりを意味していました。

そういえば「ONLY YOU」で、『夜のヒットスタジオDX』 に出演した時に、司会の古舘伊知郎さんが、歌唱前のメンバーに物真似を執拗に強要するという出来事もありました。(「番組盛り下がっちゃいますヨ~」と煽るその様子は、今ならば大炎上案件)それを最後にBOØWYは一切の歌番組には出なくなってしまったので、もしかすると、ザ・ベストテンを終わらせた遠因は古舘さんにあるのでは!? … と私は思っていますが、穿ち過ぎでしょうか。

ラストシングル「季節が君だけを変える」印象的なビデオクリップ


そして、実質的なラストシングルとなったのが、10月リリースの「季節が君だけを変える」です。(アルバム『PSYCHOPATH』からのシングルカット。アレンジは異なる)この曲はビデオクリップが一風変わっていることから、ファンの間で物議を醸したことでも知られています。

そのビデオとはどういった内容かと言うと、冒頭の「FOR THE MOST BEAUTIFUL TEENS」のテロップに続き、様々な職業のティーンネイジャーを1組ずつ淡々と映し出していくだけの物で、メンバーはほとんど映っていません。しかし、改めて今見返してみると、当時の世相やファッションがわかる貴重な映像ではあります。

ではなぜ、こういったビデオにしようと思ったのか? そんなことを考えていた時に、私の中で「Marionette -マリオネット-」の中の印象的な一節が思い出されました。

 諦め顔のよくできた歯車の様に

―― そう、このビデオは、今の日本の私達への、時を超えた無言のメッセージだと思うのです。このビデオの30年前の少年少女達が、強い目力で、「オレたちは諦め顔のよくできた歯車」じゃねえ!って顔で、21世紀の私達にガンを飛ばしているように見えてくるのです。このビデオに出ていた彼らは今頃どんな生活を送っているのでしょうか。彼らに是非とも再集結して頂き、アラフィフバージョンでまた観てみたいものです。

1987年、日本レコード大賞に相応しかったのはBOØWY!?


ここまで、BOØWYが頂点を極めた1987年におけるシングル3曲を振り返りましたが、最後に、最近ヒットチャート好き界隈の中で議論した無駄話で締めたいと思います。それは、1987年の日本レコード大賞に本当に相応しかったのはどの曲か、という議論です。

実際は、この1987年は近藤真彦の「愚か者」(年間35位)がレコード大賞を受賞する訳ですが、本当にそれが妥当だったのだろうか… という話です。他に候補者が居るとすれば、3連覇を狙う中森明菜さんの「難破船」(年間6位)、1年を通じ安定して上位を賑わせた少年隊の「君だけに」(年間10位)、年間チャート1位の瀬川瑛子の「命くれない」、そしてBOØWYの「Marionette -マリオネット-」(年間20位)あたりが考えられます。

そんな中で、私が審査員だったら「1987年象徴度」が抜群に高ポイントと思われるBOØWYにレコード大賞を与えたかった!…というのが持論です。皆さんはどう思いますか?(受賞したらジャッキー吉川とブルー・コメッツ以来、20年ぶりのバンドの受賞となっていた)

まあ、こんな戯言は、本来のBOØWYファンの皆様には全くどうでもいい話だろうと思いますが、この1987年、彼らがそれだけ巨大な存在だったという事が、何となく伝われば幸いです。

ちなみに、1987年のレコード大賞の会場は武道館でした(テレビの視聴率は29.4%)。もしもこの時、BOØWYが大賞を獲って「ライブハウス武道館へようこそ!」なんて颯爽と登場したら、全くもって、ドラマティックでドラスティックな大晦日になったのに!… と、30年以上経った今でも妄想は尽きない私です(笑)。

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2021.10.25
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カタリベ
1972年生まれ
古木秀典
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