11月8日

第3期 BOØWY:理論武装はいらない!少年たちにギターを持たせた起爆力とは?

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1986年のBOØWY、留まることを知らない躍進


1986年7月2日JUST A HEROツアー最終公演日本武道館。
同年9月29日シングル「B・BLUE」リリース。オリコン最高位7位を記録。
同年11月8日アルバム『BEAT EMOTION』リリース。BOØWY初のオリコン最高位1位を記録。

1986年、狼煙をあげたBOØWYの躍進は留まるところを知らなかった。前シングル「わがままジュリエット」で独自性溢れるロマンティックな世界観を提示し、その7か月後にリリースされた「B・BLUE」は彼らの代表曲と言えるBOØWYの本領溢れる爽快なビートロックであった。

主に氷室京介が描く彼らの歌詞の世界観を考えてみも、ファースト、セカンドアルバムまでは、極めて個人的な恋愛模様を含む人間関係を歌にしてきたが、サードアルバム『BOØWY』からは、世の中を俯瞰し、多くのリスナーが切なさを共有しながら、それぞれが瞼の裏に個人的な物語を描けるような普遍的なメッセージに変わっていった。

青く切ない世界観が炸裂した「B・BLUE」


 ポケットに詰め込んだ 夢だけですごせたネ
 このままでいつまでも続くなんて
 夜の吐息に飲み込まれて 震えていた LONELY ANGEL
 さみしい笑顔がある事も気づかずにいた俺

 ~ON THE WING WITH BROKEN HEART
 もう一度笑ってよ TO THE BOYS&GIRL

誰もが口ずさめるこのナンバーを思い出してみても分かる通り、瞼の裏に浮かぶリスナーそれぞれの青春の情景。布袋寅泰のマキシマムなくらいキャッチーなメロディがこの世界観を国民的なアンセムとして世に放った。

アルバム『BEAT EMOTION』もまた、「B・BLUE」の青く切ない世界観が炸裂した煌びやかな作風となった。布袋寅泰のフェイバリットであるマーク・ボラン(Tレックス)からの英国ロックのグラマラスな部分を根底に感じる音作りは、自らのルーツをしっかりと踏襲しながらも持ちながらも、いかにして全音楽ファンのアンセムを作り出すかに注力した内容であった。

即日完売!ライブアルバム「“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986」


そして、『BEAT EMOTION』というライブハウス時代のマンスリー・ギグのタイトルをそのままアルバムタイトルにしたという心意気は、『JUST A HERO』とはまったく別のベクトルだったと言ってもいいだろう。ライブバンドとしての圧倒的な迫力をどのように音源に落とし込んでいくかという彼らの試みがアルバムタイトルにも顕著に表れていた。

ここで興味深いのが、『BEAT EMOTION』発売の約3か月前、1986年7月31日に限定10万枚でリリースされた先の武道館公演の音源をメインとしたライブアルバム『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』が即日ソールドアウトになったということだ。そう。あの氷室京介の「ライブハウス武道館へようこそ!」という名MCが収録されているアルバムだ。

この時期のBOØWYは、テレビを中心としたマスコミへの露出も多くなり、決して熱心とは言えない音楽ファンまでも取り込んでいったが、彼らの本領であるライブバンドとしてもコアな音楽ファンに高く評価されていたということだ。

このライブアルバムのスマッシュヒットは生のBOØWYを一目見たい!と思わせるに十分な迫力であり、自分たちのファン拡大のみでなく、日本のロックシーンのファン拡大に大きく貢献したと言えるだろう。ちなみにこのライブアルバムは現在まで累計で100万枚以上のセールスを記録している。

BOØWYのライブバンドとしての圧倒的な存在感は日本全国の燻った少年たちにギターを持たせバンドを組ませた。それは、ロックとは云々… という理論武装を全く必要とせず、ただ単純明快に “カッコイイ” の一言からアクションに動じさせる起爆力だったと思う。

1987年、先行シングル「Marionette」オリコン最高位1位を記録


極めてハイクオリティ、ハイエナジーな2枚のアルバムをリリースした1986年も果敢なまでのツアー日程をこなし、それは解散の年である1987年も変わることはなかった。同年2月24日に『ROCK’N ROLL CIRCUS TOUR』の最終公演が日本武道館公演で幕を閉じると、氷室は曲作りのため渡英。布袋と松井常松は、山下久美子のツアーメンバーとして活動。

そんな中、5枚目のシングル「ONLY YOU」が4月6日にリリースされオリコン初登場4位を記録。そして、彼らのラストアルバム『PSYCHOPATH』のレコーディングが6月にスタートする。日本国内でわずか16日間という日数でレコーディングされたこのアルバムは、前作以上の重厚さが全面に打ち出され、スタンダートなロックを基調としながらもゴシック・テイストを垣間見ることの出来る異色作だった。

このアルバムに収録され、バンド発のオリコン最高位1位を記録した先行シングル「Marionette」が7月22日にリリース。本アルバムはその1か月半後の1987年9月22日にリリースされオリコン初登場1位累計セールス128万枚を記録する。

別れさえロマンティック、1987年12月24日BOØWY解散


この時期にメンバーはすでに解散を意識していたというが、その思いが顕著に表れていたのが、7月31日神戸ワールド記念ホールで行われたライブ「CASE OF BOØWY」だった。ジャン・ポール・ゴルチェの衣装を身に纏ったメンバーが、初期のナンバーを含む全37曲を4時間ぶっ通しで演奏。まさしくBOØWYの活動を総括するような内容であった。

そしてBOØWYは、アルバム『PSYCHOPATH』リリースと同時期にスタートしたツアー”ROCK’N ROLL REVIEW DR.FEELMAN’S PSYCHOPATHIC HARTS CLUB BAND TOUR」の最終公演、渋谷公会堂で解散宣言をする。翌日の主要新聞各紙の広告欄には、

12・24  BOØWY解散。
4人でしか探せなかったモノ。自分達で有り続ける事へのこだわり。今度は、ひとりひとりで有り続けることにこだわる為にBOØWYは昨日のクリスマス・イブを選びました。
最後のGIGS(イベント)は、必ず来年プレゼントします。

… という言葉が記されていた。

別れの言葉を切り出す日をクリスマス・イブに選ぶというのもなんとも彼ららしくてロマンティックだった。しかし、その時の衝撃というかショックを今も忘れないという人も多いだろう。ブレイクからわずか2年。彼らの軌跡は、ロックバンドとしてやるべきことをすべてやり終えたと言っても過言ではないが、あまりにも早すぎる解散宣言であった。短い活動期間の中で彼らは伝説になることを選んだのだ。

しかし、ブレイクしてからの短い活動期間に彼らがファンに残した切なさや煌めき、そして、自分たちもロックスターになれるかも!といった青い原動力は、30年以上経った今もかつてのファンの胸の内に残っているだろう。

翌1988年4月4日、5日東京ドームにて解散ライブとなる『LAST GIG』を開催。少し早い同窓会だとメンバーは語っていたというが、1987年の彼らの活動を俯瞰してみるとその言葉も頷くことができる。6枚のオリジナルアルバムと幾多のステージアクトを多くのファンの瞼に焼き付けて、彼らは解散という道を選んだ。日本のロックシーンに新たな大きな道筋を残して。

BOØWY 40thアニバーサリー特集「ライブハウス武道館へようこそ」

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2021.10.23
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カタリベ
1968年生まれ
本田隆
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