デビュー2年目が対象、日本テレビ音楽祭の「金の鳩賞」
「日本テレビが毎年夏、武道館からの中継で開催するビッグイベントと言えば?」この問いかけを今したら、10人中10人が『24時間テレビ』と答えるだろう。2020年、開催が危ぶまれたこのイベントも今回で43回目だという。だが、1980年代にもうひとつ、武道館での一大イベントがあったことを、皆さんお忘れではないだろうか? それは、芸能界では “夏の陣” とも呼ばれた『日本テレビ音楽祭』だ。
え? 覚えていないって? まぁ、それも無理はない。なぜなら、80年代には音楽賞のイベントが数えきれないほど乱立していたからだ。しかし「金の鳩賞」というワードを出せばピンとくる人もいるのではないか。この、「金の鳩賞」は、デビュー2年目の歌手のみを対象とするユニークなもので、『日本テレビ音楽祭』ではグランプリ以上に大きな注目を集めることもあった。
この賞の醍醐味は、新人の年に賞レースに絡めず悔しい思いをした歌手が、2年目に頭角を現し、「金の鳩賞」をさらっていくという逆転劇を目の当たりにできたこと。例えば中森明菜。1982年デビュー組の彼女は人気に火がついたのは「少女A」がヒットした秋口以降であり、新人賞レースに食い込むことはできなかった。しかし、その後の活躍は誰もが知るとおりで、翌年の金の鳩賞は、シブがき隊と揃って堂々のダブル受賞となったのだった。
容赦なし! 賞レースでは異例の “該当者なし”
そんな「金の鳩賞」では今でも語り草になっている事件がある。なんと、選考結果が “該当者無し” となった回があるのだ。しかも2度。1980年の回と1984年の回がそうだ。当時僕もこの予想外の結末にテレビの前でとても拍子抜けしたことを覚えている。だが、手元に録画データも無く、どんな歌手がノミネートされていたかの記憶も曖昧だったので、ちょっと過去のデータを調べてみた。
まず1980年(第6回)。この年ノミネートされていたのは、井上望、倉田まり子、高見知佳、たかだみゆき、BORO の5組。う~ん、確かに地味なメンツではある。
前年、最優秀新人賞を受賞したのは井上望。地味な中でも本命視されていた倉田まり子を抑えての受賞は、やはり日本テレビへの貢献度… たとえば『スター誕生!』出身だったり、同局でのドラマ出演だったり… が、ものを言ったのだろうか。しかしである、そんな日テレをもってしても、2年目は容赦なし! ステージ上で緊張の面持ちで名前を呼ばれるのを待っていた、彼女を含む5組に浴びせられた現実は、前代未聞の “該当者なし”。テレビで見ていたこちらも困惑するくらいだったので、まぁ、ステージ上の候補者は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情だったことは想像に難くない。ちなみに、この時の井上望の歌唱曲は「悲恋一号」。
そして今年の秋風は
うつろな心の悲恋一号
阿久悠提供のこの歌詞は、何かを暗示していたのだろうか…。まあ、“夏の陣” の勝負曲としてはよろしくなかったようで(笑)。
そして、一度ならず二度までも…。それが、4年後の1984年(第10回)、この年ノミネートされていたのは、岩井小百合、大沢逸美、桑田靖子、小野さとる、原真祐美の5組。そう、派手に売れた1982年組と比較され、のちに「不作の83年組」とも呼ばれてしまった世代だ。なお、審査対象期間が、前年8月1日から本年7月31日まで… と定められていたため、前年9月1日デビューの The Good-Bye は2年目扱いとならず審査対象外。それもあってか、この年も、前年最優秀新人賞の岩井小百合をもってしても「金の鳩賞」の栄冠には届かず、“鳩に豆鉄砲” の悪夢再来と相成った。それにしても4年に1度、オリンピックイヤーでのこの賞は呪われているのだろうか…(1988年には、日本テレビ音楽祭自体が中止になっているし…)。
今ならトレンド入り確実! 松田聖子、田原俊彦、河合奈保子のトリプル受賞
そんな『日本テレビ音楽祭』屈指の名場面と言えば、やはり1981年(第7回)の、松田聖子、田原俊彦、河合奈保子「金の鳩賞」トリプル受賞だろう。
この年は聖子ちゃんとトシちゃんのどっちが受賞するのか? …というよりも、その圧倒的な活躍ぶりからして、両名のW受賞が妥当なところだろうと目されていた。そして当日。大方の予想どおり、聖子ちゃん、トシちゃんの受賞が読み上げられ、これでもう終わりと本人も周りもそう思った次の瞬間、まさかまさかの、3人目の受賞者として河合奈保子さんの名前が!
ちょうど「スマイル・フォー・ミー」で人気急上昇中でのサプライズだ。トリプル受賞の決定も急だったのか、トロフィーの用意が間に合わないという珍事も。武道館に詰め掛けた奈保子親衛隊も興奮のるつぼ。「泣くと歌えなくなるから」と、滅多に歌唱中に涙を見せることのない奈保子さんも、珍しく涙ぐみながらの歌唱に。40年前にSNSがあったらトレンド入り間違いなしのセンセーショナルな瞬間だった。
もはや廃墟となった音楽賞レース、21世紀の “金の鳩” は何処に?
80年代に悲喜こもごもの名場面を届けてくれた、この『日本テレビ音楽祭』も1990年、平成の幕開けからほどなくして賞レースとしての役割を終え終了した。
それにしても、この「金の鳩賞」、2年目で頑張っている人を称えよう、というコンセプトは、今思えばどこか日本的な情緒があった。グラミー賞でこういった賞が制定されるイメージはあまり湧かない。1年間の成長度合いを評価して、かつ、芸能界に長く貢献してくれるだろう、という審査の尺度は、いかにも80年代の古き良き芸能界を象徴する賞という感じだ。それでも、この賞は、若い歌手にとっては大きなモチベーションとなっていた賞だったし、ファンの立場からしても、丸1年応援してきた推しアイドルの檜舞台を見ることができる最高の機会だった。
だが、放送終了から30年余りが経った今、もはや廃墟とも言える現状の音楽賞レースは、当時の賑わいを知る者にとって誠に寂しい限りだ。2020年の今、この廃墟に金の鳩はいるのだろうか…
もしかすると、現代の金の鳩は、まるで夜遊びをするように、どこかで自由に音楽を奏でているのかもしれない。そんな彼らは、光輝く舞台で金色に輝くことはさほど望まず、暗闇で妖しい光を放ちながら各々の音楽を楽しんでいるように見える。老化で視力の衰えてきた僕には、そんな暗闇の中の金の鳩を見つけ出すことはちょっと難しくなってきた。むしろ、僕の娘の方が見つけるのが早い。
少しだけ悔しいけど、まあ、これも自然の摂理なのだろう。
2020.08.18